マガジンのカバー画像

ぷらっとほーむ

59
運営しているクリエイター

#居場所スタッフ

「無色透明イデオロギー」からの脱却。

「無色透明イデオロギー」からの脱却。

■今回は、個人的な思いについて書く。「ぷらっとほーむ」を開設してもうすぐ丸4年になる。いろんな出来事があり、その度ごとにさまざまな気づきを得ることができた。とりわけこの1年間は、自分にとって大きな意味をもつものとなった。実を言うと、居場所づくりに関わるようになって以来ずっと、フリースペースのスタッフとしての自分の居かたに悩み続けてきた。とりわけ、どのようなキャラでそこに居るかということに葛藤し続け

もっとみる
評価するスタッフ/評価されるスタッフ。

評価するスタッフ/評価されるスタッフ。

■前回、ぷらっとほーむの「ヒドゥン・カリキュラム」(そこに所属する人びとが従うことを求められる暗黙の規範)として、「変わること(変革、変容、成熟、向上など)が良いことだ」という思想が存在しているように思う、と書いた。方向性や目的地はその人次第だが、とにかく「現在の自分(やそれを取り巻く環境)を新たな自分(やそれを取り巻く環境)に更新したい」という欲望において共通する物語を選択した人びとの緩やかな共

もっとみる
非専門家・対人支援NPOの支援者倫理

非専門家・対人支援NPOの支援者倫理

■前回、「支援する側」というのが、「支援される側」との立場の非対象性のゆえに、ある種の「権力性」を帯びたものになってしまわざるを得ない、そういう立ち位置なのだと書いた。こうした支援者の「権力性」を、別の名前で呼ぶことで「なかったこと」にしたり、そもそもその存在を認めずに居場所の「民主性」や「対等性」を主張し続けたりすることは、結局のところ、非対称性を「権力」へと変換する無意識の操作であり、支援者倫

もっとみる
支援者の「権力」を中和/馴致するために

支援者の「権力」を中和/馴致するために

■前回、「ボランティア」=タダ乗り(フリーライダー)という位置づけのゆえに、ぷらっとほーむでは「ボランティア」の採用はしていない、と述べた。そう言えるためには、いくつかの前提や条件がある。第一に、「居場所がない」という、誰にでも起こりうる事態を対人支援サービスの対象に据えていること(支援者-被支援者の「同質性」強調)。第二に、その上で支援者と被支援者を分かつ外形的な基準――例えば「子ども/大人」の

もっとみる
「見えないもの」を見るために。

「見えないもの」を見るために。

■半ば私事になるが、この4月より大学院生として、週に数回、庄内通いの生活を送っている。所属は社会学のゼミで、「居場所スタッフとは誰であり、彼(女)が行っているのはいかなる実践なのか」ということを、ライフストーリー法やナラティヴ・アプローチ、またはエスノメソドロジー的手法などを用いて、さまざまな角度から言語化し分析し記述する、といった研究テーマを設定している。まだ始まって1ヶ月だが、早くも自分の内側

もっとみる
リベラル/スローであるためのレッスン

リベラル/スローであるためのレッスン

■前回は、自分らがなぜ居場所を他の仕事と「兼業」しているのかについて述べた。繰り返すがそれは、「兼業」しているスタッフの姿、すなわち複数の「仮面」を状況に応じ使い分けるという私たちの生のありようを、利用者の子ども・若者たちに具体的に示すことで、文脈や背景についての想像力(これが「社会を生きる力」を構成する)を喚起するという戦略的な意図に基づいている。だが「兼業」の利点はそれにとどまらない。スタッフ

もっとみる
私たちが居場所を「兼業」する理由。

私たちが居場所を「兼業」する理由。

■総会も無事終了し(会員の皆さまありがとうございました)、ホッとしてやや気が抜けているところである。自分たちの生計をNPO事業だけで支えていくだけの財政基盤/能力は現在の「ぷらっとほーむ」には備わっていないので、例年どおりの「2(n)足のわらじ」生活がまた始まる、ということになる。一応説明しておくと、私は現在、①教師派遣会社の派遣スタッフ、②予備校の非常勤講師、③某新聞社の原稿書きなどの仕事で生計

もっとみる
汚れた社会の中心で 愛を叫ぶ。

汚れた社会の中心で 愛を叫ぶ。

■前々回の脱線空間にて、無意味で、非生産的で、下品で、しかもバカバカしい、そんなコミュニケーションが日常化しているぷらっとほーむでのありかたとその根拠となる考えかたについて記述した。簡単に言えば、生産性や意味を求められるコミュニケーションがいたるところにあふれる私たちの社会にあっては、心からホッとできる居場所とは、そうしたコミュニケーションから「降りる自由」が十分に保障された場所や機会だということ

もっとみる
はじまりの「中間支援」。

はじまりの「中間支援」。

■居場所づくりの活動に関与するようになって3年がたった。当初はフリースペースなどと言っても「何それ?」と返されることが当たり前だったが、その頃から比べると、この3年間の変化は本当に信じがたいほど急速だ。かつて自分たちもその運営にも参画していたフリースペースSORA(現在はフリースクールSORA)をはじめ複数の居場所が山形市内でも設立され、行政サイドの支援者ネットワークづくりも始まった。「不登校」や

もっとみる
居場所にリベラルの花束を。

居場所にリベラルの花束を。

■「(不登校・ひきこもりを含む)子ども・若者たちの居場所づくりの活動をしています」などというと、どうしてもマジメで堅気な(さらに言うなら、暗くて深刻な)イメージをもたれがちで、実際にフリースペースを訪れてみて、そこに流れる空気や雰囲気に驚く人も多い。そこには、バカバカしいもの、下らないもの、ナンセンスなもの、下品なもの、そしてそういったものにまつわる笑いがあふれているためだ(念のため注釈しておくと

もっとみる
「動機づけ」への照準。

「動機づけ」への照準。

■ぷらっとほーむにおけるスタッフの、子ども・若者たちとの関わりかたとは、いったいどのようなものであるか。既に各所で断片的に語ってきたことではあるが、このあたりでもう一度改めてまとめておきたい。結論的に言ってしまうが、私たちが活動の目的としてとりわけ焦点をあてているのは、「動機づけの創出/回復」ということである。「動機づけの創出/回復」に照準するとは、学校教師が行うような「指導」でも、こころの専門家

もっとみる