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「本質探し」よりも、どこで「鼻血が噴き出る」か

普段から組織や個人に宿る「本質的な価値」を探り、それを磨いて届けることをしています。

しかし、この本質的な価値を探るときに「本質を探そう」というスタンスだと、どこまでいっても他者起点になるため、うまく掘り当てられないことが多いのです。

それよりは「自分が鼻血を出すほどの興奮ポイント」を探す感覚でいます。あくまでも自分自身が鼻血を出すということ。だからこそ発見したポイントに確信を持てるんですよね。

「他人が感じた他人の価値」を自分が語ろうとしても本気のメッセージになることはない。でも「自分が感じた他人の価値」は本気のメッセージで語ることができる。

「この感情は本気で自分が感じていることなのか」と、自分の感情を正しく観察していたいんですよね。どんな思考プロセスを経て鼻血に至ったのか、ここに意識的でいたいのです。

あくまで僕の感じ方でありスタンスです。一般論とは違うかもしれませんが、大切にしているポイントです。

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