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自分の「できる」の捉え方は、他人の評価に影響されている

大人が集まる場で「絵が描ける人はいますか?」と聞いてもほとんど手が挙がりません。一方で小さな子どもたちが集まる場で同じ質問をするとほとんどの子どもたちが手を挙げます。この違いはさてどこにあるのでしょう。

そう、「できる」って言葉自体の認識が大人と子どもで違うんですよね。

僕たち大人は「できる」に「他人が評価するぐらい」って枕詞を勝手につけているんです。「できる」に対する意識は「自分がどう思うか」より「他者がどう思うか」に囚われているわけです。言い換えると「できる」は相対化しているのです。

でも、自分の「できる」は本来自分のモノなはず。そもそも字句通りの「できる」であれば、みんな絵は描けるしピアノも弾けるはずです。でも、なぜか「他者が評価するぐらいの一定のレベル感で」と枕詞をつけてしまう。純粋なcanではなくなっているんですよね。

少しでも、基準を自分自身に置くことができるとイイなぁと思うのです。特に子どもたちにはそんな意識を持っていてほしい。というより、子どもが本来持っていた「絶対的できる」が成長する過程で「相対的できる」に変化してしまうことを、なるべく押し留めたい。そんなコトを考えているのです。

ピカチュウ?、描けるよ!、ホラ!!


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