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ウクライナの国境地帯で軍事的緊張が高まる中、アメリカは何をすべきか?

11月29日現在、ロシアがウクライナとの国境に兵力を集めているニュースが世界で注目を集めています。11月19日にアメリカのシンクタンクであるランド研究所に所属する研究員Samuel Charapが発表した論説「アメリカはウクライナに対する最近のロシアの示威に対してどのように対応することができるのか?(How Could the United States React to Russia's Latest Posturing on Ukraine?)」では、これまでの経緯を含めて現状を解説しているため、外交的観点から情勢を理解する上で役に立つと思います。

まず、ミンスク合意の経緯を簡単にまとめた上で、この論説の要点をまとめます。著者の論旨は、ウクライナがロシアや武装勢力とのミンスク合意を履行するようにアメリカが働きかけるべきである、というものです。

「ミンスク合意の実施に係る包括的措置」の経緯

事の発端は2014年のウクライナ危機でした。当時、政情不安に陥っていたウクライナで、クリミアが分離独立を宣言し、ロシアがこれを編入するという事件が起きました。同時期にウクライナ東部にあるドネツク州、ルガンスク州で武装勢力が出現し、ウクライナはこれらの地域に対する支配権を喪失しました。ウクライナはドネツク州、ルガンスク州の支配権を回復するために軍隊を投入し、作戦を遂行しましたが、決定的な戦果を出すことができず、長期戦に陥っています。

外交交渉では、ウクライナがロシアに対してクリミアの返還を要求し、武装勢力に対しては武装解除を求めていますが、安定的な和平の枠組みを構築するには程遠い状況です。アメリカなどはこの問題にロシアが深く関与し、武装勢力を援助しているとして、経済制裁を発動しました。この制裁でロシアの経済には深刻な悪影響が生じています。一方でドイツとフランスがこれ以上の関係悪化に歯止めをかけようと外交努力を重ねた結果、2015年にベラルーシの首都ミンスクでウクライナ、ロシア、ドイツ、フランスの首脳会談が開催され、「ミンスク合意の実施に係る包括的措置(以下、包括的措置)」が採択されました。

この「包括的措置」は2014年に成立したミンスク合意に基づく和平に実効性を持たせるための措置であり、このミンスク合意には以下の内容が含まれていました。

(1)双方による武器の使用を停止すること
(2)欧州安全保障協力機構(OSCE:Organization for Security and Cooperation in Europe)が停戦を監視すること
(3)ドネツク州とルガンスク州の地位に関する法律を採択すること
(4)ウクライナとロシアの国境に安全地帯を設置し、OSCEがこれを監視すること
(5)捕虜を全員解放すること
(6)ドネツク州、ルガンスク州の事件に関する起訴や科刑を禁止すること
(7)包括的な国民対話を続けること
(8)ドンバス(ドネツク州、ルガンスク州)における人道状況を改善する措置をとること
(9)ドネツク州、ルガンスク州で選挙を前倒しで実施すること
(10)ウクライナの領土から不法な武装勢力、戦闘員、傭兵を撤退させること
(11)ドンバスの経済復興、社会生活再建の計画を立案すること
(12)協議に参加した個人の安全を保障すること

2015年に「包括的措置」が採択された後も武力紛争は続いており、後で述べるように適切に履行されていない状況が続いています。ロシアはドンバスの武装勢力を支援しており、アメリカはウクライナを支援してきました。2020年6月に北大西洋条約機構(NATO)がウクライナを高次機会パートナー(Enhanced Opportunities Partner)に認めたことは、ウクライナにとって大きな外交的な成果でした。

高次機会パートナーはNATOの加盟国ではありませんが、集団防衛の領域でウクライナがNATOの訓練に参加し、加盟国と軍事情報を交換し、作戦計画の立案に関与することなどが認められます。ウクライナを戦略的に支援するアメリカの外交政策は2021年1月にバイデン政権が発足してからも変わっていません。

「包括的措置」を履行していないウクライナ

論説「アメリカはウクライナに対する最近のロシアの示威に対してどのように対応することができるのか?」の中で、著者はアメリカがロシアに対する制裁措置を継続することをウクライナに約束し、11月に米・ウクライナ戦略的パートナーシップ憲章(United States-Ukraine Charter on Strategic Partnership)を結ぶなど、支援を続けていることを紹介しています。

この憲章でアメリカとウクライナは「共通の民主的価値観」、「人権と法の支配の尊重」を共有していることを確認し、「ロシアによる現在進行中の侵略」に直面するウクライナの国家主権、領域保全を支援するために関与し、戦略的パートナーシップを強化することが約束されています。アメリカがウクライナの立場を強く支持していることが伺われます。

しかし、著者はこのアメリカの外交方針の妥当性に疑問を投げかけています。この数か月の間にロシア軍が国境地帯で行った兵力の増強はそれまでの示威活動と区別すべき特異事象であり、ロシアが大規模な軍事作戦を開始する可能性が高まっているためです。ロシアが軍事行動を開始した場合、アメリカが選択できる措置は限られています。総合的に考えて、アメリカにはウクライナに侵攻したロシアに行動を変えさせる強制力がないと著者は考えています。

このような状況を踏まえ、アメリカは緊張緩和、そして戦争の回避に向けて動くべきだと著者は主張しています。そのためにはウクライナに対する影響力を行使することを早急に検討すべきであり、ウクライナが先に述べた「包括的措置」を履行するように働きかけるべきだとしています。ウクライナは2015年の「包括的措置」を履行していないためです。

先に「包括的措置」の経緯で取り上げたミンスク合意の内容を改めて確認して頂くと分かると思いますが、この合意の内容はウクライナにとって決して有利なものではありませんでした。当時、ウクライナがこれを受け入れざるを得なかったのは、ウクライナ軍が戦闘に敗れ、大きな損害を出したばかりだったためです。またドイツやフランスの説得も一定の効果がありました。

もしミンスク合意を履行すれば、ウクライナはドンバスを実効支配する武装勢力に対して法的な地位を認めざるを得なくなり、武力でこの地域を支配した反徒を犯罪者として罰することは二度とできません。そのため、ウクライナはミンスク合意の中でも政治に関する条項の履行に抵抗しています。ロシアや武装勢力はウクライナがミンスク合意を完全に履行しないことを理由に、武力紛争を継続することを正当化しているのです。

ミンスク合意を履行しないことで時間の猶予を獲得したウクライナは西側への接近を急ぎました。アメリカがウクライナを強力に支援していることはすでに述べた通りですが、それはアメリカが主体的にロシアに対抗する側面もありつつ、ウクライナの外交がアメリカから支援を引き出したという側面もありました。ウクライナが「包括的措置」について再交渉することを要求するようになっていることも、ロシアや武装勢力を苛立たせています。ロシア軍が国境地帯に兵力を集結させているのは、ウクライナの外交方針がもたらした結果であるとも言えると著者は考えています。

著者はロシアはアメリカとの関係を強化するウクライナの動きに対抗するためにも、国境に兵力を集結させ、事態をエスカレートさせ、譲歩を引き出す必要があると判断したのかもしれないと推定しています。つまり、ロシアは、このまま事態の推移を見守るだけでは「包括的措置」で獲得した外交的成果を失う恐れがあると判断したということです。ウクライナに対するロシアの実際に侵攻が起これば、ヨーロッパ諸国に深刻な影響が出ることは避けられないでしょう。それゆえ、著者は大規模な戦争を回避するためには、アメリカがウクライナにミンスク合意を履行するように働きかけるべきだと主張しているのです。

ミンスク合意を履行したくないウクライナの事情

ミンスク合意はロシアに強制された合意であるため、アメリカがそれをウクライナに受け入れるように働きかけることに積極的ではないことは当然のことである、と著者は理解を示しています。

ロシアのウクライナ侵略を非難するアメリカの立場からすれば、ウクライナは被害者であり、加害者の脅迫に屈するように説得することは道義的に許されないかもしれません。しかし、ウクライナに侵攻したロシア軍と交戦し、撤退に追い込めるだけの意志と能力が今のアメリカ政府にあるのか著者は問いかけています。

ウクライナがミンスク合意に立ち返ることを目に見える形で約束するのであれば、ロシアにエスカレーションを回避し、国境から軍隊を撤収させ、外交交渉によって問題を処理するように仕向けることができる「可能性が高い」というのが著者の見解です。もちろん、ロシアが予想した通りに動くとは限りませんが、この問題を解決する上で適用可能な軍事的手段が限られている以上、外交的手段による事態の打開を目指さなければなりません。

「もしロシアに撤退を強いることができるならば、このような不愉快な妥協をしなくてもよいだろう。しかし、そのような妥協が必要とされている。ロシアはウクライナのために戦う覚悟があることを示しており、その覚悟はアメリカや欧州連合よりもはるかに強固なものである」

この著者の提言には同意できないとしても、ウクライナとそれを支援するアメリカの立場の隔たりを理解する上で有益な分析ではないかと思います。また、ロシアが強い意志を持っているという点でも、直ちに作戦に投入できる兵力の規模が優勢であるという点でも、危機交渉において優位に立っていることが分かる内容だと思いました。

実際に開戦すれば、ヨーロッパの戦略環境は一変し、アメリカも覚悟を固めるでしょうが、危機の段階に踏みとどまっている限り、アメリカは軍事的手段ではなく、外交的手段で事態を鎮静化させたいと願うでしょう。つまり、著者が述べる通りウクライナに対する説得に乗り出すかもしれません。ウクライナとしてはロシアとの戦争にアメリカを巻き込まなければならないため、あえて事態をエスカレートさせる道を選ぶかもしれません。

見出し画像:USDoD

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