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勢力の優劣が不明確であることのリスクを説いた『戦争の原因』(1988)の紹介

数多くの思想家、著述家、研究者が戦争の原因をめぐって議論を交わしてきました。その中には価値ある学説もあれば、間違っていた学説もあります。それらを注意深く選別し、戦争の原因を探っているのがオーストラリアの歴史学者ジェフリー・ブレイニー(Geoffrey Blainey)の『戦争の原因(The Causes of War)』です。初版が1973年代に出版されているので、政治学の研究書としては少し古い部類に入るかもしれませんが、今でも研究上の価値を失わない古典的業績です。

日本語にも翻訳されていますが、1973年の初版を底本にした訳書しか出ていないようで、現在では絶版となり、入手は困難になっています。しかし、戦争の原因をめぐる誤解や混乱を丁寧に整理し、本質的に重要な原因を特定する上で重要な仕事をしています。この記事では1988年に出版された3版に基づいて、その内容の一部を紹介します。

Blainey, G. (1988). The Causes of War, 3rd edition, New York: Free Press.(邦訳『戦争と平和の条件:近代戦争原因の史的考察』中野泰雄、川畑寿、呉忠根訳、新光閣書店、1975年)

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貿易平和論の誤り

1815年にナポレオン戦争が終結して以来、ヨーロッパでは平和な時代が長く続き、工業化の時代に移行しました。この経験から、国家間で交通網や通信網が発達し、貿易が拡大し、世界経済が一体化すれば、戦争は自然となくなっていくという説がイギリスで生まれ、ヨーロッパでも広まっていきました。19世紀のイギリスで著名な歴史学者だったヘンリー・バックル(1821~1862)はその代表的な論者として取り上げられています。

バックルは人類の進歩が歴史の法則に従うと主張した進歩主義的な知識人でした。貿易が戦争に取って代わったと主張し、鉄道や船舶が普及し、人々の社会的、経済的な接触が増えるほど、相互に「尊敬の念が高まる」と予想されていました。彼の見解によれば、戦争は「古い精神」に起因して起きるので、「新しい精神」に目覚めた文明国が武力で争うことはなくなります。「野蛮な」君主国であるロシアやトルコはクリミア戦争(1853~1856)のような戦いを繰り広げますが、イギリスやフランスは「野蛮な敵の侵略から文明世界を守るために」軍事的な介入に踏み切ったのであって、それは自国の利己心によるものではないとされていました。

著者はバックルの間違いを指摘するために、さまざまな具体的反証を提示しているのですが、同時にバックルの進歩主義は当時のヨーロッパの思想で強い影響力を保持してきたとも指摘しています。貿易が戦争に取って代わり、先進的な文明国は野蛮な戦争に訴えることはなくなるという見解は、1914年に第一次世界大戦が勃発すると同時に放棄されるかと思われました。しかし、第一次世界大戦が終結すると、知識人は軍拡競争こそが戦争の根本原因であったと考えるようになり、各国の軍備を縮小する国際的な努力こそが平和の維持に寄与すると主張し始めました。

著者は、この思想は従来の進歩主義の信条を継承したものとして影響力があったとしており、戦間期の軍備縮小、軍備制限の潮流に重要な影響を与えたと説明しています。しかし、それは確たる根拠に基づくものではなく、結果として次の戦争を引き起こす一因になりました。1938年のチェコスロバキア危機を引き起こしたアドルフ・ヒトラー総統に対し、平和的な解決を目指して宥和したイギリスのネヴィル・チェンバレン(1869~1940)首相の事例を取り上げた上で、著者は彼が今ではヒトラーに弱腰だったと批判されることが多いものの、武力によらず平和を維持することが可能だと信じる当時の進歩主義の見解を代表していたと述べています。結果的に、チェンバレンがヒトラーに対して行った宥和が戦争を防ぐことにはならず、1939年に第二次世界大戦が勃発しました。

著者の見解では、貿易の拡大、技術の発達、文明の進歩が平和をもたらすという説明は客観的な根拠が弱く、19世紀の限定的な時期にしか適用できないものでした。それは誤解に基づく説であったとして、著者は次のように説明しています。

「19世紀に平和の要因として歓迎されていた変化の多くが、平和の効果であったと考えられる。思想、人々、そして商品が国境を越えて簡単に往来できるようになったことは、平和の影響として極めて重要だった。そのような流れが平和の助けになった可能性はある。それと同じように、人間の本性を楽観的に評価し、文明が発達したと信じられたのも、19世紀が比較的平穏な時期だったためである。戦争がより長く、より悲惨なものであれば、このような楽観主義があれほど盛り上がることはなかっただろう。(イギリスの工業都市)マンチェスター流の平和論は、ある意味において、羊の顔が赤いので健康であると分かるので、病気の羊を治療するには羊の顔を赤くすればよいとする詐欺師の診断と同じようなものであった」(p. 30)

勢力均衡論の誤り

著者は戦争の原因として勢力関係に注目する議論を肯定的に評価しています。しかし、そのすべての議論が一様に正しいと考えているわけではありません。勢力均衡(balance of power)の考え方については実証的な根拠が乏しく、間違った部分があると批判を加えています。

勢力均衡は意味が必ずしも明確な概念ではありません。ただ、それは平和の条件と見なされてきました。この考え方によると、一方の国や陣営が他方の国や陣営を圧倒できないような対称的な勢力関係が形成されることが重要であり、それによって平和を維持することができると説明されていました。

しかし、歴史から導き出されているのは逆のパターンであり、ナポレオン戦争が終わった1815年、普仏戦争が終わった1871年、第一次世界大戦が終わった1918年、そして第二次世界大戦が終わった1945年の各国の勢力関係は極めて非対称的であったと著者は主張しています。平和を回復する上で、一方の陣営が他方を圧倒できる軍事的優越を確立することの意義はしばしば軽視されてきたと著者は考えています。この観点で見れば、戦争が勃発する原因は軍事的な優越が曖昧になるためであると考えられます。

著者は、外交交渉が失敗に終わることと戦争が勃発することの間には密接な関係があり、戦争を理解する上で最も重要な問題であるとさえ述べています。数多くの歴史学者が「外交の断絶によって戦争が引き起こされた」と主張してきましたが、それは冬の終わりが春の始まりだったと述べているのと大した違いがなく、因果関係の説明として適切ではありません。著者がより重要なポイントであると指摘しているのは、各国ごとの軍事的能力の優劣をめぐって、それぞれの国の指導者の認識が異なっていたことです。このような状況では、外交よって合意を形成することができなくなると考えられています。このことを著者は独特な表現で説明しています。

「外交の難しさは、商取引と同じように、取引において受け入れられる価格を見出すことにある。銅のような商品の価格が、銅の供給と需要が均衡する点をおおむね表しているように、外交における取引の価格は、一方の国が支払う意志と他方の国が要求する価格が一致する点をおおむね示している。ところが、外交の市場は商取引の市場ほど洗練されてはいない。政治の世界で使われる通貨は、経済的な通貨ほど簡単に比較計量できない。外交の市場における売買は物々交換に近く、交換手段が存在しなかった古のバザールのようなものである」(p. 115)

外交交渉が物々交換に例えられているのは、取引される財を分割することが不可能であることを意味しています。軍事的能力で圧倒的な立場にある国家が存在するのであれば、その国家は交渉相手の他方の国家から譲歩を引き出し、合意を形成することが可能でしょう。

しかし、軍事的に能力が拮抗した状態、つまり勢力均衡の状態であれば、双方が外交的に合意を形成しなければ戦争になる場面で一方的に譲歩を求めることができなくなり、結果として開戦に繋がる恐れがあります。著者は戦争の原因を理解する上で、外交交渉における効率的な取引の難しさを重視しているからこそ、勢力均衡は勢力関係の優劣を曖昧にするものであり、平和を危険に晒すと批判しているのです。

まとめ

戦争の原因を論じた著作はたくさんありますが、その多くは研究の蓄積に埋もれていき、読まれなくなっていきます。しかし、『戦争の原因』は過去の戦争原因論を選別した上で、戦争の原因を交渉の困難と結びつけることによって、より明確な分析の視点を読者に与えてくれています。圧倒的な軍事力の優越が、外交交渉を成功させる助けとなること、平和を維持するための礎になるという著者の主張は、より多くの人々に知られる価値があると思います。

政治学史では、覇権安定論、勢力移行論の流れをくむ主張として位置づけることが可能で、例えばオルガンスキーの『世界政治』(1958)を併せて読むと理解が深まると思います(勢力移行論を確立し、世界情勢を予見した古典的著作『世界政治』(1958)の紹介)。また、能力ではなく、認識の違いによって、外交交渉の合意形成が困難になることに関してはトーマス・シェリングの分析で興味深いものがあります(メモ フォーカル・ポイントとは何か、なぜ戦略の研究で重要なのか?)。外交交渉の失敗で戦争の原因を説明する研究は、現在では戦争の交渉モデルの研究に移行しています(合理的な国家が戦争を選ぶ3条件を説明したフィアロンの交渉モデル)。

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