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国内政治と国際政治の狭間で政治家の能力が試される:キッシンジャーが語るステーツマンシップの意義

ヘンリー・キッシンジャー(1923年~)はアメリカ政府で外交政策を担当した経験がある政治学者であり、専門領域は外交史や核戦略などを中心とした国際政治学です。彼の著作の一つ『回復された世界平和(A World Restored: Metternich, Gastlereagh and the Problem of Peace, 1812-1822)』(1957)では、19世紀のヨーロッパで展開された国際政治に注目し、当時各国の政治家が国内外の勢力の利害関係をいかに処理していたのかを分析しました。

この著作でキッシンジャーは国内政治と国際政治との間に生じる対立を処理する能力、ステーツマンシップ(statesmanship)の重要性について論じています。今回の記事ではステーツマンシップに関するキッシンジャーの議論を紹介してみましょう。

なぜステーツマンシップが重要なのか

そもそも、ステーツマンシップとは何を意味しているのでしょうか。一般にステーツマンシップとは、目先の政局の利害にとらわれず、広い視野で国家の大計を考え、それに必要な政策を実施する政治的能力のことを言います。この言葉を理解するためには、目先の政局上の要求と、長期的な視野で見た政策上の要求がしばしば対立するということを知っておかなければなりません。

例えば、日本のような民主主義の下では有権者が政治家を判断する際に、保守派なのか、それとも革新派なのかといったイデオロギー的な立場が基準になりがちです。イデオロギー的な立場に基づく政治家の分類を使えば、政治についてあまり詳しくない有権者であっても、投票先を簡単に選択できるようになるためです。選挙において有権者はそれぞれの価値観や情勢判断を踏まえ、自分に最も近いイデオロギー的立場をとると考えられる政治家に投票します。そして、最終的に当選した政治家に権力を付与するのです。

もしその政治家が不正を働き、意に反する政策を実施し、あるいは説明責任を果たさなければ、有権者は次の選挙でその政治家と対立する候補に投票することで、その政治家を罰することができます。政治家に有権者の投票行動を意識させ、その政治行動をコントロールすることが民主主義の重要な特徴であり、政治家は有権者の意に沿うように自らのイデオロギー的な立場を修正するように促されることになります

もし有権者の過半数が好むイデオロギー的な立場が特定国に対して排外的、攻撃的な姿勢をとることを求めている場合、政治家は国内政治において有権者の支持基盤を確保するために、国際政治の領域で他国と対立を深めるような強硬な政策を選ばなければなりません。

反対に、有権者の過半数があらゆる国に対して平和的な関係を維持し、一切の軍事行動を避けるように政治家に要求している場合、脅威を及ぼす国であっても穏健な政策をとる必要があるため、自国の安全を確保することは難しくなるでしょう。いずれにしても、イデオロギー的な立場に固執していたのでは、実現性のある政策を実行することはできないと考えられます。だからこそ、ステーツマンシップが重要な意味を持つと考えられます。

ステーツマンシップにおける外交と内政

キッシンジャーは国際政治の歴史を通じてこのような問題が起きていることを指摘した上で、政治家がどのようにステーツマンシップを発揮しているのかに注目するべきだと述べています。つまり、政治家は国内において支持を固めると同時に国外で選択可能な政策を選び取ることができなければならないのです。キッシンジャーはその意義を次のように説明しています。

「しかし、政治家を評価する場合、その構想だけで判断するのは十分ではない。というのは、政治家は、哲学者とちがって、自己の構想を実行に移さねばならないからである。そうなってくると、政治家は、必然的に、自分に与えられている素材が動かしがたいものであるという事実に直面すると同時に、外国は、巧みにあつかえる要素ではなく、調和していかなければならない勢力であるという事実にぶつかるのである」(『回復された世界平和』575頁)

このように、キッシンジャーにとって外交はステーツマンシップの重要な要素です。外交的手段によって問題を解決するためには、相手を説得しなければなりません。たとえ、軍事的手段を組み合わせた対外政策を採用するとしても、最後には和平を成立させなければなりません、相手が自分とどのような関係を結ぶ可能性があるのかを正確に見極め、そこに到達できるように説得を重ねる必要があるのです(同上)。

それと同時に、政治家は国内政治において支持を確保できるかどうかを判断しなければなりません。多くの国民が外交政策に反感を示すとキッシンジャーは述べています。なぜなら、国内的には正義であると考えられている事柄が、国際的に見れば交渉の対象でしかなく、そのこと自体が国民の常識に反するためです(同上、579頁)。

国内で暮らす人々にとって自由、平等、平和、人権、法の支配などの意味は明らかですが、国際政治では国の立場によってその意味が大きく異なっており、特定の解釈を押し付けることはできません。そのため、政治家が選択する外交政策は往々にして国民から誤解され、あるいは非難されます。キッシンジャーの見解によれば、政治家は非難を受けることを覚悟した上で、辛抱強く国民に説明しなければなりません。

「政治家は、教育者でなければならない。政治家は、国民の経験と自分のヴィジョンんとの間のギャップ、国家の伝統とその未来との間のギャップをうずめようとしなければならないのである。この仕事の中で、政治家の可能性が限定されることになる。国民の経験をあまりにも超えている政治家というものは、カースルレイが例証しているように、その政策がいかに賢明であっても、国内的な合意を達成することには失敗するであろう」(同上、580頁)

ここでキッシンジャーが名を挙げているカースルレイは、カースルレイ子爵ロバート・ステュアート(1769~1822)のことであり、ナポレオン戦争が終結した後で開催されたウィーン会議にイギリス代表として参加し、ロシアとプロイセンがフランスに突き付けた過大な要求を抑え込むことで、戦後のウィーン体制への移行に尽力した外交官でした。彼は国内でヨーロッパ大陸の情勢にイギリスが深く関与することに反対する勢力から非難されることになりました。

まとめ

キッシンジャーが語るステーツマンシップの意義を理解すれば、常に有権者の意に沿った言動を見せる政治家が、必ずしも「よい政治家」であるとは限らないことが分かります。国家を統治する立場にある政治家は時として国内で強い反発を受けることを覚悟してでも、必要な政策を実行しなければならない場合があるためです。

むろん、キッシンジャーは国際政治が多くの国民に理解しがたいものであったとしても、政治家は忍耐強く説明する努力を怠ってはならないとも主張しています。国際政治では秘密保全の観点から政策選択の理由を完全に明らかにできない場合も少なくありませんが、だからといって説明責任を放棄してもよいということにはなりません。外交と内政を両立させる道筋を探ることが政治家の責務であると言えます

参考文献

Kissinger, Henry A. 1957. A World Restored: Metternich, Gastlereagh and the Problem of Peace, 1812-1822, Boston: Houghton Mifflin.(邦訳、キッシンジャー『回復された世界平和』伊藤幸雄訳、原書房、2009年


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