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メモ フォークランド紛争の事例で考える対潜戦の重要性

1982年3月、アルゼンチンが南大西洋のフォークランド諸島を攻撃し、軍事占領に成功しました(フォークランド紛争)。イギリスは直ちに軍隊を動員し、領土奪回を図るための任務部隊を編成しました。アルゼンチンはフォークランド諸島の実効支配を既成事実化していたので、イギリスの任務部隊の接近を阻止することが重要な作戦上の課題でした。

アルゼンチン海軍の情報部は、メディアの公開情報からイギリス海軍がフォークランド諸島に複数の潜水艦を投入してくることを察知していたようです(Train 1986: 35)。しかし、イギリス海軍が戦域に投入した潜水艦には長期潜航が可能な原子力潜水艦が含まれており、これを捜索することは容易なことではありませんでした。結局、1982年4月3日にイギリス海軍のチャーチル級原子力潜水艦コンカラーが発射した2本のMk8魚雷で、アルゼンチン海軍は巡洋艦ヘネラル・ベルグラノを沈められています(Woodward 1992: 160)。アルゼンチン海軍は2隻の駆逐艦を送り、対潜捜索を実施しましたが、対潜捜索において重要な装備である対潜哨戒機が不足しており、コンカラーの離脱を許してしまいました(Woodward 1992: 163)。

自らの対潜戦の能力不足を認識したアルゼンチン海軍は、さらに損害が拡大するリスクを考慮せざるを得なくなり、フォークランド諸島の周辺に水上艦艇を展開することに慎重になりました。その代わりに潜水艦サン・ルイスでイギリスの水上艦艇を襲撃させています。しかし、この打開策も上手くはいきませんでした。イギリスの任務部隊は対潜哨戒機をそれぞれに備えたフリゲートと駆逐艦10隻以上を投入しており、対潜哨戒を厳重に実施していたので、サン・ルイスも自艦の安全を確保することを優先せざるを得ませんでした。最終的に基地に戻るまで1隻の戦果も上げることができていません(Hastings and Jenkins 1983: 38-9)。

対潜戦の能力が海上戦の推移に与える影響を考える上で興味深い事例ですが、当時のイギリスの任務部隊の対潜戦が順調であったわけではないことも指摘しておく必要があります。イギリスは作戦を通じて潜水艦に対する警戒を厳しく行っていたので誤探知が増加していました。さまざまな音響が縦横無尽に反響する海中から潜水艦の音だけを拾い上げることは技術的に難しい問題であり、艦艇が1時間にわたる追跡を行った後で、その正体がクジラだと確認される事例も決して特異ではなかったという証言もあります(Woodward 1992: 98)。海上作戦において対潜戦の能力を持つことが重要であるものの、それを遂行するために多くの戦力と時間を必要とすること、また、その成果が確実なものではないことも併せて認識しておくことが必要だと思います。

ちなみに、5月1日にアルゼンチンのサン・ルイスは潜航中にパッシブ・ソナーから得られた位置情報だけを用いて魚雷による攻撃を実施しています。この攻撃は武器の機能不全で失敗に終わりました。サン・ルイスはすぐにイギリス海軍のフリゲート3隻から20時間にわたる追跡を受け、魚雷と爆雷で執拗に攻撃を受けていますが、最後には離脱に成功し、任務を続行することができました。通常動力型の潜水艦1隻を撃破するための捜索がいかに難しいものであるかを示す事例であると思います。

見出し画像:ARA Belgrano 1982

参考文献

Hastings, Max, and  Simon Jenkins. (1983). The Battle for Falklands, New York: W.W. Norton & Company.

Train, Harry D., II, (1986). An Analysis of the Falkland's Malvinas Campaign Understanding the Issues: A Case Study. Naval War College Review, Vol. 41, No. 1, pp. 33-50. https://digital-commons.usnwc.edu/nwc-review/vol41/iss1/5/

Woodward, Sandy. (1992). One Hundred Days: The Memoirs of the Falklands Battle Group Commander, Annapolis: Naval Institute Press.

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