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いかにキリスト教はローマ帝国で広まったのか?『キリスト教とローマ帝国』の書評

キリスト教はイエスを救い主として信仰する宗教であり、ヨーロッパの政治、経済、社会に多大な影響を及ぼしました。歴史的には1世紀にユダヤ教から分離して独自の組織を形成したことがその始まりであり、4世紀の初期にローマ帝国の公認を受けるほどの信徒を獲得していました。

この初期キリスト教の歴史が政治的に興味深いのは、1世紀に布教が始まってから、何度も迫害を受けたにもかかわらず、313年にローマ帝国の皇帝コンスタンティヌス一世がミラノ勅令で公認するだけの勢力に成長している点です。300年足らずでこれだけの成長を遂げた要因は、いったい何だったのでしょうか

この問いに答えるため、宗教社会学の研究者ロドニー・スタークは著作『キリスト教の台頭:ある社会学者が歴史を再考する(The Rise of Christianity: A Sociologist Reconsiders History)』(1996)を出版しています。日本語では『キリスト教とローマ帝国:小さなメシア運動が帝国に広がった理由』(2014)というタイトルで訳書が出ています。

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推計された信徒の増加率は10年で40%ほど

スタークは宗教経済理論を専門とする研究者であり、その方法の特徴の一つは計量的アプローチにあります。『新約聖書』の『使徒言行録』において、30年ごろにイエスが十字架刑に処刑された時期、つまり最初期のキリスト教徒の人数が120人ほどで、60年ごろまでに4000人、あるいは「幾万人」に増加したという記述があることを紹介しています。これらの数値には明らかに誇張があると考えられるので、スタークは40年にいたキリスト教徒の人口はおよそ1000人ほどだったと推計するところから始めます。

ま先行研究を踏まえて、4世紀にローマ帝国の皇帝コンスタンティヌス一世がキリスト教を公認した当時のキリスト教徒の人口は、500万人から750万人の間であったと推定することができます。40年の時点で1000人いたキリスト教徒が4世紀にこれだけの数になるためには、増加率が10年で40%、つまり1年で3.42%である必要があります。

これらの条件を踏まえて簡単なシミュレーションを行うと、40年に1000人いたキリスト教徒は、50年に1400人、100年に7,530人、150年に40,496人、200年に217,795人、250年に1,171,356人、そして300年に6,299,832人と増え、350年を過ぎた時点で33,882,008人になります(19頁)。ちなみに、250年の時点でローマ帝国の総人口6000万人に対するキリスト教徒の人口比は1.9%に過ぎませんが、300年には10.5%、350年には56.5%になるとも考えられます。

スタークは19世紀にアメリカで誕生したキリスト教の系統に属する新宗教モルモン教の過去100年の平均成長率が43%であることを示しながら、10年で40%の増加率は理論的に妥当性があるだけでなく、現実的に達成可能な数値であると論じています(同上、18-9頁)。

もちろん、350年以降のキリスト教の増加率は減少していったはずです。というのも、ローマ帝国の内部でキリスト教に改宗していない人の割合が減少すると考えられるためです。この点についてスタークは350年以降の状況をこの方法で推定することはできないと述べています(27頁)。

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