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どのようにして兵士は戦う意志を貫くのか?『戦闘動機づけ』の紹介

軍隊で新兵訓練を受けた兵士は、まず教練に従って機械的に動く方法を身に着けます。この訓練を通じて兵士は個人ではなく部隊として行動する規律を習得するのですが、だからといって武装した敵を目の前にして冷静沈着でいられるわけではありません。

銃口を向けられた際に恐怖を感じ、戦友が次々と戦死する状況で混乱することは当たり前の反応です。だからこそ、敵と戦うためには、兵士一人ひとりが強い意志を持って臨むことが欠かせないのです。

研究者Anthony Kellettの著作『戦闘動機づけ:戦闘における兵士の行動(Combat Motivation: The Behavior of Soldiers in Battle)』(1982)は心理学の理論で兵士がいかに戦う意志を形成しているのかを分析した研究成果であり、戦場で部隊が士気を保つために必要な要因を考える上で有意義な知見です。

社会心理学では兵士の士気を動機づけ(motivation)という用語で捉えることができます。動機づけは特定の方向に向かって行動を形成し、それを持続させる過程であり、個人の欲求によって強化される場合もあれば、外部環境からの働きかけで強化される場合もあります。

従来の研究者は前線で兵士が戦闘行動を持続させる動機づけを少数の要因、例えば団結、イデオロギー、リーダーシップなどにまとめようとしてきましたが、著者はそのような単純化した理論は誤解を招くと批判しています。実際に兵士を戦闘に駆り立てる理由は多種多様であり、少なくとも個人的要因、組織的要因、社会的要因、状況的要因からなる4種類のカテゴリーが必要だと著者は述べています。

この記事ではそれぞれのカテゴリーに含まれる要因を網羅的に解説しませんが、特に興味深い議論として、戦闘が始まる前と後では兵士の戦闘動機づけが再構成されることを明らかにした分析を紹介しましょう。戦闘が始まる前の段階では、兵士は自分に身体的な危険が及んでいるとは感じられないので、戦争の大儀を説明する観念的なイデオロギーの働きが戦闘動機づけを形成しやすい傾向があります。

しかし、いったん戦闘が開始されてからは、兵士は死の恐怖を強く感じる状況を認識するため、その直後から動機づけが切り替わります。すると、それまで表に出てこなかった自己保存の欲求が強く作用する精神状態になり、それが戦闘行動を形成する大きな動機づけに取って代わります。この状況と動機の相互作用はダイナミックな過程であり、状況に連動して刻々と変化します。所属する部隊との一体感、指揮官のリーダーシップなども兵士の戦闘行動に重要な影響を及ぼすと考えられていますが、兵士が状況をどのように認識しているかによって変化する性質のものであり、常に一定の効果が得られるものではないと著者は論じています。

一般的に兵士が自己保存の欲求を強くすると、士気が挫かれ、戦場から逃げ出しやすくなると思うかもしれませんが、著者はそうとは限らないと考えています。むしろ、兵士は生き残るために、勇気を振り絞って戦おうとすることがあります。敵の部隊に対して背を向け、ばらばらに逃げ出せば、もはや組織的な部隊行動で対抗できないので、死の危険がかえって大きくなることを多くの兵士はよく認識しています。戦い続けるために十分な仲間、武器、戦術を利用できる状況であれば、兵士は自己保存の欲求に従うことで、危険と折り合いをつけながら戦闘を続行しようとするでしょう。

著者の見解によれば、戦闘動機づけにおいて自己保存の欲求が果たす役割は通常想定される以上の強さがあり、指揮官はその影響を織り込んで部隊を運用しなければなりません。著者は兵士一人ひとりが不測の事態でも対処できるという自信を持っていることが、戦闘間において優れた能力を発揮する上で重要だと指摘しています。自信は経験に由来しているので、事前に周到な訓練を施しておき、十分な装備や兵力を与えることが士気の維持に寄与するでしょう。

1982年の文献なので、第二次世界大戦からベトナム戦争にかけて蓄積された調査に依拠しており、最新の研究状況を反映した内容ではなくなっています。しかし、2013年に再版されているように、今でも読者を得ている軍事心理学の文献であり、戦場心理を考える上で有益な一冊であり続けていると思います。

見出し画像:U.S. Department of Defense

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