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翻訳資料 シェリング「ベルリン危機における核戦略」(1961)

軍事学では政治的目的を達成する方法の一つとして、核による脅しや使用に関する核戦略の研究が行われてきました。この研究分野は1960年代に飛躍的に発展を遂げることになり、危機管理の研究にも繋がるのですが、そのような研究が促された時代背景として、1961年に第二次ベルリン危機が起きたことが関係しています。翻訳資料の内容を説明する前に、この危機について簡単に説明しておきます。

第二次世界大戦終結後、ドイツは西側陣営に属する西ドイツと東側陣営に属する東ドイツに分断されましたが、東ドイツの首都ベルリンも市内の空間が東西陣営に分断されていました。これは終戦時に合意された占領規約の規定のためであり、この規約によってアメリカ軍、イギリス軍、フランス軍は部隊を西ベルリンに駐留させていました。西ベルリンは東ドイツからの脱出を図る市民の流入が後を絶たず、その市民の多くは高学歴、高技能な労働者でした。ソ連と東ドイツは経済開発に必要な彼らの流出を阻止する必要がありました。そこで1958年にソ連は東ドイツと平和条約を締結するので、西側諸国の占領権は消滅するため、西ベルリンの駐留部隊も撤退しなければならないと一方的に主張してきました。西側はこのような現状変更に反対し、米ソ間で交渉が繰り返されましたが、解決の糸口が見えない状況でした。

このような情勢の中で1961年1月にアメリカ大統領に就任したのがジョン・F・ケネディでした。ケネディは6月4日にオーストリアのウィーンで開催された首脳会談でソ連のニキータ・フルシチョフ中央委員会第一書記とベルリン問題について話し合いました。フルシチョフは西ベルリンから駐留部隊を撤退させるか、さもなければ東ドイツを国家として承認するように要求しましたが、ケネディはいずれも受け入れることはできず、合意形成は極めて困難な状況でした。ソ連としては要求が受け入れられなかった場合、西側諸国の駐留部隊に認めてきた西ベルリンの交通を遮断して封鎖するつもりであることも伝え、西側がこの封鎖を突破すればソ連はそれを東ドイツに対する武力攻撃と見なし、軍事的措置をとると警告しました。

このような状況に直面したケネディは軍事的措置を講じるにあたって専門家に助言を求めました。シェリングは1950年代の後半から核戦略に関する研究で高い評価を受けていた研究者であり、核兵器は通常兵器のように戦場において軍事的な優位を得るために使用されるべきではなく、ソ連との交渉においてアメリカの意思の強さを伝えるための手段として運用すべきだと主張していました。以下に訳出した資料はシェリングがケネディのために核戦略の基本的な考え方を解説している資料であり、日付は1961年7月5日となっています。この内容はケネディに深い印象を与えたようであり、その後の危機交渉を進める方法に影響を及ぼしたと推測することができます。

ただ第二次ベルリン危機の結果については、ケネディにとって厳しいものに終わりました。1961年8月12日に、東ドイツが一方的措置としてベルリンの壁の建設工事を開始したとき、アメリカ軍は西ベルリンに部隊を展開することで対応しましたが、8月31日にはソ連は1958年から停止していた核実験を再開すると声明を出して、エスカレーションを進めてきました。10月27日にはベルリンの市内で米ソ両軍の地上部隊が対峙しましたが、ベルリンの壁が完成し、人口の流出に歯止めをかけることが可能になったことで、いったん事態は落ち着きを取り戻しました。その後、翌1962年のキューバ危機でケネディは再び危機交渉に臨むことになります。

ベルリン危機でアメリカの指導者が核戦略の論理をどのように参照していたのかを知っていれば、当時の指導者の意思決定を理解しやすくなると思います。原文はアメリカ国務省のウェブサイトでオンライン公開されているので、英語でも構わない方はそちらで確認することを推奨します(Foreign Relations of the United States, 1961–1963, Volume XIV, Berlin Crisis, 1961–1962, Document 56: Paper Prepared by Thomas C. Schelling)。

出典情報:Schelling, T. C. (1961). Nuclear Strategy in the Berlin Crisis, in Trachtenberg, M. ed. (1988). The Development of American Strategic Thought: Writings on Strategy, 1961-1969, and Retrospectives, New York: Garland Series.


ベルリン危機における核戦略

トーマス・シェリング

 ベルリン危機が軍事行動、特に我々が軍事行動を開始することにつながるならば、多くの人々が最初から核兵器を使用すべきではないことに同意している。本稿はヨーロッパにおいて核兵器に頼らざるを得なくなった場合の核兵器の役割について述べたものである。

 ヨーロッパにおける核兵器の役割は、大規模な核戦争に勝利することではなく、敵により高い水準のリスクをもたらすことである。大規模な地域核戦争が全面戦争に発展せずに推移する可能性はごくわずかでしかない。戦争が一時的に停止するか、あるいは全面戦争に発展するかのいずれかである。もし全面戦争になれば、地域的核戦争で得られる成果は(そのようなものが仮にあったとしても)ほとんどない。
 限定核戦争で重要なことは、ソ連の指導者たちに全面戦争のリスクを印象づけることである。核兵器が導入されたならば、その主要な影響というのは戦場で見られるものではなく、全面戦争の可能性が高まり、その期待が高まることにある。彼我の戦略核兵器部隊の状況に比べれば、局地的な戦場の状況はあまり注目されなくなるだろう。したがって、核兵器はヨーロッパで使用されるとしても、主に戦術目標を破壊するためではなく、ソ連軍首脳部に影響を与えるために使用されるべきである。

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