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論文紹介 研究者が大学教育における抑止論の内容を刷新すべきだと主張している

アメリカの大学教育では政治学、特に国際政治学の授業で抑止論が教えられてきましたが、2020年にその教え方を抜本的に見直すべきと主張する論文が発表されています。日本の大学で政治学を教えている自分としても、非常に有益な内容だったので、その内容をかいつまんで紹介します。

Lana Obradovic & Michelle Black (2020) Teaching Deterrence: A 21st-Century Update, Journal of Political Science Education, 16:3, 344-356, DOI: 10.1080/15512169.2019.1575228

そもそも、アメリカの大学生のほとんどが抑止というものを理解していない現状があることが指摘されています。これは全国規模で行われた調査の結果によって裏付けられています。第二次世界大戦が終結してから、抑止という概念はアメリカ政府の政策、戦略の基本概念であったにもかかわらず、世間ではその意味がほとんど理解されていないことは、深刻な教育課題として受け止めなければならないと考えられています。

さらに、抑止を理解している学生に対する調査を行うと、彼らの抑止の理解が冷戦時代に構築された時代遅れの抑止論を前提にしていることが分かります。つまり、学界において時代遅れになっている研究成果が、大学教育の現場で新しい研究成果に置き換えられていないのです。

著者らは冷戦期の抑止論の古典を課題文献から外して、より最近の文献を課題文献に取り入れ、教育の内容を見直すことを提案しています。以前のツイートで紹介したBrackenの『第二の核の時代(The Second Nuclear Age)』(2013)は特に重要な文献として取り上げられています。

この著作は、冷戦時代の抑止の研究は基本的にアメリカとソ連の二極構造として特徴づけられる国際システムを前提にしていたことを指摘し、現代の抑止論はより多極化が進んだ国際システムを前提にして研究されなければならないと主張しています。今後の国際政治の展開を考えるならば、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国、インド、パキスタン、そして北朝鮮のような国々がそれぞれ核兵器を保有している状況を踏まえた上で、抑止の枠組みを構築しなければなりません。

これは余談になりますが、新たに核兵器を取得した国家は、以前から核兵器を保有している国家とは異なる軍事行動のパターンを見せる傾向があることが分かっています。例えば、ホロウィッツ(2009)は核兵器を取得したばかりの国は、軍事的挑発行為を繰り返す傾向を著しく強めることを統計的なモデルを使って実証しようとしています。核兵器の軍事技術が拡散していく世界で、このような問題を解決するためにも、抑止論をアップデートすることは重要な意味を持っています。

Horowitz MC. 2009. The spread of nuclear weapons and international conflict: Does experience matter? J. Confl. Resolut. 53(2):234–57.

少し古い文献になりますが、著者らは『第二の核の時代における抑止(Deterrence in the Second Nuclear Age)』(1996)も新たな課題文献としてピックアップしています。これも以前のツイートで紹介したことがありますが、大量破壊兵器が世界各地の中小勢力によって取得されるようになっている状況を踏まて、従来よりも柔軟に抑止政策を考える必要が出てきたことを指摘した研究です。

この著作でも指摘されているように、冷戦時代の抑止論は相手国の首脳部、つまり政策決定者が費用便益分析に基づいて合理的な政策を選択することを想定していました。相手国の軍事行動を防ぐためには、その軍事行動によって発生するリターンを上回るコストを課すことを伝えることが抑止の基本だったのです。

しかし、このような想定は冷戦時代にもそれほど確実ではありませんでした。その限界は、多種多様な特性を持った世界各地の中小国を抑止しなければならない場合により一層明白になります。

これ以外にもさまざまな文献が提案されていますが、そのいくつかはアメリカの国防政策、外交政策を前提にしているため、日本の大学教育では、日本の安全保障環境を踏まえた内容に修正する必要があるでしょう。日本は海によって隔てられているものの、中国とロシアという世界でも有数の核兵器保有国と北朝鮮という新たな核兵器保有国と隣接した位置関係にあります。

今後の日本の政策論争を建設的なものにしていくためにも、大学における抑止論の教育を改善していくことには大きな社会的意義があるだろうと思います。

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