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【繰り返シンガポール(another sky探訪)】その25…⭐大きさと偉大さは別次元の問題である⭐

【記事累積:1894本目、連続投稿:831日目】
<探究対象…シンガポール、モスク、物心二元論、デカルト>

シンガポール滞在はあっという間に最終日です。今回も様々な気づきや学びがあり、同時に新たな疑問も生まれました。シンガポールという国は狭いのですぐに飽きてしまうという見方があります。住んでいた頃は、どちらかと言えばそんな見方をしていたと思います。

しかしこうしてシンガポールを離れてから、訪問という形でシンガポールを見つめていると、自分が知らないことだらけ、自分が分かっていないことだらけであったことを痛感しています。

3日前に早稲渋で大変お世話になったもう一人の先輩教員と食事をする機会がありました。今回の訪問では早稲渋の周辺にはまだ行っていなかったので、待ち合わせの夕方よりも早めに来て、ウエストコーストプラザのあたりをウロウロしようと思っていました。

ホテルがあるリトル・インディアからハーバーフロントまではMRTを使い、そこからバスに乗ったのですが、早稲渋よりも少し手前のバス停で降りることにしたのです。そこには早稲渋時代の4年間を過ごしたコンドミニアムの「Villa de West」があったのです。

そして向かい側には小さなモスクがあり、朝方や夕方に家にいるとアザーンが聞こえてきて、イスラームの雰囲気を身近に感じていたのでした。他のモスクに比べると小さかったので、このモスクは簡易的に作られたものだとずっと思っていました。

しかし今回久しぶりに近くに来たので、モスクの様子を改めてしっかり撮影してみようと思い、見て回っていると、そのモスクが2022年で120周年を迎えることが判明したのです。入口の近くに横断幕があり、しっかりと「120th Anniversary」と書いてあります。2022年で120周年ですから、建てられたのは1902年になるわけです。1902年というと「日英同盟」が締結された年になります。1902年は日本の元号で考えると明治35年です。明治時代から続いていると考えると、歴史の重みが一層感じられます。

「私と極めて密接に結合せられているところの身体を有するにしても、しかし一方では、私が延長を有するものではなくてただ思惟するものである限りにおいて、私は私自身の明晰で判明な観念を有し、そして他方では、物体が思惟するものではなくてただ延長を有するものである限りにおいて、私は物体の判明な観念を有するゆえに、私が私の身体から実際に区別せられたものであるということ、そして私がこの身体なしに存在し得るということは、確かである。」
これは大陸合理論の祖とされるフランスの哲学者・数学者のルネ・デカルトの言葉です。彼は実体というものは大別される異なる次元のものと考えていて、一つは身体や物体のような物質的なものであり、もう一つは観念のような精神的なものです。この考えは物心二元論・心身二元論・実体二元論などと呼ばれています。

この考え方に基づけば、私が目で捉えていたモスクの規模(大きさに関わる部分)は「物質的なもの」であって、それはモスクの歴史(偉大さに関わる部分)という「精神的なもの」とは異なる次元の話なのです。

それにも関わらず、私は歴史・偉大さといったものを、規模・大きさと結びつけて安直に考えているところがあり、見た目の小ささからこのモスクを軽んじてしまっていたわけです。こんな素敵な歴史を持つモスクがあったのに、私は向かい側のコンドミニアムに住んでいた4年間、それを知らないまま過ごしてしまっていたわけです。

今更ですが、なんともったいないことをしたなあと思います。規模が大きいか小さいかだけで勝手に偉大さの有無を判断してはいけないと反省するばかりです。この反省は今後の散策にしっかりと活かしていこうと思います。

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