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★我楽多だらけの製哲書(56)★~温かみを感じるバンコクのローカルバスと孟子(Bangkok's local bus that feels warm and Mencius)~

ここ数日間は、バンコクの中心部に行くためにバスを利用している。徒歩の次に安価な移動手段がバスだと思われる。他には、バイクタクシー、乗り合いタクシー(トゥクトゥクみたいなもの)、普通のタクシーなどがあるが、それらはバスに比べて小回りも利き、ルートも柔軟性があるため、その分、価格は高く設定されている。中心部に行けば、鉄道もあるが、こちらもバスに比べるとやはり高額である。

バスの安さは、ルートの制約があるだけでなく、朝夕の渋滞に巻き込まれると、ほとんど進まなくなり、同じルートでも空いている時間帯に比べ、2倍くらい時間がかかっているので、そういう不確実性から来ているのだろう。今のところ、時間に追われていない私はのんびりとバスで中心部を目指しているのである。

ただバスに乗っていて気になるのはバス料金支払いのシステムである。バスに乗った後、バス内で車掌に目的地を伝えてお金を支払うと、その場で切符を渡してくれるというものである(細長い筒を持っているのが車掌で、筒の中にお釣りや切符が入っていたり、運賃表がかかれていたりする。また切符を切る時も、筒の蓋を閉じて破っており、筒が大活躍である)。この切符を切る作業を見ていると、ロマンスカーなどのように停車駅の間隔が空いていればいいが、このバスの場合は全ての停留所に停まるため、大人数が同時に乗ってくると、次の停留所までに作業が終わっていないことがある。人数だけでなく乗ってきた客がそれぞれ思い思いに前や奥などに座るため、誰が今乗ってきたか正確に把握するのも無理に思える。実際、一度に10人くらいが乗ってくる停留所の場合、スルーされている客がいた。

私も目的地をタイ語で伝えられないのでスマホで調べていると一度スルーされてしまった。私は料金徴収をスルーされてもそのままにせず次の停留所のときに支払ったが、同時に大人数が乗車するときなどは誤魔化すことも簡単な気がしてしまう。この料金支払いシステムは善意に任されているわけである。

「人性之善也、猶水之就下也。
人無有不善、水無有不下。
今夫水、摶而躍之、可使過顙、激而行之、可使在山。
是豈水之性哉。其勢則然也。
人之可使為不善、其性亦猶是也。」
これは古代中国の儒家の一人である孟子の言葉である。孟子は告子と人間の本性について議論をしている際に、水が低い方へと正直に流れていくのと同じように、人間の本性も善なる状態になると説いている。そして、もし水が低い所から高い所へ向かっていくとすれば、それは何らかの力が加わったためであり、決して水の本性によるものではないと述べ、人間が不善になるのもそれと同様で、自己の内部ではなく外側からの影響によるものであるとしている。これが孟子の思想の特徴が「性善説」であると言われる所以である。

おそらくバンコクのバスが先ほど述べたような料金支払いシステムを続けているのは、性善説に基づいているからだと思う。バスの中でスルーされている人を見ていると、全員が車掌に声をかけて、しっかりと支払っていた。タイは上座部仏教の国であり、生きているうちに「徳を積む(「タンブン」と呼ばれるらしい)」ことで、現在だけでなく後世も幸せになると考えられているので、料金支払いを誤魔化すという考え自体が存在しないのかもしれない。そんなほのぼのとしたバス内の光景を見ていると、とても温かみを感じた。

もし料金を誤魔化すような行為が発生するとすれば、それは仏教の教えに基づかない外来の思想によって行動する人かもしれず、ローカルな人々の利用が中心のバスは、外来の思想に脅かされる心配がないと考え、システム見直しがなされていないのだろう。また、バス内のモニターでも宣伝されていたが、バスカードが最近は導入されていて、車掌はそれを読み取ることで現金の支払いの必要はないようである。実際にそのカードを使っている人もいたが、目的地を車掌に伝え、車掌はカード読み取り機で料金が設定された後でカードをかざすことになるので、根本的なシステムは変わっていないと感じる。

シンガポールのEZリンクカードのように、乗車と降車の際にカードをかざすシステムになれば、車掌が一人ひとり対応する必要はなくなるし、スルーの可能性もなくなる。シンガポールの場合は、様々な宗教、人種・民族が共生しているため、ルールの明確化やルールの洗練が徹底されている。それが性悪説に基づくと言い切れるものではないが、少なくとも常識が共通ではないことから生じるトラブルを回避するための最善策として、ルールの徹底を選んでいるのだろう。タイのほか、ラオスやネパールのバスも、バス内で車掌が切符を切るシステムであった。これらの国は、シンガポールに比べると、常識の共通である割合が高いことから、システムを見直していないのかもしれない(単純に経済発展や社会システムの制度化の差の可能性も考えられる)。

国際社会は、世界の国々が話し合って秩序を形成・維持している空間である。しかし各国の歴史・文化・価値観の相違により、話し合いが進まなかったり、話し合い自体が頓挫したりすることも多い。ウクライナ情勢での各国の考え方も同様である。ウクライナ支援を強く打ち出す国もあれば、ロシアを擁護する国もある。ロシア擁護まではいかないが、経済制裁などには難色を示す国もある。全ての国が平和を望んでいるという性善説に基づいて、国際社会のルール作りをしたいところであるが、残念ながらそれは理想論かもしれず、異なる価値観の国々が集まっている以上、自然と平和が訪れるのを待つのではなく、シンガポールのようにルールを厳格にすることで平和を形成しなければならないのではないか。
The international community is a space where the countries of the world discuss and form and maintain order. However, due to differences in the history, culture, and values of each country, discussions often do not proceed or the discussions themselves often fail. The same is true of each country's thinking in the situation in Ukraine. Some countries strongly support Ukraine, while others defend Russia. Although it does not go as far as defending Russia, some countries are reluctant to impose economic sanctions. I would like to make rules for the international community based on the innate goodness that all countries want peace, but unfortunately that may be an ideal theory, and as long as countries with different values are gathered, peace will come naturally. Instead of waiting for the peace, we must form peace by tightening the rules like Singapore.

(以下でバス内の様子を紹介)
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