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【小説】 尾のない未来 【ショートショート】

 もうすぐ、二十歳になる。
 寂れた漁師町の片隅の部落で何の夢もなく、何の目標もないまま生きて来た。

 これまで生きて来て分かった事と言えば、二十歳になるまでとうとう人間が好きになれなかった事と、散々忌み嫌っていた部落を出られなかった事だ。
 工場の仕事が終わってガタガタの家へ帰れば、狭い茶の間で親父とおふくろが顔を赤らめてバラエティ番組を観ながら楽しげに手を叩いてる。そんな親とはこの二年間、朝も夜も食卓を共にしていない。
 
 親の口をついて出る話といえば隣の部落の悪口や、この部落の人間が「どれだけ素晴らしいか」というおとぎ話ばかりで、それを意気揚々と語る姿はまるで宗教じみている。
 地元に見切りをつけた兄貴は四年前、高校卒業と同時に部落を出て行った。
 顔を合わせれば親に毎日のようにこう言われる。
 「おまえはこの場所で生きていけばいい」
 聞かされるのはそんな呪いのような話ばかりで、ついに話す気も無くなった。

 幼馴染で近所の公営団地に住む由香里は、見るたびにいつも死んだようなツラを浮かべている。それもこれも、由香里が小三の頃おふくろさんが再婚した相手が悪かった。
 中学に入ると由香里が新しい親父に犯されているのを知りながら、部落の人間達は何も言わなかった。由香里の新しい親父は地元では誰も手を付けられないほど有名な酒乱親父だった。そのストレスの為なのか、おふくろさんは二年前に癌で死んでしまった。

 ハンドルを握って見える景色はバラックみたいな作りの住宅街。港へ続く錆びた鉄橋。窓を開ければ魚が腐ったような潮の匂い。そして、古ぼけた造船工場から響く音。乾き切った街並、昇る濃灰の煙。
 蹴飛ばせばぶっ倒れるような家で見る夢は、常々ろくなもんじゃない。
 それらは誰に伝わる事もなく、色付く事もなく、日々は淡々と死んで行く。
 
 上手く寝付けずに車でコンビニへ行くと、顔を腫らした由香里が立ち読みをする訳でもなく本棚の前でボーッと突っ立っているのが見えた。
 小さな頃はうちで飯を食ったり、港へ一緒に遊びへ出掛けたり、勝手に漁港のフォークリフトに乗り込んで怒られたりもした事もあった。思い出せばキリはないが、由香里のおふくろさんは再婚する前の方がたくさん笑っていた気がする。

「由香里、何してんだよ」
「……康太こそ何してるの?」
「買い物だよ。特にないけど」
「私も」
「あの親父にまた何かされたんだろ? なぁ?」
「……もう、死にたい」

 それからわずか三十分後だった。酒の空き缶の転がる畳張りの汚い六畳間で、由香里の親父は白目を剥いて倒れて死んでいた。殺したのは俺だ。
 由香里の為じゃない。何もかもが嫌になった訳じゃない。衝動的に人助けがしたくなった訳でもない。何故だか、こうしなきゃならない気がしたから殺した。
 この親父よりも寧ろ、息が詰まりそうな部落をぶっ壊したいような気分で、俺はこの親父を酒瓶で殴り、電気コードで絞め殺したのかもしれない。
 歯の隙間からゲロを漏らしながら首を絞められる赤ら顔を眺めていても、心は静かで何の感情も湧かなかった。

 初めて人を殺した割に何の感想も持てない死体を見下ろしていると、カンカンと鳴る石油ストーブの裏から顔を覗かせたゴキブリが死んだ親父の顔の上を這って行った。

「康太……警察、行こ? 私がやらせたって言うから」
「おまえは何も言わなくていい。警察にも行かねぇ」
「だって……絶対バレるよ! ねぇ、お願いだから警察行こ?」
「っせーな! いちいちうっせぇんだよ! 俺が殺したんだよ、文句あんのかよ? 少し黙ってろよ!」
「でも、このままにしておけないじゃない……こんな人だけど、このままだなんて……」

 こんな人だけど。その言葉に俺は無性に腹が立った。由香里の髪の毛を掴んでボロボロの砂壁に思い切り押し当て、怒鳴り散らした。壁に押し当てた勢いで、去年のままの黄ばんだカレンダーが揺れて落ちた。

「こんな人だろうがなんだろうがよ、てめぇを死んだようなツラにさせてたのは誰だよ!? あぁ!? こいつだろ!? だったらいいじゃねぇかよ! 明日からてめぇは好きなよう生きりゃいいんだよ! 俺の事なんかどうでもいいだろ、ぶっ殺したくなったからぶっ殺したんだよ! それ以上でもそれ以下でもねぇんだよ!」
「……そんな優しさがあるなら、もっと他の方法でも良かったじゃない……」

 そう言って、由香里はその場で泣き崩れた。けど、泣き崩れるだけの要因がここにはあるとは感じなかった。こいつは誰の、何の為に泣いている? 俺の行いの為だろうか。いや、他人は他人だ。
 
 しかし、この女が自分の為に泣いているならば、それは下らないと思った。急に考えるのが面倒になった。何もかも、全てが下らない。
 俺はこの世界が作り物じゃない事を確かめたくて、この親父をぶっ殺したのかもしれない。そうだ。それが何だか、殺した理由としては一番しっくり来る。

「明日から普通の顔して生きろよな。じゃあな」

 車のトランクに簀巻きにした親父を詰めて、俺は由香里の家を出た。
 由香里は公団住宅の入口から不安げにこちらを見つめていたが、あまりに鬱陶しい立ち姿でさっさと家に入れよ、としか思えなかった。
 思えばガキの頃、由香里はいつもあんな顔をして先を歩く俺の事を眺めていたっけ。そう思うと、何故だか鬱陶しさは増していった。

 海を離れた峠道の脇に、親戚のオッサンが所有者の長年放置しているコンテナがある。彼岸花に囲まれた、錆だらけの放置コンテナだ。とりあえずその中へ死んだ親父を閉じ込めて、俺は山を下った。

 翌日。仕事帰りに南京錠を買って峠のコンテナへ寄った。
 中を開けると、布団から顔を覗かせた親父の顔面は紫と黒のまだら模様になっていた。
 紫と黒の境界線を眺めながら「宝の地図みたいだ」と思った。
 それが自分が殺した死人に対する、初めての感想だった。

 山を下りて家に帰ると、おふくろと親父のはしゃいだ声が聞こえて来た。
 茶の間を覗くと、小さい食卓を囲む顔ぶれの中に何故か由香里がいた。
 何事も起きていないかのような顔で、うちの両親と小さなちゃぶ台を囲んでけらけらと笑っている。 

「おまえ、何しに来たの?」

 俺の言葉に、由香里は楽しげな笑みを浮かべて返す。

「何って、久しぶりに遊び来たんだよー! 康太ったら、おかしな事言って。ねぇ?」

 由香里が顔をうちの親に向けると、親父もおふくろも意味もなさげに、けど楽しげに「ははは」と笑った。
 昨日、自分の親父を殺した男の家で、親父を殺された女が飯を食っている。
 その異常な光景が何故か落ち着いて、俺は二年ぶりに家族と食卓を共にした。

 約一時間半、俺と由香里は薬品のような匂いの安い焼酎を飲んで、しょっぱいばかりで大して旨くもない飯を食った。
 由香里を家まで送ろうとして歩き出した数十秒後、街灯のない通りの側溝に由香里は食ったものを突然吐き出した。

「親父が勧めたから、どうせ無理して飲んだんだろ。悪ぃな」
「違う……康太が嫌な事してくれたから、私も嫌な事、しなきゃって思って……ごめん」
「嫌な事って、うちに来て飯食う事かよ」
「ちょっと、違うけど……後の事考えたら、顔合わせておいた方が良いかと思って……ごめん」
「俺が嫌な事は俺が決めるから。おまえが勝手に決めんなよ。立てるか?」
「帰っていいよ……私、大丈夫だから」
「そっか、分かった。じゃあまたな」

 由香里をその場に置いて、背を向けて歩き出す。少しして、由香里の吐く音が生臭い潮の匂いに埋もれた夜に響き渡った。

 コンテナの中の死体。膨れた面だけは外に出し、身体は簀巻きのまま置き去りにして来た。
 数日ぶりに様子を確かめに行くと、コンテナを開けた瞬間に鋭い異臭が鼻を突いた。

 腐った卵とクソと生ゴミを掻き混ぜたような強烈な匂いに、すぐに胃液が込み上げた。液体だけの吐瀉物をコンテナの外の彼岸花にぶちまけると、彼岸花は痴呆患者のようにふらふらと何食わぬ顔で濡れて揺れていた。

 親父に巻いた布団は漏れ出た体液でぐちゃぐちゃにドス黒く変色していて、布団から伝った親父の死に汁のせいで床もぬるぬると湿っていた。布団から出ている顔は死んだまま、唇と頬から干涸び始めていた。

 だが、不思議な事に人間が腐って行く姿を生まれて初めて眺めていると、妙に気分が落ち着いた。
 この場所だけは自分が自由に生きているのを赦されているような安心感さえ覚え、俺はその中で煙草を二本立て続けに吸った。

 その後も毎日親父が徐々に腐る様子を確かめに、足繁くコンテナへ通った。

 例年よりかなり早い降雪があった日の真夜中。俺は雪が積もり始めたタイミングを見てコンテナへ急いだ。
 最近では異臭がコンテナの外へ漏れ出るようになっていて、バレるのも時間の問題だと焦りを感じ始めていた。

 こないだ見た時、目から零れた眼球は干涸びて、唇はビーフジャーキーのように乾き切っていた。鼻の穴は腐って剥け始めていて、そこから漏れ出た体液は何の汁か知らないが青黒くカチカチに固まり始めていた。何処から入ったのか分からない蝿や蛆虫が眼球の取れた穴から出たり入ったりしているのを見て、不思議と気分は落ち着いた。

 スコップを取り出し、雪を掻き集めて親父の死体に被せた。それを何度か繰り返し、パンパンに雪を固めてからコンテナの鍵を閉める。効果はあるかどうか分からないが、これで匂いは多少誤魔化せる気がした。

 夜になってから、由香里に呼び出された。

 死んだ親父の捜索願いは出していなかったが、由香里の親父が常連だったスナック「バディ」のママが夕方、何の連絡もなく家にやって来たと言う。ママは部落のほんの小さな噂話を有り得ないほど大きくし、あることないことを客に吹き込み、他人を奈落の底に叩き落とす頭のイカれ腐ったガリガリのババアだ。

 見てるだけでイライラするようないつもの鬱陶しい表情を浮かべて、由香里は親指の爪を噛みながら話す。

「バディのママ、来た。玄関で話してたんだけど、中の様子を見たくて仕方ないみたいな感じだった……話してる間、ずっとキョロキョロしてたもん」
「あのババアに何て言ったんだよ?」
「お父さん、もうずっと帰って来てないって……」
「馬鹿。色々聞かれただろ?」
「捜索願い出したの? とか、連絡は来てるの? とか……」
「あのババアの事だから、どうせ警察に連絡してるはずだろ。おまえ、警察来ても何も知らないって言えよ」
「私、知らないなんて言えないよ。康太は捕まるつもりなの? 自首はしないの?」
「あんな奴らに捕まってたまるかよ」

 警察と部落の連中は昔から仲が悪かった。ある冬、漁師崩れの薬中のオッサン同士がスナックで喧嘩してそのまま外へ出た翌朝の事だった。片方のオッサンが路上に横たわった状態で発見された。全身痣だらけでどう見ても殺されたように思えたが、警察はオッサンを「凍死」として処理した。

 俺達部落の人間は、世間からは人間として見られていないと小さな頃から大人達に言われ続けて来た。警察官に足で蹴飛ばされるオッサンの死体を見た朝の通学路。その教えは本当にその通りなんだと思わされた。

 由香里から話を聞き、コンテナの中の親父を別の場所へ移動させるか、埋めるかを考えた。
 水分が出切っているとはいえ、埋めるとなると大掛かりな仕事になる。それに、埋める場所も考えなければならない。

 由香里に言えば手伝ってくれそうだが、これは俺が自分の忌々しい気持ちを発散させたいが為にやったようなものだ。
 そんな事を考えながら家へ帰ると、親父とおふくろはクイズ番組を見ながら答えを言い合い、外れるとげらげら笑っていた。雪の混ざった風が、窓を通り越してボロボロの障子を震わせている。
 この親をきっともうすぐ、泣かせる事になる。せめて今は、精一杯笑っていてくれと願った。

 親の笑い声を聞きながら薄暗い廊下に立っていると、積み重なった最悪と最低が俺から逃げ場を次々と奪い、微かに見えていた「未来」が尾を切って逃げて行くのがこの目に見えた。

 部落じゃない同級生で、手の早いヤツはもう親になっている。実家の前に新しい家を建て、車も新車のミニバンに乗り換えている。まだ若くして祖父になったオッサンが、笑顔で赤子を抱く光景を見た事があった。

 今、俺の目の前にあるのは隙間風の吹く二階へ続く古びた急階段。築五十年のしがらみ。ほぼ真っ暗に近い、物だらけのゴミ溜めみたいな廊下。鼻を掠め通るのは、消臭剤の効かない便所のアンモニア臭。

 初めっから分かってた。未来がない事も、這い上がれない事も、この場所でしか生きていけない事も。
 尻尾を切って逃げ出した兄貴が良い成功例だ。要領は昔からいいヤツだった。
 おふくろも親父も、卒業して真っ先に部落を出た兄貴の事を恨んでいる。
 親不孝。世間の恥。ダメ息子。裏切り者。勘当して正解だ。
 毎晩のように、そんな言葉で兄貴の事を罵っている。

 勘当した、だ? 兄貴が半年に一回すら連絡を寄越さないのは、切られたのがこっちだからだ。

 老人と悪口と悲観主義。そんなものが蔓延するゴミ溜めのようなこの部落が、世間の全て。
 そんな大人になりたくは無かった。
 人を殺した今ではもう、そんな大人にすらなれなくなった。 

 翌日。晴れてはいたが狂ったように海風が強く吹く中を、由香里を誘ってドライブへ出掛けた。港を離れても、寂れた景色はどこまでも淡々と続いている。
 他所から遊びに来る奴らはこの風景を「のどか」だと言うらしいが、冗談じゃない。特に炭鉱のあった辺りは元々は人の多い場所もあったはずだ。この土地は長閑なんかじゃない。人が投げ捨てた夢が寂れ切った、虚しいだけの風景に過ぎない。

 やたら訛りを強調した地元FMを聴きながらドライブをしていると、次第に俺も由香里も口数が増えて行った。
 小学校の頃遊んでいた場所の話しや、おふくろさんの思い出話し、お互いが昔好きだった人の話しまで出た。
 数年ぶりにこうやって由香里と話せた事で、俺は少しだけ人間らしさを取り戻せているような気がした。

 他所の世界を知る前。それこそまだガキだった頃の俺は、近所でも有名な悪ガキで活発な少年だった。
 そんな時代をふと、思い出した。けど、束の間の執行猶予に優しげな真心が宿る事は無かった。

 小さな頃に遊び回っていた漁港の近くの観光客向けのレストランへ入り、地元民は普段あまり食わない海鮮丼を食べた。
 海側の席は空いてなかったので殺風景な駐車場を眺めながらのランチタイムだ。

 ホタテを食べながら「こんなに生臭かったっけ?」と首を傾げる由香里に、「鼻が腐ってんじゃねーの」と返す。言っておきながら、一瞬コンテナの中の姿を思い浮かべる。
 俺の言葉に軽く笑い声を立てると、由香里は特に悪びれた様子も無くこう言った。

「康太はこれからもっと臭い飯、食べるんでしょ?」

 童心に帰ったのか、それともキツい冗談のつもりなのか。そう言って笑う由香里の目を見ながら、俺も言葉を返した。

「なら、おまえも食べてみる?」

 由香里は俺からすぐに目線を外し、窓の外の駐車場を眺め始めた。何も答えない。その間に海鮮丼のマグロを掴んだが、口に運ぶ気になれなくて箸を置いた。
 顔を戻した由香里はお茶を一口飲み、目線をテーブルに落として小声で呟いた。

「私は……いいや」

 私はいいや。そりゃそうだ。散々自分を苦しめて来た親父が死んで、由香里は清々してるんだ。殺人犯の巻き添えなど、とてもじゃないがごめんだろう。
 それが分かったので、俺はお茶を飲んで鼻で笑った。

「そりゃ、そうだろな」
「殺っといてもらって、本当……なんていうか……」
「面倒臭ぇな。いいよ、別に。おまえはおまえの人生を生きろよ」
「感謝してるんだよ? すごく、感謝してるけど」
「いらねーよ。殺ったのが俺だってバレんのも時間の問題だろ。おまえ、警察には俺に脅されてたって言えよ。チクったらおまえも殺すぞって言われてたってさ。オーケー?」
「うん」
「あっそ」

 うん、か。

 それ以上会話は進まず、箸も進む事は無かった。
 干涸び始める刺身の乾き方に、嫌でも由香里の親父の干涸び始めた頬を連想する。そうすると少しだけ、心が落ち着いた。
 しばらく無言で刺身を眺めていると、外から風に混じった笑い声が聞こえて来た。

 声の主は駐車場を歩く身なりの良い家族連れだった。車は品川ナンバーのレクサス。絵に描いたような幸せ一家の、絵に描いたような笑顔。はしゃぐクソガキ。部落であんな風にはしゃげるガキは見た事がない。下手をすれば、大人にぶん殴られる。

 俺達は掃き溜めに生まれ、後ろめたさの中で育ち、指を差されながら生きて、誰にも悲しまれずにひっそりと死んで行くだけ。ただ、それだけ。
 それでも、俺は俺達を蔑む奴らを恨んだりはしない。
 争いは対等な関係でしか起きないし、今まで生きて来て普通の奴らと張り合えた試しがない。
 理由は単純だ。住んでいる世界が違うからだ。

 俺が成した事はたった一つ。死んだツラをした女の、近親相姦が好きな酒乱親父を葬り去った事。それでいて、女からは巻き添えはごめんだと遠回しに言われている事。
 人に自慢すべき事かと問われたら、自慢出来る要素は一つも無い。
 そんな自分がおかしくなり、思わず乾いた笑い声が漏れる。

「何がおかしいの?」
「いや、別に」
「何か言いたい事あるなら、言って」
「別にねーよ。落ち着いたら、臭い飯の感想でも送るわ」
「……ごめん。え、ちょっと」

 由香里が声を潜めて目線を窓の外へ向ける。
 目線を追うと、続々と駐車場に入ってくる警察車輌が目に入った。パトカー二台に、覆面が一台。覆面から飛び出すように降りた刑事が俺の車に近付いて、外から中の様子を伺って何か確かめている。
 どうやら、時間のようだった。案外、早いもんだ。

「康太……」
「由香里、あのさ」
「ねぇ、どうするの?」
「俺さ、今日誕生日なんだ。二十歳になったんだよ」
「え?」
「マジで。ウケるだろ?」
「警察来るよ、ねぇ、どうするの?」
「何だよ、おめでとうの一つくらい言えねーのかよ。ったく、一々ビビんなよ。まぁいいわ、便所行って来る」

 爪楊枝を差しながら立ち上がって振り返ると、由香里は小刻みに震えながら俺を見つめ続けていた。相変わらず、鬱陶しいツラをしている。
 店の入り口の前を通り過ぎてしばらくすると、数人の男達が店内に入る足音が聞こえて来た。
 振り返らずに便所に続く曲がり角を折れて、俺は奴らの視界から消える。

 アウターの内ポケットにしまってあったナイフ。幸い、今日は持っていた。コンテナの中の親父を運び出そうと思った時、ロープを切る為に買っていたゴツめのナイフだ。
 便所に入り、個室に入るとすぐに鍵を掛けた。
 まだ誰も追って来る気配はない。好都合だ。時間は少しあれば、それで良い。

 内ポケットから取り出したナイフの刃を、喉仏に突き立てる。

 今日は俺の誕生日。記念すべき、二十歳の誕生日。

 これまで生きて来て分かった事と言えば、二十歳になるまで人間が好きになれなかった事と、散々忌み嫌っていた部落を出られなかった事。そして、成した事と言えば気に入らない親父を一人ぶっ殺した事。

 少しだけ嬉しかったのは、短い間だったけれど由香里と他人同士になり切れていなかった事。
 変わらない鬱陶しいツラを見て、思わず笑いそうになっちまった事。

 今日は俺の誕生日。記念すべき——————。

 


 

 

 

 

 

 

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