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はじめての車とのサヨナラ

僕は免許を取るのがわりと遅い方だった。 
23歳の夏に合宿で免許を取ったのだけれど、それまでは「車は他人に運転させ、助手席に乗る物」
だとばかり思っていたのだが、どうやら免許を取れば運転も出来るらしいとの情報を聞きつけ、23になってようやく免許を取ったのだ。

初めて乗る車は何にしようかなーと考えてはいたものの、中々絞り込む事が出来なかった。
最初は日産の「ラシーン」というコンパクトSUVの走りみたいな車に乗ろうとしていたものの、そもそもの弾数が少なく入手が難しかった。
いまだに元気に走っているのを見たりすると、思わず「おおっ!」とちょっぴり興奮したりするのだ。

中古屋さんに行って相談してみようと訪れた店先で、僕はある一台の車に目が停まった。
それはフォルクスワーゲンの「ポロ」というゴルフの弟分の車だった。
その前年に亡くなった親友が初めて乗った車もワーゲンだったので、何か縁を感じたのだ。

それにコンパクトだけどちょっとキビキビ走ってくれそうな予感がして、僕は何も考えずに店に入るなり

「すいません、アレ下さい」

と伝えた。

納車までの間待ち切れなくて自転車を漕いで夜中に中古屋へ足を何度も運んだりした。
いざ納車になってお店を出る時、

「ウィンカーとワイパーのレバーが逆だから気をつけてね!」

と言われ

「はい!わかりました!」

と答えたのに、目の前ではワイパーが動いていた。

車の造りは日本車と違ってドアなんかは重たくてしっかりしていて、バスン!と閉まる感覚がとても心地良かった。
走りもコンパクトな外観の割に1600ccだったのでとてもキビキビと走ってくれたし、たまに日本車を運転すると余りにも「もっさりゆっさり」動く感じにイライラしたりもした。

このポロとは本当に色んな場所に足を運んだ。
東京の湾岸エリアへ夜中に行ってみたり、群馬の山奥へ突然出かけてみたり、妹の送迎車になってみたり、冬の峠道では死にかけた事もあった。

一年間でうん万キロも走った。
そのおかげであちこちガタが来てしまい、外車という特性上、電気系統に多くのトラブルが出まくった。

一番うおおおおお!と泣きたくなったのは街の警察署のど真ん前の交差点で水溜まりにハマってエンストした時だ。
日頃の走行中にも水溜りを通ると各種メーターが

ぐるん!ぐるん!ぐるん!ぐるん!ぐるん!!

とイカれた動きを見せたりしていたのだが、この時は本当にヤバかった。

警察署の手前に大きな水溜りが出来ていて、こりゃーヤバいよなーと思いながら通り過ぎるとエンジンが急停止してしまい、よりによって二車線道路の右側でエンストしてしまったのだ。

背後から鳴らされまくるクラクション。僕とポロによって起こされた渋滞。

「動いて!動いて!動いてよ!今動かなきゃ警察が来ちゃうんだよ!!」

と必死にエヴァを動かそうとするシンジくんよろしく、僕はポロに何度も泣きついた。
すると水が掛かっていた所が乾いてくれたのか、素直にエンジンがかかり難を逃れることが出来たのだ。

こんな風に手のかかる車だと、かえって愛着が湧いて来るから不思議だった。

ある夏にポロは大きな故障をしてしまった。ウォータータンクとエンジンのピストンバブルが同時に破損する事態に陥り、知り合いの車屋にレッカーされるハメになったのだ。
二週間くらいで直るかなーくらいで考えていたら

「どれくらいかかるか分からない」

と言われてしまった。パーツがそもそも日本に無いのと、空輸で取り寄せになるから日数も金もかかると言われてしまったのだ。おまけにエンジンも丸々換装しなければならないとの事だった。

廃車を勧められたが僕は他の車に乗るという利口な選択が出来ず、ポロが帰って来るのを待つことにした。

帰って来るのを待っている間、僕は長年付き合っていた彼女と別れた。何の連絡も無いまま自然消滅したのだけれど、最後にポロの助手席に乗っていた彼女からは何となくそんな雰囲気が漂っていた。

そして毎日バイトの送迎をしていた妹が家を出て彼氏と同棲する事になった。ポロがいない間にポロの仕事がひとつ無くなった。

そうなるとポロの帰りを待つのはいよいよ僕一人だけとなった。
帰って来たらまたいっぱい遊びに行こうな。
そんな事を思いながら半年近くも時間が流れた。

ピッカピカのエンジンになって帰って来たポロに乗ると、僕はようやく自分の家へ帰って来たようなホッとした気持ちになった。
一人の時間が増えたこともあって、以前よりポロに乗って出掛ける頻度が増えた。

そんな風にしてポロとあちこち毎日走り回っていたけれど、経済が僕を逼迫させた。

リーマンショックが起こって収入が減り、自動車ローン、保険、修理費の支払いが滞り始めてしまったのだ。

車体48万に対して修理費が78万。これを払うのは愚かだったとは思うけれど、そこまでして僕はポロに乗り続けていたかったのだ。
沢山の思い出があった分、意地になっていた所もあったのかもしれない。

まだまだ元気なポロだったけれど、車検を前に僕はこの車を潰す事にした。
売っても大した額にはならないし、いっその事なら潰してしまえと思ったのだ。
インターネットで廃車を代行してくれるお店を見つけ、すぐに廃車を願い出た。

ところがだ。引取に来たショップの店員さんが駐車場に停まっているポロを見るなり、突然あちこちチェックし始めた。エンジンルームやサスペンション、ハッチバックを開けたり閉めたり、ドアも開けたり閉めたりし始め、その場で顎に手を置きながら何かを思案し始めた。

すると、店員さんがこんな提案をしてくれた。

「この車まだまだ元気ですし、廃車にするならうちのカスタムカーにして良いですか?」 

それは僕にとって願ったり叶ったりの申し出だった。ポロは今日限りで廃車になってスクラップにされるとばかり考えていた僕は、まるで我が子の就職が決まったような気分になって大喜びした。 
結果として廃車料を払うどころかお釣りが来てしまい、しかもスクラップされる予定だったポロに新たな車生(?)が与えられることになった。

こんな風にして、僕はポロを手放した。

今にして思えばその時の会話の記憶はもう朧げで、そうであって欲しいと願う気持ちが作り出した記憶なのかもしれない。実際は何の会話もなく淡々と処理され、お金を払っていて、スクラップされるのを考えたくないばかりに記憶を改ざんした可能性だってある。

美しい思い出とは実はそんなことばかりだったりもするのかもしれない。
その時の胸中までもを確実に保存出来る方法は今の所ないし、僕ら人間が現実として認識できるのはあくまでも「今」だけなのだ。

それでも美しいと感じる気持ちは嘘じゃないから、「それでいいか」と、大人になるにつれて自分にも他人にも思えるようになった。

今は自家用車は持っておらず、もっぱら電車での移動が多い。
それでもたまに借りるレンタカーはやっぱりハッチバックで、そして排気量は通常より一つ上のものを選べるなら選ぶようにしている。

そんな時は大体ポロとの思い出が本物だったんだよな、と確信できて少し嬉しくなったりするのだ。


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