【小説】 無限青々 【ショートショート】
鍬を握る手が疲れて来て、青々とした空を回る大きな鳥を見上げるフリをして、寛吉はほんの束の間、ほっそりとした日焼けた腕を休める。
「寛吉、あんま見んでねぇ。目ん玉突かれんど」
母は鍬を動かす手を止めないまま、寛吉に声を掛ける。
寛吉は骨の芯まで痺れるような腕の痛みを鎮めようと、聞こえていなかったことにした。
見上げた空は青々と、何処までも続いている。
真っ黒く、そして大きな翼を持つ鳥が上空を旋回している。あれは、トンビだろうか? いや、それにしてはあまりにも色が黒過ぎる。かと言って、カラスでもなさそうだ。
鍬を止めない母に、あの鳥の正体を訊ねようとして、寛吉の心は一旦立ち止まる。
懸命に働く母に少しでも甘えようとする度、母は「働け」と機械のように繰り返す。
こんな時、寛吉はいつも物寂しさを感じてしまうのだ。
唇の端から小さな溜息を漏らし、寛吉は鍬を畑に突き立てる。
柔らかな土が、コンクリートほども固く感じられ、鋭い痛みが腕全体に一気に広がって行く。
堪らず声を漏らすと、やや離れた場所で鍬を突いていた兄の定正が笑い声を立てる。
「なんだその声。情けねぇ」
寛吉は「うるせぇ」と呟いて、まじない程度のつもりで開いた手のひらにフゥフゥと口を窄めて息を吹き掛ける。
しかし、痛みはちっとも引く様子を見せない。
こんな時、お父がいれば。お父さえいれば、オレはこんな思いをしなくて済んだのに。
家族には逆怨みだと言われるかもしれない。
しかし、そんな暗く冷たい感情が寛吉の胸に広がって行く。
痛みなど、実は無いものだと頭の中で自分に言い聞かせながら寛吉は無理矢理に鍬を畑に突き立てる。
「お父、なんで死んだ?」
兄も、母も、その問いには答えることなく鍬を突き続けている。
青々とした空には、トンビにしては異様に黒く、カラスにしては大き過ぎる鳥がくるくると回り続けている。
寛吉は、痛みに顔を歪ませてもう一度問う。
「お父、なんで死んだ!?」
やはり、声は返ってこない。
その代わりに、上空を回る得体の知れない鳥が「マァー」っと、牛に近いような低い声で鳴いた。
聞き馴染みのない声に驚いた寛吉は、恐怖のために鍬をその場で放ってへたり込んだ。
青々とした空から、あるものが落ちて寛吉の目の前にポトリと落ちた。
音もなく落下したそれは、畑の茶色に浮き上がって飛び出しているようにも見えた。
寛吉はいよいよ恐怖心に食い潰されそうになると、無我夢中で畑から逃げ出した。
畑に落とされたのは、人の目玉だった。
土に塗れたその目玉は、持ち主がないのにも関わらずぐるぐると辺りを見回していた。
兄と母は、それでも鍬を突く手を止めはしなかった。
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