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【小説】 病名「いい人」 【ショートショート】

 浜本青年には幼い頃から決して揺るがない、とある信念があった。
 それは、いつどんな状況にあっても、他人に「いい人」だと思われたいというものだった。
 その為、周りの友人達を多く困惑させる時もあった。

 先日、浜本は仲間達に誘われて合コンへ行った。
 集まった煌びやかな女子達の話を浜本はにこやかに聞き続け、取り皿を分け、グラスに目を配った。
 当然、「いい人」だと思われたいからだ。
「こりゃ安心じゃなくて、ただの安全な男だわ」そう思ったA子が、浜本にこんな事を愚痴った。

「上司も嫌なヤツで元々全然やりたくなかった仕事なのにさぁ、段々仕事に慣れて来てる自分がたまに嫌になったりするんだよねぇ」

 浜本は意識をしながらうっすらと目に涙を浮かばせ、大きく頷きながらA子の言葉に賛同した。

「分かるなぁ、分かるよ! あんまり分かり過ぎて、俺……感動しちゃったよ」

 A子はついイラッとしてしまい、眉間に皺を寄せて浜本を睨みつけた。

「はぁ? なんか馬鹿にしてない?」
「してないしてない! ほら、証拠に涙が出てるだろ? 聞こえるんだよ、A子ちゃんの心の声がさ」

 そう言って指を差したしじみのような目には、確かに涙が浮かんでいた。A子は不気味だ、と思いつつも首を小さく縦に振る。

「あっそう……あ、あなた、いい人ね」
「そう!? 本当!? 嬉しいなぁ!」

 盛り上がった合コンもお開きになり、男女メンバーが各々別の場所へと姿を消そうとしている最中、浜本は親友の島崎にこんな事を訊ねた。

「なぁ、彼女達、俺の事「いい人」だって思ってくれたかなぁ?」

 島崎は「うわぁ、出た」と言いながら「病院へ行けよ」と吐き捨てるように言った。
 浜本は素直過ぎる性格を持っているという一面もあった為、島崎の言葉を真に受け、翌日病院へ赴いたのである。

「先生、俺は「いい人」って思われたいんですけどこれは病気なんでしょうか? 違いますよね? みんなだって「いい人」の方が良いに決まってるでしょう?」
「あの……浜本さんが言う「みんな」とは、どの程度の人達を想定していますか? ご家族、ご友人……」

 医師がそこまで言うと、浜本は突然腹を抱えて大声で笑い出した。

「はははははは! 先生いやだなぁ、全人類に決まってるでしょう!?」

 満面の笑みを浮かべながらそう断言する浜本を眺めながら、その迷いのなさに医師は圧倒された。

「あ……そうですか。まぁ、うちは内科なんでね……身体の異常はなさそうです。はい、では……いい人に思われるように頑張って下さいね」
「先生はどうですか!? 先生から見て俺っていい人でしょうか!?」
「うん、いい人、だと思いますよ……」

 受診したのが内科だった故に何の診断も処方もされなかった浜本だったが、それがかえって彼に自信を与えてしまった。
 俺は医者のお墨付きがある「いい人」なんだ! もっとみんなに俺の「いい人」を広めなくっちゃな!

 病院の帰り道。浜本は階段を上がろうとしている老婆の荷物を笑顔で奪い、階段を駆け上がって行く。

「ど、泥棒! 誰かぁ!」
「お婆ちゃん、違う違う! お手伝いですよ」
「あ、あぁ……それは、どうも……」

 顔を曇らせた老婆に目もくれず、浜本は老婆へ荷物を渡すと駅前の交差点へ繰り出した。
 いい人を伝えたいが余り勢いがつき、横断歩道を渡ろうとして軽自動車に撥ねられた。
 真上にすっ飛んだ身体。浜本は空を舞いながら、笑っていた。

――――うおぉ、空が高いなぁ! 今日は晴れていて気持ちがいいぞ!

 浜本はアスファルトに真っ逆さまに打ち付けられた。運転手の中年男性が駆け寄ると、路上に転がった浜本は何事もなかったかのようにスッと立ち上がって明朗な笑い声を響かせた。頭からは、血が流れていた。

「も、申し訳ありません! 大丈夫ですか!? すぐに救急車を」
「はははは! これくらい良くある事なんじゃないですか? お父さん、大丈夫ですよぉ、ははははは!」
「いや、事故です、それも人身の……あの、すぐに警察を」
「いらないいらない! では、お気を付けて!」
「えぇ!?」
「そうだ!」
「は、はい?」
「俺って、いい人でしょう!?」
「え、あの……はい……」
「やっぱりなぁ! じゃあ!」

 浜本は笑顔のまま、その場から走って立ち去った。中年男性は顔を引きつらせながら、戸惑いつつも車に乗り込んだ。

 頭から血を流し、笑顔のまま街中を突っ走る浜本が向かったのは、A子のアパートだった。
 SNSでA子を探し出し、その情報から住んでいる街、休日、アパートの場所を特定していたのだ。

「色んな写真のA子ちゃんの瞳をズームしても男の姿は映り込んでなかったから、きっと彼女は一人暮らしで寂しいに違いない! 合コンの話の続きを聞いてやらなくっちゃ! だって俺って、いい人だからなぁ!」

 浜本は自分でも気が付いていないようだったが、大声でそんな独り言を喚きながら街中を走り回っていた。
 ついにアパートに辿り着き、角部屋という情報を元にA子の部屋を浜本は突き止めた。

 インターフォンを連打する浜本。玄関ドアの隙間からそっと顔を覗かせたA子は、浜本の姿にギョッと目を見開いた。

「ちょちょ、浜本君が何でいるのよ! ていうか、頭から血ぃ出てない!?」
「よっす! 話し聞きに来てやったよ!」
「はぁ!? え……っていうかなんで住所知ってるの? 誰から聞いたの? B美……?」
「違う違ぁう! SNSでA子ちゃんを特定したんだぁ!」
「えっ、怖っ……」
「そこから情報拾ってわざわざ調べてさぁ、こうしてわざわざ来たんだよ! いやー、特定するのに時間食っちゃったけど、これでゆっくり話が聞けるね! だけど他人に簡単に特定されるような写真をアップするのは、ちょっと気をつけた方が良さそうだね!」
「え、ちょっと、無理無理無理!」
「早くチェーンを外して中に入れてよ!」 
「警察呼ぶから!」
「待って!」
「何!?」

 浜本はドアを手で押さえながら、笑顔で訊ねた。

「なぁ、俺っていい人でしょ?」
「気持ち悪い人よ! 最悪! 悪人よ!」

 A子がそう叫んで、ドアは閉められた。
 ふいに訪れた、静寂。

 俺が……悪人……? 嘘だろう? そんな訳あるはずがない。
 だって、俺にあれだけ心を開いて愚痴っていたじゃないか。俺の浮かべた涙に、「いい人」だって言ってくれてたじゃないか。

 俺がいい人じゃないなんて、嘘だ……嘘だ!
 待て、そうか……A子ちゃんはきっと、仕事でストレスが溜まっているから疲れているんだ。
 精神的に不安定だから、俺の事を「いい人」だって思える心を失くしてしまったんだな……かわいそうに……俺は「いい人」だからA子ちゃんに完璧に「いい人」だって思ってもらえるようにしなくっちゃ。どうしたら良いんだろう……A子ちゃんに一番「いい人」だって思ってもらえる方法は……。

 浜本はそれから三日三晩もの間、A子に「いい人」と思われる方法を考え続けた。

 突然の訪問から四日後の夜。

 A子はその日、上司から散々嫌味を言われ続けていた。
 この給料泥棒。会社はあなたの為のものじゃない。生産性が給料以下なんだけど、これはどういうつもりかな? 君は頑張ったつもりで給料泥棒をして、会社にお小遣いをくれているんだね。

 堂々巡りする嫌味の数々。疲れ切った身体と心を引き摺りながら、A子は「もう辞めたい」と思いながら家路を歩いていた。
 駅前の明るい通りを曲がり、薄暗い路地に入る。
 人気の全く無い公園を抜けようとした途端、すぐ傍の茂みの中から声がした。

「おーい……A子ちゃーん」
「ひゃっ!」

 A子は驚き、短い悲鳴を上げた。ガサガサッと音がして、茂みの中から葉っぱまみれの浜本が笑顔で姿を現した。
 街灯の真下。浜本の手に握られた包丁が、ギラリと光を弾いた。

「きゃああああああ!」

 A子はバックを放り出して逃げた。しかし、身がすくむ恐怖から足がもつれ、上手く走れなかった。もっと早く、早く! と思うほど、足が上手く動かせず、背後からは騒がしい足音が近づいて来る。

「おーい、逃げないでくれよ~」
「きゃああああ!」
「はははは! 驚かせちゃったかなぁ? ごめんなぁ、色々考えた結果、A子ちゃんを殺して楽にさせてあげるのが一番「いい人」だって思ってもらえるだろうと思ってさぁ」
「来ないでぇ! 誰か! 誰かぁああ!」
「だってさぁ、A子ちゃんったら俺の事ちっとも「いい人」って思ってくれないんだもん。あれからDMだって二百件送ったんだよ? 既読無視はないよぉ〜。ちゃんと読んでくれてたら、ゼッタイに「いい人」って思ってくれてるはずだもん」
「来ないで! 誰かぁあああああ!」
「俺のこと「いい人」って思えないなんて、A子ちゃん、生きて行くのが辛いんだろうなぁ。そんなに無理してさぁ、生きていかなくても良いんだよ? ねぇ、知ってた? 悪人や自殺じゃなかったら人間ってみーんな天国に行けるんだって! 俺が死んだ時はホラ、閻魔様に「A子ちゃんを殺して助けてあげたんです」って言えば天国に行けるから、心配しなくて大丈夫だよ~? だからさ、すぐに終わらせるから止まってくれよぉ」
「だ、誰かぁああああああ!」

 必死の形相で鼻水を垂らしながら逃げるA子。その背後を包丁片手に笑顔で追い掛ける浜本。
 A子の絶叫は夜の住宅街に響き渡り、窓から異様な光景を目にした住民達が一斉に警察へ電話を掛けていた。

「A子ちゃーん、もしかしたらA子ちゃんを救ったが為に俺が地獄に行ってしまうんじゃないか? って心配してくれているんだろう? ははは! A子ちゃんが心根はとってもいい人なの、俺は知ってるんだ。だって、SNSに「知らない子供が落としたキーホルダーを追いかけて渡してあげた」って書いてあったもんね。そんな君も中々の「いい人」だけど、俺は負けないぞ~? だってさぁ、俺くらいの「いい人」なんて、この世にいるはずがないんだから」
「来ないでえええ! 助けてえええ!」
「はははは! 大丈夫だよー、すぐに終わるって〜。ひと突きだよぉ。練習したから、大丈夫だって〜」

 住宅街の角を右に曲がった瞬間、巡回中だった警察官がA子を匿い、角を曲がって現れた浜本を路上で締め上げた。
 こうして、浜本は逮捕された。

 取調べ室で刑事が浜本に向き合う。

「浜本君はA子さんに恋愛感情を抱いていた、という事なのかな?」

 浜本は柔らかく微笑みながら、否定した。

「違いますよー、刑事さんったら」
「では、なぜ殺そうとしたのかな?」
「俺の事を「いい人」って思えなくなったA子ちゃんを殺してあげて、「いい人」だって思われたかったからです。だって彼女、生きていけないくらい心が疲れ切っちゃってましたから。死んだら苦しい世界から解き放たれて天国に行けるんですよ〜! 刑事さん、分かるでしょ?」
「それは……浜本君ね」
「はい? なんでしょう?」
「A子さんが死んだら、A子さんは浜本君の事を「いい人」だって思えなくなるんじゃないの?」

 呆れたように刑事が言うと、浜本は自らの額にピシャリと手を打ち、悔しそうな顔を浮かべた。

「あー! しまったぁ! そうだったぁ! 忘れてたぁ、ははははは! 死んだらこの世で「いい人」って思えなくなるもんなぁ、失敗失敗、いやぁ、悔しいなぁ! 刑事さん、俺はもうA子ちゃんから見たら「いい人」じゃないんですかね? まいったなぁ!」  
「そう……じゃあ、その直前の事件についても聞いていいかな?」
「もちろんですよ! いやぁ、しかし、まいったなぁ!」

 そう言って悔しそうな顔を浮かべながらも笑い声を上げ続ける浜本を見つめながら、刑事は絶句した。

以前書いた作品を加筆修正したものです。
世の中エスデージーズなので、リサイクルしました。

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