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【小説】 夏。収穫アルバイト 【ショートショート】

 高校生活最後の夏休み。受験勉強そっちのけでアニメを観ていた僕は、ある作品の影響からカッコいいロードバイクがどうしても欲しくなってしまった。

 そこで、やはり受験勉強そっちのけで即金のアルバイトを探すことにした。だけど街中の求人はどれもこれも時給千円に満たないものばかりで、過労死を覚悟しなければ夏休み中に憧れのロードバイクを手に入れるのは到底無理そうだった。

 割の良いバイトは何かないかとコミュティサイトで探してみると、なんとも高額な果物収穫の求人広告に出会ってしまった。

【果物収穫アルバイト募集。01:00〜05:00のお時間で働ける方。年齢、学歴、国籍不問。日給二万。受付・尾佐川 090……】

 スマホを握る手が震えるほど、大興奮した。集合場所も家から近く、何より日給がズバ抜けて高い。断言しよう、こんなラッキーな求人は絶対他にはない。
 すぐに担当の尾佐川さんへ電話を掛けてみると、コール三回ですぐに繋がった。

「すいません、収穫の求人を見たんですけど。まだ募集ってしていますか?」

 率直にそう訊ねると、尾佐川さんはとってもドスの効いた掠れた声で開口一番、こう言った。

「おまえ、日本人?」
「えっ、はい」
「ふうん。で、いくつなの?」
「十八になりました」
「十八……ねぇ」

 ずいぶんと低く、しゃがれた声だ。その声質から、僕は青果市場のセリのニュース映像を思い浮かべた。きっと、毎朝大声を出して市場でセリを頑張っているから、こんな声になってしまったのだろう。 
 そうやって朝から頑張っている人を、心の中で馬鹿にしたり、怖そうだとか、蔑んだりしてはいけない。失礼になってはいけないと思いながら、僕は明るい声を意識した。

「はい! 十八で、高校三年です! 吉岡拓人と申します! 年齢不問と見たので、電話をしました!」
「おい、うるせぇよ」
「え?」
「おまえ、声がうるさい。もっと静かに喋ってくれよ。何、おまえ高校生なの?」
「はい……あの、今は夏休みで」
「夏休みねぇ……まぁ、いいや。で、いつから来れんの?」
「あの、履歴書とか、面接とか……」
「いい、要らない要らない。こっちゃあ手足がついててくれりゃあ何だっていいんだから」
「そうですか……そしたら、今夜にでもバイトに出れます」
「あっそう。じゃあA駅に夜の十一時集合なんだけどさ、来れんの?」
「はい、向かいます」

 そこまで話すと、尾佐川さんは何の挨拶もなく一方的に電話を切った。
 きっと農家さんって直接お客さんと接する商売じゃないから、少し不器用なのかもしれない。そう、農家さんはお客さんと直接話す機会がないから、そういう勉強が出来ないだけなんだ。
 だから、心の中で馬鹿にしたり怖いとか思わないことにした。

 僕は昼寝をたっぷりと済ませると、母親には「友達ん所に泊まり行ってくる」と分かりやすい嘘をついて、夜が更けるを待って家を出た。
 自転車(ママチャリ)を走らせること七分。
 駅前の駐輪場に自転車を投げ捨てるように停めて、ロータリーへ急ぐと大柄で髭モジャのおじさんが仁王立ちでぽつんと立っていた。

 おじさんは髭はモジャなのに頭はツルに禿げていた。さらに、プロレスラーみたいに太い腕には隙間がないくらいビッシリと刺青が入っている。
 あんまりイメージはなかったけれど、近頃の農家さんは刺青を入れたりするのが流行っているのだろう。きっと「時代の流れ」ってヤツだ。

「おまえ、電話で話した高校生?」

 髭モジャは僕を見るなり声を掛けて来た。そのしゃがれ声で、一発で尾佐川さんだと分かった。少しだけホッとして笑顔を意識しながら、これからお世話になるのだから深く深くお辞儀をした。まずは基本の挨拶。失礼な奴だと思われないようにしなくっちゃ。

「こんばんは。吉岡拓人です、宜しくお願いします!」
「じゃあさっさと車に入って。早くして」
「はい、分かりました。助手席でいいんですか?」
「馬鹿かテメェ。後ろに決まってんだろ」

 尾佐川さんが指差した銀色でボロボロのワゴン車に乗り込もうと完全手動のスライドドアを開けた途端、車中の光景に驚きの余り声を失ってしまった。

 先客がいたのだけれど、その人数は見るからに車の設定人数を大幅に越えていそうだったのだ。
 ワゴン車の中はすし詰め状態となっていて、みんな窮屈そうに背中を丸めてぎゅーぎゅーに座っている。それに、どう見ても僕以外に日本人はいなそうな感じだった。

 どうやって乗り込もうかと悩んでいると、尾佐川さんに思い切り背中を押された。

「どこでも良いから、とにかく入って。時間ないんだよ」
「わ、分かりました……イタッ、イテテ、イテテテテテ!」

 僕は肌の浅黒いお兄さん達の膝の上に斜めの体勢になりながら、無理やり車に乗り込んだ。お兄さん達は終始無言で愛想は良くなかったけれど、僕の知らない言葉で時々「イーチャタペ?」みたいな感じで、何やら話し掛けて来た。
 言葉の意味が分からなくてとりあえず頷いてみせると、なぜか皆に呆れたような顔をされた。

 きっと彼らは、日本に農業研修に来ている外国の人の方々なんだろう。 
 家族や国から離れ、未来のために農業を勉強しに行くなんて、僕にはとても考えられない。なんて立派なお兄さん達なんだろう!
 こんなに凄い人達と一緒に働けるだなんて、嬉しいなぁと思いながら助手席に目を向けてみると、そこには誰も座っていなかった。

「尾佐川さん、助手席空いてるんですか?」

 運転席に乗り込んだ尾佐川さんに尋ねてみると、その反動でブッ壊れてしまいそうな勢いでドア閉めながら、ぶっきらぼうに呟いた。

「おまえに関係ねぇから」

 それからすぐに車を急発信させると、僕らは狭い車内で一気に将棋倒しになってしまった。
 小さな悲鳴や呻き声があちこちからあがったけれど、構うことなく車はどんどん加速して行った。それだけ収穫というのは時間勝負なのだろう。

 途中コンビニへ立ち寄ったので降りれるかと思いきや、ドアは開かれなかった。その代わり助手席にスーツでオールバック姿の細いおじさんが助手席に乗り込んで来て、尾佐川さんと小さな声でひそひそ話し始めた。

 僕は挨拶をしなければ! と思い、斜めの体勢のまま「今日はお世話になります、吉岡拓人です!」と挨拶してみたものの、オールバックのおじさんも尾佐川さんも、振り向きさえしなかった。 

 二人とも真剣な表情だったから、よっぽど何か大切な仕事の話をしているに違いない。大人の話しを邪魔してしまったことを、僕はおおいに反省した。
 それから約一時間掛けて高速道路を走り続け、たどり着いた先は真っ暗な農園だった。

 尾佐川さんはトランクからカゴをいくつか取り出して地面に放り投げると、外国人研修生のお兄さん達に向かって、指差しで何かの合図を送った。その途端、お兄さん達は一斉に真っ暗な農園の中を我先にと駆け出して行った。
 凄い。これが「チームワーク」ってヤツか。カッコいいなぁと思っていると、尾佐川さんが僕に仕事の説明をしてくれた。

「今日はな、桃狩りだ。ここらになってる桃をな、とにかく灯りは点けずに、バンバン獲ってどんどんカゴに入れていってくれ。スマホのライト以外はダメだからな。いいな?」
「はい! あのう、スマホライト以外だと、やっぱり桃が傷んだりするんでしょうか?」
「そうだ。夜間にあんまり強い光の刺激を受けると、寝ている桃がダメになるんだ。獲る時も無理に引っ張ったりはせず、起こさないように優しさを心掛けろよ」

 さすが農家さんだけあって、尾佐川さんが愛情深く桃を扱っているのを心から感じ取った。いつかこの農園に来て、今度はお客さんとして是非とも直接桃を買いたいと思ったから、尋ねてみた。

「ここって尾佐川さんの農園なんですよね?」
「えっ? まぁ、うん。「今」はそうだよ」
「今度はお客さんとして、ここへ来たいと思います。農園のお名前は、なんて言うんですか?」
「はぁ? うーん……ええと」

 尾佐川さんは辺りを見回しながら、ゆっくりとした口調でこう伝えてくれた。

「えーっ……と、ファーマー……ズ、ヤマナシ、イソ? イソガイ……だ」
「ファーマーズヤマナシイソイソガイですね。覚えときます!」

 ファーマーズヤマナシイソイソガイかぁ。なんて覚えやすくて良い名前なんだろう。僕はいつか、ロードバイクでファーマーズヤマナシイソイソガイを訪ねてみよう。
 よーし、目標が出来たぞ!

「名前はさっさと忘れてくれちゃった方が良いんだけど……まぁいいや。時間ないから早速始めちゃって。桃、バンバン獲ってくれちゃっていいから」
「はい!」
「あと、帰るまで二度と喋らないで。とにかく静かに行動するように。うち、私語厳禁だし。おまえ知らないだろうけど、収穫前の桃ってマジでデリケートで、私語に弱いから」

 そうだったのか……危ないところだった。僕は大きく頷き、その場で支給された頑張っている農家さんの酸っぱい汗の匂いが滲み込んだ使い古しの軍手をハメ、すぐに仕事に取り組んだ。
 軍手にたっぷり滲み込んだ豚骨ラーメン屋の厨房が腐ったような酸っぱい汗の匂いだって、農家さんが頑張った証なんだから臭いとか思ってはいけない。

 僕は夢中で桃を獲ってはカゴに入れ、獲ってはカゴに入れ、をひたすら続けた。外国人のお兄さん達も汗を流しながら頑張っているおかげでカゴはすぐに満杯になり、途中で何度かオールバックおじさんが軽トラでカゴに満載になった桃を引き取りにやって来た。

 桃は私語に弱いからとにかく皆が声を出さないように黙々と作業をしていて、こういうのがプロの仕事なんだなぁと感心してしまった。

 お兄さん達に負けないよう、今日は僕も日本農業に携わる一員だ! と自覚しながら、恥のないように頑張った。 
 次から次に流れる汗が心地よく、深夜のヒヤッとした空気がシャツの間から入るたび、肌に気持ち良く感じた。
 予定では朝の五時までだったけれど、三時半を過ぎた段階で尾佐川さんが「撤収」と僕らに声を掛けて来た。

「そろそろヤベーからな。ズラかろう」

 その言葉に、お兄さん達は徹底的に躾された警察犬みたいに一斉に車に乗り込んで行った。やっぱり、農家さん達のチームワークって、凄い。
 でも、不思議だった。いっぱい収穫できたはずなのに、何が一体ヤバいんだろう?

「尾佐川さん、もう良いんですか?」
「これ以上長居したらヤベーからな。おまえ、助手席乗っていいぞ。もう行くぞ」
「えっ。何がヤベーんですか?」
「つまりよ、あのう……これ以上獲ったら、その……親桃が急にいなくなった子桃達が悲しむだろ? だから、子桃が親がいねぇって気付く前に帰るんだよ。早く行くぞ」
「ははぁ、なるほど。そういうことですね。分かりました」

 あぁ、やっぱり尾佐川さんは本当に凄い農家さんだ。作物ファーストでこんなに一生懸命に桃を考えられる大人に出会えて、僕は本当に良かった。
 大人になって子供が出来たら、絶対に一緒にファーマーズヤマナシイソイソガイに桃狩り体験をしに来ようと心に誓った。

 朝方になってようやく駅に着くと、すぐに解散となった。
 帰り際、尾佐川さんは僕に「おまけ」と言ってもう一万円、給料を奮発してくれた。
 お礼を言おうとしたけれど、「もしも外でバッタリ会っても絶対に声を掛けんじゃねーぞ」と言われ、尾佐川さんは車を急発進させて帰ってしまった。

 あれだけ一緒に気持ち良く働けたと思っていたから、帰り道は少し落ち込んでしまった。
 やっぱり、農業の世界って僕が役に立てるほど甘いもんじゃないんだろうな。余計にもらった一万円は、きっとクビという意味で……餞別だったのだろう……。
 それでも心地良く働けたことに感謝しつつ、まだ冷たさの残る朝方の街をママチャリで家を目指し、爆走した。

 翌朝。ニュースでこんな報道がされていて、僕はあまりの衝撃に我を忘れそうになった。

「ここ最近増えている農園での窃盗被害ですが、新たな被害が報告されました。現場は山梨県〇〇市で、路上販売されていた桃の出所を怪しんだ農園経営者らが販売者に詰め寄ったところ……」

 なんてことだ! あれだけ汗を流しながら苦労して収穫しなければならない桃を、こっそり盗んで路上で売る輩がいるなんて! 僕は怒りで我を失いそうになりながら、真夜中に農園の監視カメラが捉えたという集団窃盗の様子を、怒りを持って食い入るように睨みつけてやった!

 そこにはなんと、桃を一生懸命収穫するお兄さん達や、僕の姿が映し出されていたのだ。
 母親が、僕と画面を交互に眺めながら口をポカンと開けている。
 なんということだろう……こんなこと、絶対にあってはならないはずなのに……僕は悲しくなり、次にさらなる怒りが身体の底から湧いて来るのを感じた。
 日本を支える農作業の真剣な一風景を、「集団窃盗」だなんて報道するのはあまりにも酷すぎるじゃないか!
 生まれて初めて体験した「偏向報道」に抗議する為、僕はテレビ局の電話番号を検索し始めた。

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