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【小説】 奇祭・軽トラどつきあい祭り 【ショートショート】

 北陸地方の山間に位置する「O村」では二百年の歴史を持つとある奇祭が行われていると聞き、私は都内から北陸新幹線に乗り、K市からJ線に乗り換えた後に一時間揺られ、その先でバスに乗り、片道六時間を掛け、現地へ足を運んでみた。

 これはその時に見たありのままの光景を大枝氏に代筆を願い、そして完成したルポタージュであることを前置きしておく。
 表題の写真はイメージとしてこのサイト内でお借りしたものであり、実際の土地のものではない。この写真を参考にこの記事に出て来る土地を決して探したりしないよう、断りを入れておく。

 日本には各地で「喧嘩祭り」と言われるような荒々しい祭りが多く行われていることはご存じだろう。山車をぶつけ合う祭りもあれば、参加者同士が殴り合いをする祭りまで数多くの喧嘩祭りが今も何処かで行われている。
 私がO村を訪れたのもこの地で代々行われている祭りが喧嘩祭りであり、おまけにそれが村人達の日頃の鬱憤を晴らす為に行われているというから非常に興味をそそられた。

 二百年前、とある出来事がきっかけでO村一帯の村民達は真っ二つに意見が割れた。
 藩主の下で農学を研究していた島内平禄という人物が新しい農法を生み出し、その方法ならば米の収穫量が倍にもなると言い出した。

 農民が大半を占めるO村の村民達は喜ぶ者と島内に対し疑心暗鬼な者とで二分された。初めのうちは些細な諍いで済んでいたものが次第に大きくなり、やがて農法とは無関係なアヤが原因で殺し合いにまで発展していった。O村はその地域で最も農耕が盛んな地で、このままでは命ともいえる米の収穫量に影響が出ると判断した藩主が武士立ち合いの下、村人達に決着がつくまで好きに殴り合いをさせたのが祭りの発祥で、建前としては不動尊を祀る為の儀式とされたが、無駄な殺し合いをさせない為のガス抜きであることは誰の目で見ても明らかではあった。
 O村ではその後も村人同士の諍いが絶えず、現代において祭りの形式は当時とはかなりかけ離れた形となり継承され、今も催されている。

 この話をライター仲間から聞いた時、私は思わず自分の耳を疑ってしまった。ライター仲間のRは居酒屋のカウンター席で実に涼しげな顔で私にこう言った。

「それで、その村では山車や拳の代わりに電飾を施した軽トラで全力でぶつかり合っているのさ」
「えっ? なんだって?」
「だから、軽トラをぶつけ合うんだよ。村では「どつきあい」なんて呼ばれているんだ」
「いやいや、そんなの交通事故になるじゃないか。警察が動くだろう?」
「神事として続いているものだからね。当日は警察官だって交通整理に協力しているくらいだ。それに、あの村で嫌われ者になったらいくら警官とは言え、とてもじゃないけど生きていかれないからね」
「そんな昔話みたいな風土がまだ残ってるんだな……」
「君も行ってみると良い。とても閉鎖的な所だからネットで探しても情報はわずかにしか出て来ないからね、直接足を運んでみることをオススメするよ」

 Rにまんまと一杯食わされたらどうしたものかと思い、道中微かに胸の奥には不安があった。仕事の出来るRが言うことだからまず間違いはないと思ったが、軽トラをぶつけ合う祭りなど本当にあるのか疑問ではあったものの、バスが山深い峠を越え、平野に出た途端に私はその光景に感動を覚えた。

 バスが数軒の民家の脇を通り過ぎると、村人達は駐車場で軽トラに数々の電飾を施したり羽飾りをつけたりしているのが見えたのだ。
 どうやらRの言っていたことは本当だったようで、片道六時間を掛けた甲斐があったと、この時私は胸を撫で下ろしたのだ。

 山の麓にある小さな民宿に泊まり、祭りが開催される場所を主人から聞き出した。主人は呆れたように乾いた笑い声を入り口すぐの帳場で漏らす。

「確かに明日は祭りの日だけんど。太平原っていう大きな田んぼの真ん中でやるんだ」
「おおひらはら、ですか?」
「あぁ、地元の呼び名だげ、地図にはねぇけんど。何、わざわざそんなもん見に来たとげ?」
「ええ。東京から六時間掛けて来ましたよ」
「はぁー、ずいぶんな物好きがいるこって。あれだ、祭りっていっても出店も出ないしね、村のもん同士が一年間の鬱憤を晴らすだけの喧嘩祭りだよ? 言ってしまえば村の恥を晒してるみたいなもんで、そんなものわざわざ見に来たなんて聞いてびっくりしてるげな」

 主人は首を傾げつつも、祭りが行われる「大平原」の地図をメモ書きしてくれた。
 私はそのメモを頼りに、翌朝会場を目指して宿を後にした。

 大平原に向かってみるとかなり離れた所から多くの見物客が群れをなしているのが見えて来た。マイクで何やらパフォーマンスしている声まで聞こえて来て、田んぼの真ん中には色鮮やかな幟がずらりと並んでいるのが見える。
 法被を着た村の男達は険しい顔で、会場となる大平原と外を行き来している。エンジンバルブがどうだとか、タイヤの空気圧がどうだとか話し込む姿もあって、まるでサーキットピットの中にいるような会話が飛び交っている。
 田んぼの真ん中まで辿り着くと司会者のブルースーツ姿の禿男が田んぼの中で絶叫に近い声をあげている。丁度これから闘いが始まるようであった。

「山手側はアスパラ農家の大西誠さんです! 町側は米農家の池田悟さん! それぞれ位置について下さい! 見物客の皆さん、危ないですから下がって! 軽トラに道を開けてください! みーちーをー! あーけーてー下さーい!」

 紹介が終わると田んぼの道の山側から一台、町側から一台、軽トラがやって来るのが見えて来た。どちらも昔のトラック野郎のようなド派手な装飾を施している。
 軽トラは五十メートルほど離れた距離で制止すると、しばらくの間睨み合いが続いた。その間に司会者がそれぞれの運転席へ行きマイクを向ける。

「大西さん、池田さんには今年どんな恨みが!?」
「あの野郎、嫁が妊娠して大変な時に俺が浮気してるだなんてデタラメな噂流しやがった! 俺はあの日、ボートレース場に行ってたんだ! 行ったのはラブホテルじゃねぇ!」

 怒気を隠さぬ声で大西が言うと、次にマイクを向けられた池田が反論する。

「俺は見たよ! はっきりと見たげぇ! 大西はボートレース場に同級生の佳世ちゃんと一緒に行ってたんだから! そのあと二人でよ、インターん所の「ニュー・ヘラクレス」に入って行ったんだって、こっちゃ見てっげな! 嫁さんの腹がでかい時にあんな真似する奴は、俺ぁ許せねぇげな!」
「さぁ、両者言い分があるようですが、ここはひとつ軽トラで決着をつけてもらいましょう!」

 わぁー! っと見物客達は大盛り上がりをみせる。しかし、この時私は「こんな下らない理由で喧嘩をしたら不動尊も悲しむんじゃないか」と疑問に思わないでもなかったが、私はよそ者であることから口にはしないことにした。

「はっけよーい! のこったぁー!」

 司会者の合図と共に向かい合っていた軽トラは全速力で駆け出した。
 ガッシャン! と大きなクラッシュ音がして二台共に飾られていた装飾が外れたが、止まる様子はない。エンジンをこれでもかと吹かし、二台の軽トラは田んぼの真ん中で押し相撲を始めた。湧き上がる歓声の間から、けたたましいエンジン音が鳴り響く。軽トラのタイヤは空転し始め、ゴムの溶ける匂いと白煙が辺りに立ち込める。唸りを上げる二台は頭を大きく左右に揺らしながら押し合いへし合いを続けている。

 しかし、ただ押し合っているだけではなく、ドライバーの腕というのもこの場では試されるようであった。
 噂を流された側の大西の軽トラはハンドルをやや右に切り、ぶつけ合っていた頭を右方向にズラすと同時に急バックをする。頭の力を逃がされた池田はハンドル操作をして軽トラをとっさに戻そうとするも、アクセルを再び踏み込んでしまい、勢い良く真っすぐ進んで田んぼの中へ突っ込んで行った。

 軽トラが田んぼに突っ込んでゆっくりと半回転して倒れると、司会者が「勝負ありー!」と叫び、群れを成す観客の半分が湧き上がる。
 なるほど、見物人は山側の人間と町側の人間で二分されているようである。
 田んぼの真ん中には青色のボードが置かれていて、「山」「町」と書かれた横に丸がひとつ書き足される。祭りが終わるまでの間、あのボードに丸が多く書き込まれた方が勝ちなのだろう。
 負けてしまった池田は軽トラから這い出て来ると殴り掛かる勢いで大西のもとへ駆け寄って行ったが周りの法被を着た連中に止められている。 
 この続きはまた来年、ということか。

 その後も山と町で軽トラを用いた闘いが続き、夕方になると最後のひと勝負が打たれることになった。
 山側の部落、そして町側の区長同士の闘いで、見物客の話によるとこの田んぼの右側は山の地区、左側は町の地区の管轄らしかった。
 勝った方はその年に農協や市場で優遇が受けられるらしく、最後のひと勝負はどちらも負けられない本気も本気の闘いなのだと言う。

 ドライバーは遠目で見ても双方七十は越えていそうな老人で、軽トラがぶつかった衝撃で死んだりしないか不安になった。しかし、見物客の盛り上がりは最高潮に達し、司会者の合図と共に軽トラは急発進してぶつかった。
 最後のひと勝負は町側の勝利に終わり、山側の老人は田んぼに落ちた軽トラから這い出て来ると唾を吐いて相手をクソ味噌に罵倒し始める。周りが止めに入ったが、虫が収まらない様子であった。
 これはとても面白いものが見れたと思い、祭りが終わると私はすぐに感謝のメールをRに送った。
 見物客の親父と話していると、その晩、村で数少ない居酒屋で行われる町側の慰労会に参加させてもらう運びとなった。

 祭りに参加した村の人々は大酒飲みが多く、また性格も豪快そのものであった。あれだけ強い衝撃を受けたのも当然、腰や首にコルセットを巻いた者が数人いたが、酒が進むと彼らは怪我など知らぬといった様子で肩を組んだり、狭い店内で相撲を取ったりして大暴れしてみせた。

 祭りはこれからも続くし、祭りがあるから村の人々に活気があるんだと皆が口にしていた。
 こんな祭りが実際にあるのかと疑問に思われる読者もいるかもしれないが、これは私の目にした奇祭の紛れもない事実なのである。

 翌日。バスに乗って村を出ると、祭りの会場となっていた小平原に差し掛かった。祭りの当日は人が多く気が付かなったのだが、その村の景観はとても美しかった。場所が特定されてしまう為、山の名前は控えるが田んぼのバックには雄大な連峰が並んでいて、その時節には山のあちこちにまだ残雪が見えていた。それが水の張った田んぼに映るものだから、私は思わずその美しさに見惚れてしまった。

 あぁ、この景色を見れただけでも私はここに来れて良かった。
 そう思いながら田んぼに目をやっていると、私はあるものに目が止まった。
  田んぼの道の真ん中で、二台のリアカーが距離を置いて向かい合っている。その距離感は軽トラのどつきあいとほぼ変わらない距離で、リアカーを引いているのは山側と町側の区長だった。立ち止まったまま睨み合いをしていた二人だったが、当然祭りは終わっているので見物客などいる訳がない。田んぼの真ん中の道で、今にも殴り合いでも始めそうな剣幕なのが遠目でも伝わって来る。田んぼをぐるりと回り込むようにバスが進むと、二台のリアカーがゆっくりと動き出す。徐々に小走りになって行き、速度を上げる。
 そして二人の老人が真正面からぶつかり合った瞬間、バスは坂を上り始めて山手に入り、木々の茂みでぶつかり合う二人の姿は掻き消されてしまった。

 このように私が見た奇祭の事実をここに書き記したものの、彼らは彼らなりの理由があってぶつかり合っているのだから、無暗に祭りを止めさせようとして足を運んだり、調べたりすることはしないで頂きたい。
 私が自身の名を伏せるのも、あそこへ訪れたよそものの数が圧倒的に少ないので身元が分かってしまうのを防ぐ目的もある。

 代筆という形でこの大枝という物書きにこの話をここに書いて頂いてはいるが、この祭りの詳細をこの物書きに訊ねてみても何ら答えは得られないので、そのようなことは一切控えて頂きたい。
 ただ、あの区長の二人の決着を知る者があれば、大枝氏を通して私に一報を入れて頂きたい。恥を承知の上でのお願いである。(2019年に行われた祭りの翌日のことだ)

 また奇祭の報告があれば、この場をお借りしてお伝えしたいと思う。

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