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【小説】 ハッピーバトン 【ショートショート】

 彼女と僕は共通の趣味がある。それは昭和の薫りを感じることの出来る、古びた商店街を巡ることだ。
 週末の今日も千葉にある地方都市へと足を運び、昭和ならではの看板や照明がズラリと並ぶ商店街に訪れていた。

「うわぁ、まだ「ナショナル」の店が現役でやってるよ」
「洋樹、ほら! 電池の自販機があるよ!」
「お! 稼働はしてないみたいだけど、これは貴重だなぁ」  

 目についたレトロな物に次々と飛びついては、僕らは写真に収めてコレクションを増やして行く。
 何か面白い昭和の名残はないかと商店街を歩いていると、一軒の古びたテナントが目に入って来た。中を覗き込むとどうやらリサイクルショップのようで、「開店記念セール」という幟が立っている辺り、どうも店自体は新しいものらしかった。

 何か面白い掘り出し物があるかもしれないと思い、中へ入る。店の中は蛍光灯が弱ってるのか、やたら薄暗く、彼女と二人で店内を歩くには物が多過ぎて狭く感じた。そこかしらに置かれた商品はジャンル分けなどされておらず、「舶来品のマッチ」の横にベルトが剥げた「自動腹筋マシーン」なんかが置かれていたりする。

「何がなんだか分からない店だね」
「少し埃っぽいなぁ……クシャミ出そう……」

 そんな風に囁き合っていると、店の奥から声が飛んで来た。

「狭くてごめんねー、まだオープンしたばっかりで片付いてなくてさぁー。うち、酒井商店っていうの、よろしくねー」

 それから一拍置いて、野球帽を逆さに被った店主らしき人物が姿を見せた。細い目に丸眼鏡。そして鼻の下の細い髭のせいか、なんだか漫画に出て来る中国人みたいな印象を受ける。

「あ、僕達観光で来てるんですよ」
「あー、そうなんだー。まぁ、何かの縁かもしれないからゆっくり見てってよ」

 店主は細い目をさらに細くして愛想の良い笑顔をこちらに向けて来る。これでは黙って出るのが何だか憚られるなぁと思っていると、運動会で使っていた真っ赤なバトンが目に飛び込んで来た。

「うわ、懐かしいなぁ。安っ、三百円だって」
「えー! かわいいー! 貸して貸して!」

 レトロ好きな彼女だったが僕がバトンを見つけると予想以上に大はしゃぎし始めた。薄いプラスチックで出来た軽いこのバトンを持つと、不思議とリレーをした時の興奮が蘇って来る。彼女とバトンを持ったりパスしたりしていると、店主が「あー」と間伸びした声を上げた。

「それ、まだあったんだなぁ」
「これ、懐かしいです! かわいいなぁ」

 彼女が愛おしげにバトンを持って眺めていると、店主は「ちょっと違うんだ」と笑った。

「それね、イギリスで一時流行ってた「ハッピーバトン」ってジョークグッズなんだよ」
「ハッピーバトン?」
「そう。何でも持っている間は必ず幸せがやって来るとかで、幸せがいっぱいになったら次の人に渡すんだって。そうすると、次の人にはもっと凄い幸せがやって来るとか」

 店主の言っている事はまじないみたいなものなんだろうけど、何だか本当にそうなりそうな予感がした。幸せをたっぷり味わったら次の人へ幸せのバトンを渡す。なんて素敵なんだろうか。
 僕はそのエピソードにお金を払うつもりで、これを買うことにした。

「えー! 素敵! ねぇ洋樹、買って行こうよ」
「もちろん、買って行こう。すいません、これ下さい」
「はーい、まいどありー。三百円ね」

 店を出た僕らは早速運試しとして宝くじを買ってみた。これもまじないみたいな物だから、もし外れたとしてもワクワク出来た経験にお金を払ったと思えば損な気分はしないだろう。

 そう、思っていた。

 宝くじの当選発表をネットで見ながら、僕は震えていた。
 まるで信じられやしなかったが、なんと一等の三億円が当たったのだ。嘘だと思って何度も何度も確認してみたけれど、宝くじは間違いなく当たっていた。

 早速彼女に知らせてみると「嘘でしょ〜?」と笑い声を上げたので、僕は深夜にも関わらず「今すぐ確認しに来いよ!」と声を荒げた。いいわよ〜と自信満々に彼女が言ったので、僕は宝くじとスマホに映し出された当選番号を準備して彼女を待つことにした。

 しかし、一時間経っても、二時間経っても彼女は来なかった。何度か連絡を入れてみたけれど返事もなく、その日はもう寝てしまったんだろうと思って床に就いた。

 翌朝、僕は彼女の両親からの電話で起床した。
 彼女は昨夜、僕の部屋へ訪れる最中に信号を無視したトラックに撥ねられて亡くなったと知らされた。
 宝くじが当たって有頂天になっていた僕は突然目の前が真っ暗になった。

 彼女の葬儀はいつの間にか終わっていたとしか言いようが無かった。
 ただ覚えているのは、遺体の顔は見ない方が良いと諭されていたことだ。白い布を被せられていた彼女の亡骸が、現実のものとは思えなかった。

 あれだけ楽しい週末を共に過ごしていた彼女が隣にいない。
 その事実は僕の気を狂わせるには十分過ぎるほどのダメージを心に与えた。

 二人で訪れたことのあるレトロな街並みが残る場所へと足を運ぶと、あまりの切なさに僕はその場でうずくまって泣き崩れた。
 何処へ行っても彼女との思い出が溢れていて、僕は外へ出るのが怖くなった。そして、仕事もそのまま辞めてしまった。

 金だけはあるから生活に何の心配もなかったが、心は死んだまま季節だけが過ぎて行く。横になりながら枕の周りに手を伸ばすと、埃の積もったハッピーバトンに指が触れた。

 こんなものさえ、買わなければ。

 そう思いながらバトンを握り、折って捨ててやろうと思っているとインターホンが鳴った。
 僕の家へやって来る人は相当限られているので誰だろうと思っていると、見知らぬおばさんの二人組だった。

「私達は「おしえの家」の者です。広く布教活動をしておりまして、ここへやって来ました。心の迷いなどがあれば、お話を聞かせてもらえませんか?」

 以前の僕だったら鼻で笑ってお帰りを願い出ていただろう。しかし、この時ばかりは真っ暗闇の中で微かな光を見つけたような、そんなホッとした気分になったのだった。バトンのおかげだろうかとも思った。

 おばさん二人を部屋に招き入れると、二人は無駄口を挟むことなく僕の話を熱心に聞いてくれた。そればかりか、話を聞きながら涙さえ流していた。
 信者の中には僕と同じように最愛の人を亡くした信者さんが数人いると教えられ、僕はその週末に「おしえの家」の教会へ足を運んでみることにした。

「おしえの家」は堅っ苦しい宗教団体のようなお経を唱えたりするとかいう活動ではなく、グループディスカッションのような形式で個々の心の悩みや苦しみを打ち明けるといったことを行っていた。
 彼女のことを話しているうちに、心が段々と楽になり、他の人の苦しみを聞いているうちに、まだ自分の心が他人の痛みで動くのをはっきりと感じ取った。

 人の苦しみを理解しようとすることが自分の中の苦しみを救う唯一の方法なんだと年配のグループ長から教わり、感銘を受けた僕は早速入信することに決めた。

 それからは布教活動やディスカッションにのめり込むようになり、他の地区の活動にも顔を出すようにもなった。
 そんなある日、県で一番偉い幹部の方から「是非会いたい」とお声掛けを頂き、実際会うことになった。
 大きな支部で会った幹部の方はパリッとした紺色のスーツを着ていて、白髪交じりのオールバックにも気品を感じる艶があった。金色の腕時計もとても似合っていて、格好良いと思った。

「いやぁ、日々の活動ご苦労様です。永塚洋樹さん、二十八歳。まだこんなにお若いのに、非常に活動熱心で創師共々、我々は驚いております」

「創師」というのは「おしえの家」の創始者で、僕らにとっては神様のような存在だった。創師のおかげで、今の僕は生きていられるのだ。
 幹部の方が僕の活動履歴を見ながら「あの」と眉を一瞬、ひそめた。

「これだけの活動をしていたら、仕事がままならないと思うのですが、永塚さんは普段何のお仕事を?」
「僕、宝くじが当たった直後に彼女を亡くしたもので……それで、ほぼ手付かずだったそのお金を資金源に今は生活をしているんです」
「ほう。それは一体、いくらくらい?」
「三億円ほどです」
「ほうほう、なるほど、はぁーほうほう。永塚さん、あなたを見込んで是非お話したいことがあります」

 なんと、僕は幹部の方からの推薦で出家信者に抜擢されたのだった。
 現世を捨て、選ばれし出家信者になれる。そうなれば生活の全てを創師と共に過ごせるようになるし、より核心的な心理に近付くことも出来る。
 僕はその後幹部の方から言われた通り、おしえの家の口座に残高の二億八千万円を振り込んだ。

 するとこの世界のしがらみの全てから解放されたような気分になり、彼女を亡くして以来初めて生きていることに感謝が出来る自分がいることに気が付いた。

 これからは「おしえの家」の本部で一汁一菜の生活を送る日々が待っている。それは修行の為だし、それが何よりの幸せだと僕は感じられている。

 僕は出家初日、僕を勧誘してくれた井田さんという信者さんのおばさんにあのハッピーバトンを引き継いだ。これ以上、僕だけが幸せになってしまっては世界に申し訳ないと思ったのだ。

「おしえの家」の本部に併設された薄暗い道場へ足を踏み入れると、そこの中は幾つものパーテーションで区切られていた。
 その中のひとつ、二畳ほどのスペースが僕の新しい人生の家だと案内された。隣の人との仕切りは本当にパーテーション一枚を隔てているだけで、人との境界を取っ払う修行にはもってこいだと感じた。

 僕がパーテーションの中へ入ると良く肥えた数匹のチャバネゴキブリがゾロゾロと這い出て行くのが見え、「人類も虫も同じ生き物」という教義をここで実践しているんだと、心が感動で思わず震えてしまったのであった。

 道場内の暗がりから咳込む人達の声がゲホゲホと聞こえて来るけれど、病気になっても教義さえ実践していれば覇気が追い払ってくれる。だから僕は「頑張れ!」と大きな声を出してみんなを励ました。ここで暮らしているってことは、みんな僕の魂の家族なんだから。

 僕はこれからの生活を想像すると、幸せ過ぎて頭も心もどうにかなりそうだった。居ても立ってもいられない気持ちになってソワソワしたけれど、慌てない慌てない、そう言いながらパーテーションの中に腰を下ろす。

 彼女を亡くして沈んでいた昔を思い出し、あの頃はまだまだ青かったなぁなんて照れ臭くなりながら、僕は創師の教えを録音したCDをヘッドフォンで聴き始める。

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