見出し画像

人生甘くないよ!たけし日本語学校奮闘記~番外編~「長老たちのまなざし」

ベナン共和国に初めて行ったのは2004年。それから17年の月日が経ちました。今回は日本語学校ではなく、小学校建設、運営で出会った村の長老たちのことを少し書きたいと思います。

学校がなぜあるのか知りたかった学生時代

僕は大学時代、教職課程を専攻していました。
教職課程では大学4年生になると教育実習があり、僕は地元の高校で教育実習をすることになりました。
教育実習初日、僕はいまでも忘れられない経験をしました。
職員室に入ると、僕が担当する教科の教科書、資料集が準備されていました。担当してくださる先生の後について教室に入ると、綺麗な制服を着た生徒たちがきちんと座っていました。チョークもありました。きれいな黒板もありました。僕はその瞬間、この当たり前の光景から一度、抜け出したくなりました。

(僕は学校の原点が知りたい。)

大学を卒業するまで、その気持ちは変わりませんでした。そして僕は大学を卒業後、ゾマホンさんと一緒にベナン共和国にいって、原点を探し始めることになります。

ベナン共和国での小学校事業

僕はベナン共和国で日本語学校の運営以外に、たけし小学校、明治小学校、江戸小学校、いのうえ小学校、あいのり小学校、つづき小学校、ところ小学校など、7校の建設、運営にたずさっています。
当たり前ですが、ベナンに小学校を建てるには、お金があればすぐに建てられるものではありません。

大きなところでは、まずベナン共和国の初等教育省と建設場所の選定と承認が必要です。それが決まれば、建設工事業者の選定などが続き、多くの事務処理、調整が必要になります。場合によっては教員の選定も初等教育省と一緒に協議することもあります。そして何よりも大事なのは小学校建設地域の人々への説明と賛同を得ることです。

小学校の建設場所が確定すると、まず先にやることは井戸を掘ることです。水がないところに小学校を建てても人が集まりません。だからまず井戸を掘ります。
※詳しくはゾマホン著書『ゾマホン、大いに泣く』(河出書房新社)にも書かれていますので、ぜひそちらもご参考ください。

小学校ができたなら、次にその小学校が廃校にならないように維持、運営することが重要です。聞いた話ですが、寄付でできた小学校が、数年経つと維持運営ができなくなり、廃校になってしまうケースがよくあるとのことです。

僕たちはそうならないようにベナンに行った際、必ず建設した小学校を見て回ります。1度に7校、すべてを見に行くことはできませんが、必ず行きます。行って校長先生はじめ先生方、地域の人々と懇談会をもうけ、運営状況の確認や困っていることをヒアリングします。解決すべき内容はゾマホンさんと共有し、対応にあたります。そんな小学校事業で何よりも大切にしているのは、その地域の長老たちの話です。

伝統的な教育と近代教育

2004年にある村の長老に教えてもらったことがあります。
「小学校に行くとフランス語や算数を勉強することができる。しかしその子どもの親は小学校に通っていない人も多く、フランス語の読み書きが難しい。そうすると、子どもたちが読み書きできない親の世代を馬鹿にしてしまうことがある。それは地域にとっては大変危険なことだ。他にも算数を勉強すると、たし算、ひき算ができるようになる。たし算、ひき算ができる人は、お金のやりとりで、算数ができない人を簡単にだますことができる。これも危険だ。だから小学校で知識を習得することと同時に、その地域に伝わる伝統的な教え(倫理観)もしっかり伝えていかないといけないんだ。伝統的な教えは小学校だけで教えるのは難しい。地域全体で子どもたちに教えなければいけない。こういったことは人間社会、どこでも同じだ。」

それを聞いたとき、僕は小学校ができたことで誇らしく思った自分が恥ずかしくなりました。長老たちは地域に小学校ができたことによる、村人たちの心の変化を冷静にみて、そして僕にそれを気付かせてくれました。もちろん僕だけでなく、その村の若い人々にも言い聞かせていました。

画像1

▲どこにいっても長老たちは優しく、静かな声で語りかけてくれる。

長老の存在

僕がベナンの田舎でよく目にするのは、村長や長老の近くに子どもたちが自然と集まってくる光景です。村の子どもたちは村長や長老のまわりでお遊びをしています。時どき怒られている子どももいます。僕がとても好きな光景の1つです。なぜ好きかと言えば、学校という建物がなくても、こうやって「教え」「教わる」ことを人類は続けてきて、今日があるのだと感じることができるからです。

画像5

▲村に行くと必ず最初に長老に挨拶をする。

画像5

▲長老のまわりに自然と子どもたちが集まる。この光景が何よりも好き

画像4

▲あいのり小学校ができる前の校舎で長老と談笑。
長老が小学校の椅子に座って「私も小学校に通いたくなったよ。」といって
笑わせる。

画像5

▲長老と話が終わった後、あいのり小学校の校長先生と挨拶。

画像6

▲たけし小学校の校長先生はじめ先生方、地域の村人たちとの会議
真剣な議論が続く

画像7

▲ところ小学校の子どもたちと一緒に

画像8


▲これから掃除の時間なのに、校長先生の目を盗んで僕たちと遊ぼうとする子どもたち。子どもたちのわんぱくな姿は何よりも癒し。いのうえ小学校にて。

おわりに

ベナン共和国に限らず、日本国内でもいろいろな教育問題があります。
教育が満たされているがゆえに、発生する問題です。もしそれらの問題で悩んでいる方がいれば、ぜひベナン共和国の田舎の小学校に来てもらい、真っ新な目で、学校やその地域を見て感じてもらいたいです。きっと何か得られるものがあると思います。
・・・
ベナンにも「教職」という資格は存在します。しかしその資格以前に、子どもたちが自然と集まってくる大人が「先生」になるということを僕はベナンの村の長老たちから気付かせてもらいました。これは僕にとってかけがえのない財産です。(番外編おわり)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?