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私の備忘録

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独学我流で写真を学んでいる私の立場から必読の記事を掲載させていただきます。
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#詩

句碑*観音の慈顔尊し春の雨

大野万木 鎌倉 長谷寺の経堂の脇に句碑があります。 鎌倉長谷寺のご本尊は、十一面観音菩薩像。高さ三尺三寸、寄木造りで全身に金箔が塗られています。 大和長谷寺に次ぐ国内最大級の高さだといいます。 観音の名を称えれば、七難、三毒を逃れ、観音を念ずれば子宝に恵まれるという現世利益があるといいます。 また、観音は衆生の救いを求める声を聞きつけると、救うべき相手に応じて33種類の姿に変化してこの世界に現れ、苦難から救い出してくれるのだそうです。 すなわち、観音菩薩は今生きているこの

ぜんぶ。

咲いていても 咲いていなくても どこかへ向かう道のりも 何かが終わるときも 全部その人の大切な一部です。 というよりもどんな姿も その人の " 咲いている " でもあるのかなって 写真の桜も " 咲いてないときのわたしも見てー " と言っているようにも見えました。 咲き誇る美しさに 誰もが目を奪われるけれど 咲くまでの道のりも 散りゆくその果てまでも 美しいことを知っているよ " 知っている。" に愛を込めて phot by...

共鳴*老松に春一番の濤しぶき

(岡田 耕)

詩ことばの森(100)「木に思う」

木に思う 冬空に向かって 木はなにかを摑もうとしている それは虚空なのだろうか それとも幻なのだろうか 人にわからなくても 木は知っているのだろう 枝々を空へとのばしている よく見ると 木の動きは自由で わたしのように 滞ることはないらしい しっかりとした根を かたい土に生やしている木 強くしなやかに 高みへと向かっていく (森雪拾)

詩ことばの森(99)「冬の土を思う」

冬の土を思う 冬の土を見てると 秘められたなにかが ありそうに思う 冷たい土に 冬の日差しがあたり わずかにほころび 土の養分のうごく音が かすかに聞こえてくるようだ 無表情をよそおいながら 多くの可能性を持っている土 春の訪れを待ちつづけている (森雪拾)

詩ことばの森(97)「石の心」

石の心 石を見ていたら 誰かの声が聞こえた 振り返ると そこには誰もいない 僕の目の前には 石が置かれているだけ 立派な石だなあと思いながら 石にも心があって 何かを語りかけている そんな気がしたのだ 僕のいたたまれぬような 浮足立つ気持ちを 石はすっかり 見抜いているのかもしれない 僕はしばらく石を見つめていた あやかることはできぬまでも 少しは強い自分になりたいものだ 僕はそっと石の上に手をおいた (森雪拾)

掲載*酔客が酔客起こし十二月

岡田 耕 掲載誌:『俳句四季』1998年9月号 東京四季出版 〔新・作家訪問〕土生重次 「扉」主宰 ―きっかけは叔父への供養) (岡田 耕) 【スキ御礼】掲載*魂抜けのやうに紅褪せ曼珠沙華

詩ことばの森(71)「冬の駅舎」

冬の駅舎 冬の町に 小さな駅舎が 明かりを灯す夕べ 薄暗い改札口から 懐かしい姿で 降りてくる人びと それらの出会い そして別れが 目に染みるのだ 人の生きるという姿が 故郷の小さな駅舎で 心をとらえて離さない 一晩中 灯されつづける 古い電灯の光は さみしい ぼくの心だ プラットホームで線路を 浮びあがらせる電灯は まるで かろうじて生きている 影をうつしているみたいだ 森雪拾

選評*一茶忌や母の名刻む竹定規

☆小林一茶の生涯・・・flow Essence 美年~mitoshi~ さんが詳しく記事にされています。ご紹介します。 【スキ御礼】選評*自然薯の児の丈ほどを掘り上げし

鑑賞*探梅やこの一輪に出逢ふため

松浦 加古 句集『探梅』所収。平成二十四年作。 春を過ぎて咲く桜は余花。 春を前に梅を探すのは探梅。 桜は過ぎゆく春を惜む花。 梅は来るべき春を喜ぶ花。 桜は散りゆく姿を見に行きたくなる。 梅は開きはじめを見に行きたくなる。 だから、出逢う梅の花は一輪でいい。 (岡田 耕) 【スキ御礼】「鑑賞*星のぞく聖樹飾らぬ家あれば」

詩ことばの森(56)「木にふれる」

木にふれる 木にふれると 指先に温かさを感じた 木の肌に 耳をつけると 水の流れる音がした 木は生きているね と きみに話したら それは ぼくの体温で ぼくの血の 流れている音だ という なるほどな と感心しながら ぼくは ぼく自身にふれてこなかった 重大な過失に気がついた 生きていることを 自覚しない生き物を前に 木は驚いたことだろう 不思議とも 不気味とも 思ったにちがいない ぼくはふたたび 木の下に立った そうして 手のひらで 木の幹にふれた あたたかい命が

「道」

もう、どのくらいたつのかなぁ。 きっと、20~30年たつと思うのですが、 私の部屋の壁に貼ってある「道」という詩。 何かの雑誌の中で目にとめた詩だと思うのですが、今となっては、誰が書いたものなのかわかりません。 ただ、その時、弱い自分の胸に響き、書きとめた詩です。 カレンダーとその詩が張られただけの殺風景な壁なので、自ずと毎日、毎日、目にとまります。 気かついたら長い年月、毎日、毎日読んでいることになります。 毎日、毎日、 お経を唱えるように読んでいます。 「道」

「娘たち」 茨木のり子

茨木のり子さんの詩集を読みました。 職業柄「娘たち」の詩が心に沁みたので書きます。 「娘たち」 イヤリングを見るたび おもいます。 縄文時代の女たちとおんなじね ネックレスをつらねるたびに おもいます 卑弥呼のころと変わりはしない 指輪はおろか腕輪も足輪もありました 今はブレスレット アンクレットなんて 気取ってはいるけれど 頬紅を刷(は)くたびに おもいます 埴輪の女も丹(に)を塗りたくったわ ミニを見るたびに おもいます 早乙女のすこやかな野良着

ユリの女王・カサブランカ

今年は、夏を感じさせてくれる銀座のお祭りや盆踊りが中止になりました。 毎年、楽しみにしているのに、とても残念です。 けれど、 お花は毎年、同じ時期に咲き、季節を教えてくれます。 今年も「カサブランカ」「ヒマワリ」が 私の自宅の庭に咲きました。 まだ梅雨明けはしていませんが、もうそこまで夏がやって来ています。 気候変動、コロナウイルス、不安だらけの世の中ですが、 今年も変わらず咲いているお花を見ると、なんだかとってもホッとします。 「ユリの女王」と呼ばれている「カサブラ