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俺たちが間違ってんのか、社会が間違ってんのか、はっきりさせよう



先輩が会社を辞めた。1年で。



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先輩との話


先輩とは大学時代の部活の1個上の先輩のことで、本当に本当に大好きな先輩だった。家が近かったためよく家に上がりこんだ。どうしても全裸監督が見たくて、毎週ネットフリックス乞食をするために家に通った。一人で徹夜して早朝の焼きたてのパンを買いに行き、寝ている先輩をむりやり起こして一緒に食べた。先輩には彼氏がいたから、のろけ話も彼氏に対する愚痴もたくさん聞いた。だけど一緒に野毛のストリップショーを見に行ったこともある。本当に好きだった。


1個上だから、先輩は先に社会人になる。横浜を離れて地元の大きな企業に勤めるらしい。就活中もよく愚痴を聞いていたからわかるけど、第一志望ではなかったもののまあそこそこいい会社だそうだ。「横浜を離れるのは寂しいけど社会人頑張ってくらぁ!」と先輩は笑って言った。俺も先輩と離れるのは寂しかったけど、辛気臭いのはらしくないなと思い、笑った。


先輩が就職し、俺も就活が始まった。よく電話をした。就活の相談だけではなく、部活のことだったり主に下ネタだけど最近会った面白いことだったりと、会えない寂しさを紛らわすように、会えなかった期間を埋めるように、とにかくいろんなことを喋った。電話の向こうで先輩はいつも通り笑っていた。先輩も研修が始まりなんだかんだ同期と仲良くやっているらしい。男は細いやつしかいないと嘆く先輩に対し、それアメフト部に毒されてますよ、と二人で笑った。


初夏になった。本格的にコロナが蔓延していき、緊急事態宣言も発令された。部活も対面で禁止され、思うような活動ができず歯がゆい思いだった。練習試合もなくなり、モチベーションが低下していった。部活だけではなく病院でバイトをしていたため、忙しい毎日を送った。それでも月に一度程度は先輩と連絡を取った。本配属され、所属の部署もいい人ばっかりらしい。先輩は俺の愚痴をずっと聞いててくれた。電話越しの先輩は相も変わらず優しいままだった。先輩と話しているときだけ辛い現実を忘れることができた。


最後の夏が始まった。最後の夏と言えども、合宿はなければ練習試合もない。学校の指針に従って少ない練習量をこなした。しかしここまでくるとzoomを用いたミーティングや筋トレなどある程度適応はしていた。適応していたからこそ、部活のレベルが例年以下の現実を知る。どうしようもなかった。部内のメンバーは本当に本当に頑張っていた。最高の組織だと思った。だからこそ余計に辛かった。先輩も仕事頑張ってるし俺ばっかり愚痴を言うのは申し訳ない。連絡が少なくなった。


秋になった。例年であればシーズンが始まり、チームにも緊張感が出始める時期。今年は試合があるのかどうかすら分からない。連盟の連絡を待つ日々。二転三転する情報。もう一回宣言が出るかも?もうそうなったら俺たちの代は終わりだな。寂しく笑い合う。先輩は会社への不満をこぼすようになっていた。雰囲気、環境、そして人間関係。俺にはどうしようもできないからこそ親身に話を聞いた。「会社やめたいな」と先輩は軽く笑いながらいった。「1年目で辞めるのはヤバいっすよ」と俺も笑いながら返した。くだらないことで笑いあう時間のかわりに、ため息が増えた。


冬になった。俺たちは引退した。どう考えてもいい終わり方ではなかった。コロナをくそほど憎んだ。人生で一番泣いた。ぼろぼろぼろぼろと涙を流した。時間が経っても、最後の情景がフラッシュバックし、精神的に過呼吸になった。親友に電話をして、学校のカウンセリングに足を運ぶことで事なきを得た。引退のことはもちろん先輩にも伝えた。「とにかくお疲れ」と言ってくれた。先輩の声を聴いて、バレないよう静かに泣いた。


新年を迎えた。引退して時間に余裕ができ、また先輩と連絡を取り合うようになった。多分本格的に仕事を辞めようとしてる話を聞いたのはここらへんだったと思う。どうしてもどうしてもどうしても「無理」だったらしい。俺はもちろん反対なんかしない。当時卒論を執筆していた俺は、テーマである「生きる意味」になぞらえて色々語った。だいぶウザかったに違いない。でも先輩は一言、ありがとう、と言った。その素直さにだいぶ精神的に参っている様子が伺えた。


春が来た。色々あって俺は社会人になれなかった。「社会って本当にゴミだから全然いいと思うよ」と先輩は言った。はたから見れば傷をなめ合っているようにみえるかもしれない。社会はゴミではないと憤慨する方もいるかもしれない。けれども、新卒として希望を抱いて社会に飛びだした一人の人間が、たった一年で社会に絶望する様を見てきた俺は、何が正しいのか分からない。社会とはなんなのだろうと考え始めた。


そして先週、先輩は仕事を辞めた。一年で辞めた。辞める時も、優しい先輩は挨拶とか菓子折りとかいろいろ悩んでいた。退職代行に一任すればいいんじゃないですか、と投げやりな提案をする俺に対し、先輩は最後まできっちりと挨拶を済ませ、辞めた。俺はアマゾンギフトを送ってお祝いをした。電話越しの先輩は本当に本当に嬉しそうだった。


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「考えるOL」さんの話


先輩の辞める話を聞いてから、俺もいろいろと調べた。そこであるnoteの作者を見つけた。


考えるOLさんが書いたnote。心がえぐられた。共感する力が少し長けていると思うんだけど、読んで気持ち悪くなった。仕事を辞めたいと語った彼女は、のちにうつを発症する。

「仕事を辞めたい」とnoteに記した時からうつになるまで、彼女はいくつかの記事を書いている。20年の秋口に書かれた『がんばらないことをがんばるってきめた。』という記事の結びはこう締められている。

“そんなこんなで、これから少しの間、がんばらないことをがんばることにした。
これは、怠惰ではない。未来を生きるための大切な意思決定だ。

ちゃんと自分と向き合って、最善の選択肢を自分で考えて行動できる私は、きっと幸せになれると信じてるよ。”


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はっきりさせよう


仕事に苦しむ方は他にもいる。大手商社を二年で辞めた。新卒で担任を任されて、毎日しんどい。固形物がのどを通らず、離乳食を摂取した。みんなの前で罵倒される。精神的にまいり、地元に帰り家族と過ごしている。仕事のせいで人生を終えようとする。

なんか、なんか間違ってませんか?

体育系学生を募集していた企業との面接で、逆質問をしてみた。「御社は体育系学生を積極的に募集していますが、該当する学生にどのような素養があると見込んで求めているのですか?」。人事の方は、一つにコミュニケーション能力の素質を有している可能性が高いと語った。年齢や性別分け隔てなく、組織で行動を共にしてきている。また年の離れたOBや監督・コーチと会話し、礼儀作法もわきまえている。これは理解できる。

次に体育会系の学生は、ストレスへの適性がある、と語った。厳しい上下関係に揉まれ、一筋縄ではいかない状況下で四年間を過ごしてきた。社会は思い通りに行かないことの方が多い。「ゆとり世代」などは私たちの世代よりも精神的に弱く、潰れてしまう可能性が高い。そういった意味で君たちは四年間のストレスへの適性があるだろう、と。

確かに適性はある。部活に入って一年目は心が死ぬ思いで練習に食らいついた。でも何度も何度もやめようとした。実際に部活を辞めていく人も多かった。でも俺が辞めなかったのは、練習後にくたくたになりながら飯を食い、眠気に負けそうになりながらもアサイメントを一緒に覚えた大切な同期の存在や、どんなときにも励ましてくれた先輩、何があってもついてきてくれた後輩の存在があってこそだった。

そんな、そんな四年間を「ストレス適性がある」という一側面で判断してほしくない。ずる休みも一度か二度した。お酒の飲みすぎでみんなに大変な迷惑をかけた。キャプテンながらチームの皆に何度も何度も助けられた。本当に弱い存在なんだ。

弱いのにも関わらず、こんなにも素敵な四年間を過ごすことができたのは、間違いなく弱さをさらけ出し認め合える環境にいたからこそだと思う。


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社会は間違っている。

弱いけれども本当に良い人たちが、社会に対して「生きづらさ」を抱えるのは間違っている。

強い人しか残れない社会は間違っている。

そっちから見たら俺たちが間違っているかもしれない。

「社会で生きるってそういうことなんだよ」って?



うっせーばーか


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                          大好きな先輩と

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「あなたは、自分を正しいと思った者たちの犠牲者なのだ。もちろん、正しいものなど存在しないというのが真実だ」 
      
      ー最近ポレポレいわきで見た『戦場のメリークリスマス』から





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