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「映画けいおん!」の聖地の学校で、放課後ティータイムを過ごした話

高校生の娘がギターを始めたのは、小学校のときに観た「映画けいおん!」の影響だった。

「けいおん!」(K-ON!)は、高校に入学した唯(ゆい)、律(りつ)、澪(みお)、紬(つむぎ)そして途中からは梓(あずさ)が、廃部寸前の軽音部で「放課後ティータイム」というバンドを組む学園アニメ。バンド活動といってもじっさいはかなりゆるい感じで、いつも部室でお茶を飲んでいる。

「映画けいおん!」はその名の通り映画版で、彼女たちがロンドンに卒業旅行に行くというお話だった。そしてなぜかロンドンで演奏していた。

アニメ「けいおん!」の聖地、豊郷小学校にて

「映画けいおん!」がきっかけでギターを始めた

娘が最初に「けいおん!」のアニメ版を観たのは、たぶん小学1年生か2年生のときだったと思う。小学校がインフルエンザで学級閉鎖になって、ヒマを持て余したわたしたちはケーブルテレビで「けいおん!」の一挙放送を観たのだ。

このとき夢中になっていたのはむしろわたしのほうだったかもしれない。ベッドのうえでギターの練習をする唯ちゃんの姿は、絵を描くことに夢中になっていたじぶんの高校生時代と重なったし、たいして練習もせずに軽音部の部室でお茶を飲んでだらだらと時間を過ごしていた彼女たちの姿は、学生時代のわたしとわたしの友人たちの姿に重なった。

放課後ティータイム(豊郷小学校にて)

娘は梓(あずにゃん)が特にお気に入りで、猫耳のカチューシャをよくつけていた。(たしかそんなシーンがあった)

そんな思い出があったので、数年後に娘が小学校高学年になったとき、映画版の「映画けいおん!」をレンタルビデオ店で借りてきてやった。ところが娘はアニメ版「けいおん!」の記憶はあまり残っていなかったらしい。アニメ版を見ていたのは6、7歳くらいのときだから無理もない。そう、やっぱり彼女たちの物語に夢中になっていたのはむしろ母親のわたしのほうだった。

しかし、意外にもそのとき借りてきた映画版の「映画けいおん!」は、小学6年生の娘に大きな影響を与えることになった。

「ギターが欲しい」

娘がそう言い始めたのだ。娘は念願どおりその年の誕生日プレゼントでピンクのギターを買ってもらって、猛練習をはじめた。ベッドの上にぺたんと座ってギターの練習をするゆいちゃんの姿が重なった。

中学に入ると娘は、ブラスバンド(吹奏楽)部に入部した。神戸はジャズが盛んな街なので、中学校の吹奏楽部もスウィング系のジャズバンドだった。娘は「リズム隊」の一員としてギターを演奏することになった。指導が熱心で有名な部活だったので、ときには厳しくもあったと思う。それでも娘は音をあげず、せっせと練習に励んだ。ギターが楽しくてしかたなかったのだ。

娘が中1のとき、あまりにも悲しくいたたまれない京アニの事件が起こった。被害に遭われたかたのなかには「けいおん!」に関わってくださったかたもたくさんいただろう。やりきれなかった。娘とふたり、「けいおん!」のおかげでギターやってます! と天に叫んだ。娘をギターに出会わせてくれて、ほんとうにほんとうにありがとう。

高校生になった娘は、もちろん軽音部に入った。きっと高校生の放課後を、キラキラと満喫していると思う。

学生時代の友人たちと過ごした放課後

わたしにも放課後の思い出がある。学生時代に出会った友人たちと、授業や制作が終わっても、いつもそのままずるずると中庭でながいあいだ話していた。もっとみんなといっしょにいたくて、すぐに帰ってしまうのがもったいなかった。卒業するのもさみしかった。別れの時間を少しでも引き伸ばしたくて、わたしたちはながいながい放課後をそこで過ごした。

校舎の中庭で

卒業制作の作品をみんなの家に順番に届ける搬出ツアーをしたときは大変だった。作品をレンタカーに詰め込み、学校のある京都の北白川を出発してみんなの家を回り、最後に友人アサダ(仮名)の実家のある滋賀県彦根市まで行く搬出ドライブ。運転は免許を取ったばかりの友人フジコ(仮名)だ。

慣れない運転に緊張するフジコ。初めての長距離ドライブは出発からつまずいた。ボタンやレバーがわからずにあっちこち引っ張ったり押したりしているときに、どうやらトランクが軽く開いてしまったらしい。後ろの車が気づいてクラクションで教えてくれたのだが、わたしたちは煽られていると勘違いし、ビビリまくっていた。

終始そんな具合で、午後に出発したのにすっかり日は暮れ、おまけに彦根に向かう途中に大雨が降ってきた。彦根についたらもう真夜中で、みんなクタクタになった。そのときに彦根のアサダ宅でいただいた鮒寿司の味とセットとなって、今でもみんなの笑い話になっている。

卒業して、みんなバラバラになった。アサダはアメリカに行ってしまった。

最近、長くアメリカにいたアサダが、地元の彦根に戻ってきた。でも彼女は家族の介護のため、長く外出することができない。だから彦根まで会いに行った。フジコといっしょに。あ、今回はおとなしく電車でね。

近江八幡・豊郷・彦根の旅

近江八幡で近江牛ランチを食べた。3人で久しぶりに会ったけど、アサダがあいかわらずでうれしかった。学生時代に中庭でお昼ご飯を食べていた時とまったく同じ、お箸を胸のあたりでトントンと揃えるアサダの仕草に、わたしはひそかにジーンとしていた。あのときのアサダが今もここにいる。おかえり。

とにかくアサダもフジコも、ものすごい激動の人生だ。わたしもそれなりに苦労や挫折や失敗を味わってきたつもりだけど、ふたりの波乱万丈さに比べたら、じぶんの人生がまるでオママゴトみたいに思える。

最近、新しいパートナーができたフジコがしみじみ言う。

「彼氏が日本語がしゃべれて、運転ができるって、それだけで最高よね」

うんうんとアサダもうなずく。

「わかるわ〜」

いや、そこふたりだけでわかりあわんといて。

ヴォーリズ建築

近江八幡を集合場所にしたのは、せっかく滋賀県に行くのなら、ヴォーリズ建築も見てみたかったから。

ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(William Merrell Vories)
日本名:一柳米来留(ひとつやなぎめれる)
1880年(明治13年)アメリカ合衆国生まれ。建築家を志す青年であったヴォーリズは、キリスト教の外国伝道師として1905年(明治38年)、24歳のときに来日。滋賀県近江八幡での英語教師を出発点とし、ヴォーリズ建築設計事務所の設立や、メンソレータム(現メンターム)の販売、幼稚園から高等学校にまで及ぶ教育活動など、数多くの事業を行った。

豊郷小学校 案内パネルより抜粋
ヴォーリズ建築の近江八幡教会

わたしがヴォーリズ建築をみたいと言うと、アサダは言った。

「そんなにヴォーリズ好きなんやったら、豊郷(とよさと)小学校に行ってみる? なんかけいおんの舞台になってる学校みたいやで」

「行く。わたし、けいおんむちゃくちゃ好きやから。娘もそれでギターはじめたくらいで」

と、即答。そうして「けいおん!」の聖地となった豊郷小学校に連れて行ってもらうことになった。

「けいおん!」の聖地、豊郷小学校

アサダの運転で、豊郷小学校に到着した。

豊郷小学校

豊郷小学校
Toyosato Elementary school

古川鐵治郎氏の寄付をもとに、建築家ウイリアム・メリル・ヴォーリズ氏の設計により、昭和12年に竣工した学校。

案内パネルより抜粋


学園祭でライブをした講堂

唯ちゃんや律ちゃんたちがパタパタと走っていそうな廊下。

お話にも出てきたウサギと亀の階段。

抜かれちゃうよ、ウサギさん。

3人で歩いていると、つきあたりの扉の向こうからぱたん、と物音がした。わたしはけいおんの世界にどっぷり浸っていたので、けいおんのメンバーのひとりがかけ上がっていったような気がしていた。

アサダがこともなげに、「誰か居てはるわ」と言った。

そのつきあたりの扉の向こうの階段を登った奥に、その教室はあった。

ここが、彼女たちの部室だ。

放課後ティータイム!

まるで唯ちゃん、律ちゃん、紬ちゃん、澪ちゃんが座っておしゃべりをしていそうだった。

ここは、梓(あずにゃん)の席かな。

いる。いるよね、ここに。彼女たちが。

「わたし、ひそかに感動してるんだけど」

と、わたしが言うと、

「ほうか〜、そりゃよかった」

アサダがあっさり言う。

黒板には、聖地を訪れたたくさんの人の寄せ書きがあった。この日は2022年の12月だったので、その日付が書かれている。当番は唯ちゃん。

よくみると、2023年とかいてある。まだ2022年12月なのに。

「未来から来てはるわ」

アサダは言う。

いや、そうなのかもしれない。きっと、ここには未来も過去もないのだろう。たぶん、すばらしい作品には時間という概念がないのかもしれない。

黒板にも書いてあった。

「放課後ティータイムは、いつまでもいつまでも放課後です」

うん、そういうことなんだと思う。ながいながい放課後なんだ。たぶん、未来も過去もないのだ。ここにはただ、放課後がある。

「物語の中に彼女たちは生きている」そういうことを言いたいわけじゃなくて、ただ単に、ながいながい放課後なんだと思う。それは、未来でも過去でもあり、彼女たちの放課後であると同時にわたしの放課後でもあり、おそらく娘の放課後でもあるのだ。

そんなことを考えながら、ひとり感動しているわたしを、友人たちは静かに待ってくれていた。

そっと、わたしの気のすむまで。

ながいながい放課後のなかに、彼女たちがいた。あの頃のように、椅子にこしかけて。

わたしは胸がいっぱいになった。

「ありがとう。連れて来てくれて」

それからわたしたちは、彦根のクラブハリエのカフェでほんとうのティータイムをして、またねと言って別れた。


また、どこかの放課後でね。







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