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酢豚の看取り|藤木良明『民家:最後の声を聞く』を読む

マンション修繕の分野で実績を積み上げてきた藤木良明氏(以下、敬称略)の最新刊『民家:最後の声を聞く』(学芸出版社、2018)。

大学教授職を退職した後、山村集落再生のNPOを立ち上げ活動し、自らも近江八幡の古い町家を老後の住まいとする著者が民家について書いた本です。その内容は類書によくある様式論でも再生論でもなく、民家の「最後の声を聞く」という、まるで民家の「看取り」のような内容です。

そんな『民家:最後の声を聞く』を通して、住まいって何だろう?を考えてみたいと思います。

酢豚なくなるんですか!

2017年5月。スナック菓子「カール」が東日本地域での販売を終了するという衝撃のニュースが報じられました。ネット上では消える「カール」を惜しむ声や撤回を望む書き込みであふれたのだけれども、では、嘆くほど「カール」を購入していたのか?と問われると「ゴメンナサイ、もう随分と買っていませんでした」というのが正直なところ。
  
「カール」の歴史的意義(あの激動の1968年に日本初のノンフライスナックとして販売開始)ゆえに継続販売してほしいけれども、じゃあ、あの指先にも歯グキにもこびりつくお菓子をしょっちゅう食べる意志があるのかというと決してそうではないだろうな。
 
そんな「カール」の騒動を見て連想するのは、マンガ『鈴木先生』(双葉社)に出てくる「酢豚」のエピソード(第1巻、2006)です。

大食漢の女子生徒・樺山は、大好きな「酢豚」が給食メニューから廃止されると知って大ショックを受けます(図1)。

図1 絶叫する樺山(武富健治『鈴木先生』双葉社、2006)

いつも大量の食べ残しが出てしまう「酢豚」は廃止されるべきなのか存続すべきなのか。まずは、酢豚を食べられない生徒がどれだけいるのかを把握するアンケートを実施。その過程でいろいろな問題が浮上する。

好き嫌いをなくす幼少期からの躾の問題。「廃止になる酢豚がかわいそう」に流れる感情。その日のメインメニューが食べられずに過ごす少数派生徒の存在。その存在を無視してまで酢豚は食べられるようにしなければいけないのか。職員会議では具体策に欠けた正論を口走る江本先生が登場します。

江本「はっきり言えばね!昔みたいにきっちり残さず食わせる指導を復活させねばならんのですよ。それができなくて小手先ばかりでどうこうやってても子供は悪くなるばかりでね。そもそも親が・・・幼少期に・・・」

江本「だが、酢豚が消えればことはうやむやに。そこで終わりだ!続けて・・・・・・なんとか我々でみんながおいしく食べられるようになんらかの指導をすることが--」

江本先生の指摘は正しい。ただ、正しいとはいえ、もはやここまできたら状況を好転させる「なんらかの指導」なんてない。結局、アンケートの集計結果=酢豚を食べられない生徒がひとクラス平均4名強、という結果を受けて酢豚の廃止が決定します。

鈴木「強制力のない今の我々には、とても欲している人もいる一つのメニューがこうして消えていく寂しさを、せめて生徒たちに印象付けることくらいしかすべがない・・・そう思うのです。

壊されていく建物たちも、どこかこの酢豚と同じような状況・問題があるのでは。そう思います。「カール」販売終了報道が持ち上がった時点では、消えゆくことを「印象付けることくらいしかすべがない」。そうなる前から「価値」を発信し、「残る」ための仕組みができていないと手遅れということだろう。
 
何といっても「残したい」と思えない現場には「残せない」理由はどれだけでも考えられるのだから。

民家の空き家化、住まいとしての終焉

とはいえ、『民家:最後の声を聞く』には、残ればいいというわけではない話も冒頭(はじめに)から登場します。「今、古民家が静かなブームを迎えているとされる。民家がホテルやゲストハウス、カフェに転用されたり、店舗として再生されたりしている例は全国いたるところで見られる」と。続けて著者はこう言うのです。

これは民家の空き家化と住まいとしての終焉を暗示している。
(藤木良明『民家:最後の声を聞く』2018)

「住まいとしての終焉」。この指摘は本編ではもちろん、「あとがき」でもふたたび登場します。最後の住み手が亡くなったことから「千年家公園」として整備された「古井家」。そこを再訪した著者はこう感じたといいます。「私は住み手をなくすと家はこんなにも変わるものかと大きな驚きを禁じえなかった」と。移築保存された茅屋根民家はあちこちあるけれども「保存家屋の解説をいくら読んでもそこから生きた家の姿を思い描くのは容易ではない」とも。

著者が「生きた家の姿」を大切にする思いが切実さをもって迫ってきます。その姿勢があってこそ、本書が類書とは違った読み応えをもたらすのです。

私はこの書で民家の様式論を語るつもりはなかったし、近年流行の古民家再生や活用事例を紹介する気はまったくなかった。(中略)むしろ、民家の専門外のところで民家の持つ意味を考え直し、そしてその滅びゆく現状を見るところから、現在の我々の日常から何が失われ、何をなくしてはならないかを考えようとしたのである。
(藤木良明『民家:最後の声を聞く』2018)

そんな思いでもって、著者が民家からどんな「最後の声」を聞き届けたのか。それはぜひ本書を手に持っていただければと思います。

藤木良明の著述活動

著者・藤木良明は1941年、三重県松阪市生まれ。名古屋工業大学大学院修士課程を修了後、建築設計の道に進み、一級建築士事務所・株式会社スペースユニオンを主宰。特にマンション修繕の分野で活躍した人物です。実務での経験や知見をもとに、1980年代はマンション修繕関連本を、そして2000年代に入ると、マンションを軸にした社会論・文化論へと展開していきました。

マンションのメンテナンス、住宅新報社、1982
マンション管理とメンテナンス、学芸出版社、1984
知っておきたいマンション修繕の常識、住宅新報社、1985
集住の苦悩と幻想、学芸出版社、1987
マンション―安全と保全のために―(共著)、岩波書店、2000
マンションにいつまで住めるのか、平凡社、2004
マンションの地震対策、岩波書店、2006

ちなみに、名古屋工業大学大学院では建築史家・内藤昌の指導のもと絵画に描かれた書院造について研究しています。ほか、1990年代に入るとアンコール遺跡についての研究や翻訳書(『ボロブドゥール』学芸出版社、1996)などを発表。1994年には「鉄筋コンクリート造中高層分譲集合住宅の維持・保全に関する研究」で博士(工学)の学位を取得(日本大学)。日本建築学会だけでなく、日本マンション学会、日本イコモス国内委員会などでも活動しています。

単にマンションの管理・修繕といった建築実務ゴリゴリなのではなくって、文化への深い憧憬の眼差しが常につきまとっているように見えるのは、こうした内藤研究室で培った歴史的なものの見方・考え方、さらにはアンコール遺跡での調査・研究が背景にあるためなのかもしれません。というか、きっとそうでしょう。

そうしたものの見方・考え方の上に、より長く居住するためのマンション修繕技術、そして、その生の現場で直面したであろうリアルな住生活、住要求への認識などが渾然一体にある。そして、その延長線上に民家を見つめているように思えます。

価値あるものへの思いと諦念

さて、『民家:最後の声を聞く』に立ち戻ります。「時代の転換期にあって、民家は現代の私たちに何を語りかけているのか」(はじめに)を考える試みがこの本。この「時代の転換期」に立ついま、消えていく、あるいは、変わっていくものの声に耳を傾ける姿勢は、著者がマンションに対してとる姿勢とも共通しているように思えるのです。

たとえば、『マンションにいつまで住めるのか』(2004)の「はじめに」で次のような文章が出てきます。

マンション問題は早々、器としての建築学と、その使われ方を律する法律学の領域にとどまっていない。二一世紀のもっとも先端的な都市課題として、学際的な視点からの考察を必要としているのである。
(藤木良明『マンションにいつまで住めるのか』2004)

また、第7章のしめくくりにあたって次のように語ります。

つまるところ、経済的評価を転換させるのは高経年マンション居住者の営為にかかっている。多くのマンションにとって、まだ建替えまでへの時間は十分にある。住み継ぐことにより“時”の蓄積が生み出すものの発見を目指して、管理組合は安易な建替え論に組み込まれることなく、経済効率論を超える視点を構築することが望まれるのである。
(藤木良明『マンションにいつまで住めるのか』2004)

時代の転換期にあって、ともすれば経済効率論によって建替えられ、“時”の蓄積が失われていきつつある。そんな状況を受けて、ひとつは「適切なメンテナンスを持続し、長く住み継ぐことにより、社会的効用を維持し、新たな経済的評価を獲得する」道があるでしょう。

そして、別の道がつまり「最後の声を聞く」ことなんだと思うのです。ここに、著者のマンションに対する姿勢と、民家に対する姿勢が重なって見えてきます。両者は共通して「生きた家の姿」に価値があるのですから。

とはいえ、大きく時代が転換した/しつつある現在に、マンションを修繕する道も、民家を生きた状態で残していく際にも困難がつきまといます。そして運良く残せたとしても、否応なくまとわりつく「苦悩」がある。「生きた家の姿」を大切に思う心は実は「幻想」なのではないか。著者の本には、そんな思いと諦念がジンワリと漂ってもいるように思えます。

理想と疎外

それこそ、著者が『民家:最後の声を聞く』と同じく、学芸出版社から出版した本のタイトルがズバリ、『集住の苦悩と幻想:改修工事をめぐるマンション管理組合物語』(1987)でした。この本は、やはり学芸出版社から出た『マンション管理とメンテナンス:役員必携』(1984)から発展、物語仕立てにした内容の本です。本書の帯文では次のように紹介されています。

都市で暮らすにはマンション生活が不可欠となっている現在、改修工事問題は近い将来に直面する課題である。その難問を通じて、集住生活に潜在する悩みや幻影を描き出し、マンション居住を掘り下げる。
(『集住の苦悩と幻想』帯文)

同書の出版までに『マンションのメンテナンス』と『マンション管理とメンテナンス』、そして、『知っておきたいマンション修繕の常識』を手がけていた著者は、この本では、そうした基本的な知識啓蒙をしっかり押さえつつも、同時に「集住生活に潜在する悩みや幻影」を描き出すことに重点を置いているのです。

初出は月刊『リフォーム』(テツアドー出版)に大規模修繕工事の経緯を分かりやすく紹介するための連載でした。そこで著者が描いたのは、まさにマンションに住まう人々の生きている様だったのです。同書は後に大山高寛作画により『マンガ管理組合物語』(テツアドー出版、1989)としてマンガ化されましたが、どちらも面白い。そしてなんとも後味の悪い結末を迎えるのが印象深くあります。

マンション改修工事を実現するために奮闘する新理事長Mさんと、彼を支援するN女史と建築士Tさん。すったもんだの展開を経てようやく外壁改修工事を完了させました。ただ、すんなりとはいかなかった。最終的に尽力したN女史はマンションを去るのです。

私は、もうこれ以上住まいのことで自分自身が悩むことに疲れてしまいました。今さら、転出を決意した理由をお話ししたところで、詮無いことですが、せめてMさんには私のこころのうちを知って頂いて、わがままをお許し頂きたいと存じます。
(『集住の苦悩と幻想』N女史の手紙より)

修繕計画をとりまとめていくにあたって、種々の不満や恨みを買ってしまっていたこと。そして、最後はMさんとN女史が不倫関係にあるなどという、あらぬ噂を流されてマンションを去らざるをえなくなる。そういう展開を著者は丁寧に描いているのです。正しい理念と価値ある理想を追い求めても、そこには疎外の陥穽が待つ。

この理想と諦念が入り交じった著者の構えが『集住の苦悩と幻想』と『民家』という約30年の歳月を隔てた思索と実践には通底しているように思えます。その構えが凡百の民家関連本を抑えて何とも共感できるのです。

ちなみに、N女史からMさんへの手紙には、彼女の生い立ちも書かれています。N女史は1942年に飛騨高山生まれ。両親は白川村出身という設定なのです。

白川村では屋根の葺き替えともなると村中の人が寄り集まって助け合いましたが、私が生まれた頃にはほとんどそんなしきたりが見られなくなるほどに、村の人たちが離村してしまっていたというのです。いわば、私はお互いに助け合うことで成り立っていた村社会を解体していった担い手の末裔ということになるでしょうか。そんな私がさらに都会の自由を求めて町を離れ、東京に出て、マンションという小さな村に出会って、共同体の再生を夢みたのは皮肉なことでした。
(『集住の苦悩と幻想』N女史の手紙より)

著者は定年まで数年を残していたのに大学を退き、福島県南会津町の水引集落で茅葺き民家の維持・活用を手がけるNPO法人山村集落再生塾を立ち上げました。三重県松阪市出身ながら東京都豊島区で設計事務所を構えマンション修繕の仕事に打ち込んできた著者にとって、N女史は自分の一部を仮託した存在だったのだと思います。

安息と可能性へ向けて

冒頭紹介したマンガ『鈴木先生』。同じく1巻には酢豚とは別の食べ物ネタ回が収録されています。それはカレー。給食の時間に優等生の出水が下品なネタを口にするのがクラスで問題化します。本人のキャラに似つかわしくないその行動の背後には、食事マナーを守らない周囲へのテロ行為だったというもの。

食事中、左手を食器に添えないことに違和感を持つのは出水だけでなく、鈴木先生と同じく頭脳明晰な生徒・小川も同じでした。あるべき食事の姿を主張し、マナーの悪さを指摘することが「心の狭いバカ」になってしまうというジレンマのなかで、鈴木先生は「オレたちの心のほうが正されるべき問題なんだろうか」と自問するのです。その姿はどこかN女史の幻想と苦悩にもつながります。

理想をもとめつつも疎外される。というか、理想を求めるがゆえに疎外される。もはや、消えゆくものたちの声を聞きとるしかないのか。もはや、「強制力のない今の我々には、とても欲している人もいる一つのメニューがこうして消えていく寂しさを、せめて生徒たちに印象付けることくらいしかすべがない」のか。

著者は『民家:最後の声を聞く』の「あとがき」で「今なお民家の保存活動に尽力している方たちに暗澹たる思いを抱かせたかもしれない」と前置きしつつも、その先に光明を見出しています。そしてこう言います。

私たちの前に立ちはだかるこの頑強な壁の扉を開ける術を、今、私には見えないが、民家を考えることから、そして長い時間をかけて培われた人と家と地域とのかかわりを見直してみることから何ものかが静かに生まれてくるのを期待するのである。
(藤木良明『民家:最後の声を聞く』あとがき)

この可能性への期待は、著者のもうひとつの基本姿勢にもつながっているように思えます。それは著書『マンションにいつまで住めるのか』の「あとがき」に唐突にあらわれるピーター・クックのアンビルト・ドローイングにヒントがあります。

私がいつも机の傍らに置き、折りに触れて見る一冊の本に、イギリスの建築家ピーター・クックの作品集がある。(中略)一九七〇年に「英国のある町」のドローイングを発表しているが、そこには都市の未来が四つのステージで描かれている。
(藤木良明『マンションにいつまで住めるのか』あとがき)

クックはこのドローイング群でもって、1980年代の経済優先主義を批判したのだろうけれども、それだけではないと著者は言います。

彼は決して「状況はかくなければならない、未来はかくなければならない」と決めつけてはいない。それぞれのステージに可能性をいくつも秘めている。それは未来都市が生態系のなかに一体として溶解していくことを予言しており、彼の描く最終ステージは悲壮感を伴うものではなく、むしろ、安息である。
(藤木良明『マンションにいつまで住めるのか』あとがき)

マンション問題もまた「かくなければならない」の批判と啓蒙では、その総体を捉えられない。そのことをクックは教えてくれるのだと著者は言うのです。「本書を通していろいろな分野の人々が、少しでも多く、マンション居住の総体を共有していただくことができれば幸いである」と。そして「そこから未来はさまざまな可能性をもっておのずから拓かれていく」のだと。

『民家:最後の声を聞く』は、民家の空き家化と住まいとしての終焉に直面しつつも、そこにあったはずの「生きられた家の姿」を見つめ、そしてそこにあった声に耳を傾けることで、未来のさまざまな可能性を拓く下地づくりをする。そんな本なのだと思います。

「生きられた」ことの総体を知ることで、わたしたちのこれからの住まいを豊かなものにしていく。そうすることが、民家の「看取り」を意味あるものへと変えていくのだと。

(おわり)

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