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造形をめざして【1】Eテレ工作番組のうつりかわりから

ただでさえEテレ・ファンだったのが、子どもができてからEテレ視聴は急増。むしろ娘たちよりも楽しんでたり、こっちの趣味を刷り込んだりする日々。そんななか、やっぱり気になるのは工作番組のこと。

ということでEテレ工作番組を話の枕に、形を造る=造形という広大なフィールドへ妄想をひろげ「造形とは」を考える無計画な旅に赴く端緒にしたいと思います。


Eテレ工作番組3部作

2013年からスタートした『ノージーのひらめき工房』(2013~)が秀逸です。就学前の園児を主対象とした「工作」の番組。NHK・Eテレのホームページには『ノージーのひらめき工房』について次のように説明しています。

「ひらめき」が自分らしい作品をつくる!――工作遊びを通して自分なりのアイディアや美意識を発見する番組です。結果ではなく、発想のプロセスを大事にしています。マニュアルに沿って上手に作れるかどうかは問いません。「見る」「感じる」「考える」「試す」といった過程に寄りそっていきます。

この番組は同じく未就学児対象の工作番組『つくってあそぼ』(1990~2013)の後継番組です。さらにその前はノッポさん・ゴン太くんで知られる『できるかな』(1970~90)でして、40代おっさんのわたしはこの世代。

  第一世代 できるかな        1970~1990
右上 第二世代 つくってあそぼ      1990~2013
右下 第三世代 ノージーのひらめき工房  2013~

およそ20年単位で更新されてきた3つの番組は、いま思い返してみるといろいろと路線の転換がみられたりして、いってみればその時代の工作教育思想の変遷を読み取ることができるなんて思うと感心しきりです。


学校教育型と生涯学習型

さて、その変遷をザックリ乱暴怒りのアフガンに言ってしまうと、『できるかな』の【学校教育型】から『ひらめき工房』の【生涯学習型】への転換でしょうか。

思い返せば、『できるかな』に登場するノッポさんは工作の名人でした(高見映さんご自身は不器用らしい)。つまりは「真理を知る先生」として振る舞います。一方、ゴン太くんは要領がわるく鈍くさい=啓蒙されるべき対象として存在するのでした。サクサクと身近な素材で工作を進めていくノッポさん。ゴン太くんもつくったりしますが、たいてい失敗に終わります。

それに対して『ノージーのひらめき工房』は、工作の担い手は主人公ノージーとその仲間のシナプーたち。子どもたちの自発的なヒラメキによって、さまざまな気づきを得ながら工作を進めます。

もちろん『ノージー』にも先生的な役割の登場人物は存在します。それはクラフトおじさん。番組HPでクラフトおじさんは次のように紹介されています。

工作に詳しいおじさん。ノージーやシナプーたちに遊びのお題を出したり、みんなの「ひらめき作品」を集めて展示したりしています。

工作に詳しいけれども、クラフトおじさん自身は、お題を出したりヒントを与えたりするのみです。クラフトおじさんが顔のみなので“手がない=手を出さない”というのは、ファシリテーター的な位置づけだと思うと納得の形態です。

ノージーやシナプーたちは、ひとりひとり異なる発想・表現をして、それら全てが等しく正解として受容されます。つまりは造形ワークショップなわけです。シナプーたちが複数なのは解が一つでないこと、他者の作品から啓発される可能性を表現しているのでしょう。『ひらめき工房』は「ひらめきが自分らしい作品をつくる!」が謳い文句であって、発想と試行錯誤の“過程”をテンポよく見せることに注力しています。

そう思って、『できるかな』を思い返してみると、あまりに対照的な番組設定だったことに気づきます。「真理を知る先生」として振る舞うノッポさんはしゃべりません。いわば、背中をみて学ぶ。ゴン太君はしゃべりますが人語ではない。番組は妙にペラペラしゃべるナレーションによって進められるのです。


過渡期としての『つくってあそぼ』

ちなみに『できるかな』の【学校教育型】から『ひらめき工房』の【生涯学習型】への転換の中間に位置する『つくってあそぼ』はどうだったでしょう。一見したところ『できるかな』でのノッポさんとゴン太くんに類似した構図として、ワクワクさんとゴロリがいるように見えますが、さにあらず。

決定的に異なるのは両者の上下関係が希薄である、というか崩壊していること。番組設定としても、ワクワクさんは工作好きなデザイナー。下宿の大家の息子がゴロリです。先生と生徒という関係ではなく、「ななめの関係」になってる。

そして、工作技術(=つくって)はワクワクさんが上なものの、工作したものを用いたゲーム(=あそぼ)では、たいていゴロリが勝ちます。「ナナメの関係」としてワクワクさんはゴロリを啓蒙しつつ、想定の範囲を常に乗り越えてくるゴロリからワクワクさんも気づきを得ているのです。

そうやって思うと、『つくってあそぼ』は『できるかな』から『ひらめき工房』へと至る【学校教育型】から【生涯学習型】への見事なまでの過渡期ぶりを表しているように思います。1990年4月からスタートした『つくってあそぼ』。その番組設定についてカングリー精神をはたらかせると、やっぱり臨時教育審議会=臨教審の衝撃(特に1987年の第4次答申)を思わざるを得ません。

中曽根規制緩和路線の教育バージョンとして「学校教育」は「生涯学習」へ、「教育」は「学び」へと転換しました。「関心・意欲・態度」を評価の第一観点とする=工作の結果より動機(ひらめき)とプロセスを優先する姿勢は社会の心理主義化とも親和性が大な気も。

役に立つハウツーを習得するんじゃなく、課題を通して関心・意欲・態度を高めるっていう方向性はとってもいい半面、この路線は受け手を選ぶ傾向もあったり・・・。

動機とプロセスを重視し、解は多様だという『ノージーのひらめき工房』は、先生の頭の中にある正解を推測することに汲々としてしまってるという最近聞かれる状況を打破する起爆剤になるのかどうか。一方で、「関心・意欲・態度」を重視する中曽根臨教審的【生涯学習】路線は工作することにも格差問題をもたらすのでしょうか。

土地勘のない話なのでスッキリしませんが、あれこれ考えると問いは深まるばかり。ぜひ工作教育畑の方のお話しを聞いてみたいナ。


そして造形へ

そんなこんなで、工作番組ひとつとっても、その時代によって、あるいは、さまざまな思惑やロマンによって揺れ動いてきました。そんな揺れ動く工作教育思想の世界にみられるトピックスに「造形」の問題があります。

昭和22年、教育基本法と学校教育法が公布され、同じ年の5月公布の学校教育法施行規則に「図画工作」が教科として記されました。実はこの「図画・工作科」という名称の検討に際しては、「造形科」という案もあったといいます。

たとえば、その名も「造形教育センター」の設立に貢献した勝見勝は、センター設立に際してなされた「デザイン教育センターか造形教育センターか」の議論を思い返しながら次のように語っています。

小中学校の教育において、デザインというときは、そのような(=用途や実用性をもった)特殊な狭い意味であっては困る。むしろ、色や形のあるすべての造形物のデザインという意味で、絵画や彫刻の場合のデッサンやコンポジションにもつながり、建築や家具や工芸や服飾、印刷美術などのデザインにもつながる、もっと根本的で未分化な能力を指すものと考えたい。
(勝見勝「世界の造形教育:その歴史と展望」1958.7)

バウハウスの香りがするこの勝見の主張。「造形」という言葉が議論されるときには、常に「色や形のあるすべての造形物のデザイン」への統合を希求する理念が伴っています。それこそ「図画工作」といったときに「図画」と「工作」が分離したり、あるいは「図画」が刺身で「工作」がツマでは困るゾという議論があるのです。

造形教育は教科として図画と工作を分離せず、純粋美術的な自由な表現内容とデザイン、工作・工芸など合目的造形内容を、造形性という共通基盤から分けないで、統合的、止揚的に教育されるべき理念に基づくのである。
(真鍋一男「造形教育の目的と意義」『造形教育事典』1991)

こういう議論があるということは、裏を返せば、図画と工作が分離したり、純粋美術路線に偏重したり、工作が合目的に寄りすぎたりといった状況があったのでしょう。そこで切り札となったのが「造形」という鍵語だったのです。

さて、そんな「造形」ですが英語で何というかご存じでしょうか。ウィキペディア先生に聞くと「本来、造形とは、形を造ること、すなわち英語でいうmodeling(模型製作)やmolding(型で作ること。鋳造)を意味する」と出てきますが、これは明らかに勝見や真鍋の想定したであろう定義とは異なります。

福井晃一監修『デザイン小辞典』(ダヴィッド社、1978)をみると、「造形」という言葉は英訳できないとの説明がなされていて、ええ!?と思ってためしに、いろいろ調べてみると面白い事実が見えてきます。

たとえば、「造形」という言葉を冠した大学名・学部名のある各大学は、英語表記をどうしているのか。東京造形大学はなんと「Zokei」。大学HPの英語ページには「Zokei(creating art and design)」と表記されています。さきに登場した勝見勝が大学設立に尽力した東京造形大学ゆえ、この英語表記は注目されます(さらに細かな事情があるようですが、それはまた稿を改めて・・・)。

ほかにも名古屋造形大学は東京造形大学と同じく「Zokei」。長岡造形大学は単に「Design」、武蔵野美術大学造形学部は「Art and Design」、愛知産業大学造形学部は「Architecutre and Design」などなど。

そういえば、近所にある「親子造形センター」って英語表記どうなってるんだろうと調べてみたら「Creative Arts」でした。こうして見ると、「造形」に対してどんな英語訳を与えるのかは「造形」に対するその人のスタンスを判定するリトマス紙だといっても過言ではなさそう。

さてさて、Eテレ工作番組から随分と話が逸れましたが、工作することの背後にひろがる「造形」の世界を、今後も巡ってみたいと思います。

(つづく)

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