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自分学とは、信じ仰ぐことを追求するもの(900)

私は、自分の中に「純粋で清浄なるもの」があると信じ、それを追求していくことを「自分学」と呼んでいます。「純粋で清浄なるもの」とは、私たちが赤ちゃんを見ると、つい無条件に「可愛い、愛おしい」と感じる気持ちを言います。あれこれ考えることなく、無条件に反射的に感じるものです。

「純粋で清浄なるもの」がはたらいている時には、心安らかになっています。いわば、「安心」の境地になっているのです。おそれおののくことの無い境地と言ってもいいでしょう。

安心」は、もともとは「あんじん」と読み、多くの人が心安んじて生きていけるようになりたいと思っている境地と言っていいでしょう。また、そのような境地があると信じ疑わないことを「信仰」と言うのです。自分学は、自分の中に「純粋で清浄なるもの」があると信じ、それを大切に想い仰ぐというものです。

[少し宗教的な観点で補足しておきましょう。 
宗教では、自分にとって究極的な価値や意味をもっている対象に無条件に依存し仰ぎ献身する心的態度を「信仰」と呼んでいます。その「対象」とは、該当する宗教の教義であったり、神仏そのものを指しています。仏教では、信心のことを発菩提心(ほつぼだいしん)とも言いますが、信仰心を含むものと考えていいでしょう。]

さて、元に戻ることにしましょう。

私たちは「安心」を常に求めている存在です。
貧しさや病的な状態で悩んでいる人は、その苦しみや不安感や怖れに対する悩みから脱却したいと思っています。苦しみや不安などの怖れは、何から起因しているのでしょうか。よく考えてみると、それは、自分自身が「いやだ」と思っていたり、他者と比べて見劣りがするなどと考えているだけではないでしょうか。

たとえ金持ちであっても別のことに憂いを感じていたり、健康であっても幸福を感じていないことは、ままあるものです。それらは、すべて自分のこころの中で他者と比較し、その差異から苦しみを感じているのではないでしょうか。 

老齢化していくと(あるいは老齢化していなくとも)、「死」に対する不安が出てきます。これもまた、恐れの気持ちと言えます。
人間誰しも最後は死んでいくのだと思えば、死を恐れる気持ちはゆるやかになるでしょう。自分の現状を受け入れて、生活の仕方を変えていけば、徐々に貧しさからも脱却できるようになるかもしれません。そのように考えると、今現在、ここにいる自分をしっかりと把握して生きていけるようになるのではないでしょうか。

今現在、ここにいる自分を大切にする生き方を教えているものに、『』があります。基本的・根本的なことや、誰しもが正しいと思うことの大切さを教えています。私は、禅の考え方を尊重しています。その考え方の代表例としての語に、「日々好日」「平常心是道」などがあります。もし興味を持たれれば、坐禅会に参加したり、禅語の本を読んでみるのもいいかと思います。興味を持ち、信じてもいいとなり、探究し始めると、それが信仰に変わっていきます。

日本人は、ややもすると無宗教の国民だなどと言われます。2018年秋にNHKが「宗教」に関する世論調査(全国の18歳以上対象)した結果がありますが、「仏教」と答えた人が31%、何らかの宗教を信仰している人は36%でした。外国では、無宗教などと言えば、「あなたは信じるものがないのですね」などと思われてしまいます。 もしも古きよきものとしての寺社仏閣を訪れたり、やおろずの神に眼を向けたり、正月に参拝することがあるならば、それは信仰心を持っていると思っていいのではないでしょうか。今一度、自分の生活を見つめ直して、信ずるものを確立してみてはいかがでしょうか。

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