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感謝の気づき方

「感謝の気持ちを持ちましょう」という言葉はおそらく人生で何度も聞く台詞ではないだろうか。

子供の頃は親や学校の先生を始め、大人になって社会に出てからも耳にするし、自分が親になったり、指導する立場になったら逆に言う立場になる。

親に感謝しろ、先生に感謝しろ、衣食住に感謝しろ、仕事に感謝しろ、健康に感謝しろ、豊かさに感謝しろ、世の中に感謝しろ…


感謝の対象は無限にある。

だから、生涯を通じて感謝の気持ちを持つこと事態は可能だ。


けれどただ「感謝しましょう」という言葉だけで率直に臨場感をもって、

感謝の気持ちを持てることは可能だろうか?


私が小さな頃は父に”食に感謝しろ”と言われた。

父の言い分は、「わしが小さな頃は卵すら高級品だった」だ。

食に感謝の気持ちを持つ父の教育は私がご飯粒ひとつ残すことを禁じた。

おかげで食卓に出されたものは全て完食する好き嫌いのまったくない子供に育ち、どんな食でも楽しめる人生を生きているわけだ。

そんな父の教育に感謝している。


しかしながら、当時は食に感謝しようと思っても持てなかった。

子供ながら父の言い分はうるさい説教にしか感じなかったし、飽食の時代に生まれた私は飢餓の時代を想像できないわけだ。


そんな父に反抗していると、今度は母がこう言う。

「お父さんが働いてくれるから、私達はご飯を食べられるし、生きていける」と

母が言いたいことは頭では分かっているが、当時の私にとってはあまり関心のないことだった。

当時私は朝一番に会社に行って、夕方に帰ってくる父しか知らなかった。

会社で汗水垂らして働いている父の姿を見たことがなかったのだ。



世界がどのように成り立っているのか

なにゆえ、自分が今の生活を送れているのか

愚かにも私は母を失うまでは私は気づかなかった。




では感謝の気持ちを感じるにはどうしたらいいのか?

それはすごく単純だ。


それを失った世界を想像すればいいのだ。



自分にこう質問すればいい

「もし〇〇を失ったらどうなるか?」



もし家族を失ったら…

もし仕事を失ったら…

もしお金を失ったら…

もし信頼を失ったら…


それが想像するに絶えないほど、痛みや苦しみを感じるのであれば

その分だけ感謝が持てるはずだ。




私に感謝の気持ちを持つことの大切さを教えてくれたのは紛れもなく、両親だ。

感謝の気持ちを伝えられなくなった時では遅すぎるのだ。




だから今、あらゆることに感謝する。


朝、目覚めたら隣に妻がいることに

何不自由ない健康な身体と食を楽しめることに

今の仕事に、クライアントに



数えればきりがないが、感謝した分だけ人生は豊かになっていくのだ。


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