見出し画像

#1-3 UX戦略とは何か?(UX戦略の教科書)

前節(#1-1,#1-2)では、デジタル社会が到来したことで企業の競争ルールが変わっており、ライフスタイル提供型の価値提供モデルに転換する必要性が高まっていることを説明した。また、ライフスタイル提供型への転換によって企業競争力を大きく飛躍させた事例として、NIKEと平安保険の取り組みを紹介した。

それを受けて本節では「企業がライフスタイル提供型に転換するためには、どのような活動が必要になるのか」を説明する。

ライフスタイル提供型への転換プロセス

結論から言うと、企業がライフスタイル提供型に転換するためには、
  【STEP1】事業・ブランドとして提供したい顧客体験の全体像を設計する
  【STEP2】個別のプロダクト・サービスを設計 ~ 開発する

という2つの活動に取り組むことが必要となる(図表-1)

(図表-1)ライフスタイル提供型への転換プロセス

ここで重要なのは、個別のプロダクト・サービスの設計・開発から取り組みを始めるのではなく、事業・ブランドとして「どのようなライフスタイル・顧客体験の連なりを提供する存在になることを目指すのか」という全体構想の策定から取り組みから始めることにある。より具体的には、

  • 顧客のどのような成功を支援するために、

  • どのような一連の行動フローに対して、

  • どのような顧客体験(UX)の連なりを提供するのか

  • そのためには、どのような機能を有するプロダクト・サービスを開発する必要があるのか

を描写・策定することから取り組みを始める必要があるということだ。視覚的に分かりやすいフレームワークに落としこむと、以下のような枠組みとなる(図表-2)

(図表-2)UX戦略のフレームワーク

本書では、このようなフレームワークに基づいて事業・ブランドが中長期的に目指していく絵姿を取りまとめたものを『UX戦略』と呼ぶことにする。ライフスタイル提供型に転換するためには、UX戦略のフレームワークに基づいて事業・ブランドが目指す指針を描写・策定し、経営層・意思決定層と合意形成するプロセスが必要不可欠となる。

しかしながら、多くの企業はUX戦略を策定することなく、いきなり個別プロダクト・サービスの設計~開発から取り組みを始めてしまう傾向にある。その結果として、ライフスタイル提供型への転換に失敗してしまうのだ。

個別プロダクト・サービスの設計から始めると失敗する理由

UX戦略を策定するプロセスを省略して、いきなり個別プロダクト・サービスを設計・開発する取り組みから始めると、ライフスタイル提供型への転換に失敗する理由を説明しよう。

その理由は3つある。順番に解説していく。

1つ目の理由は「UX戦略を策定しないと、各部門・チームの取り組みを1つのジャーニーに統合できなくなる」というものだ。トップダウンでUX戦略を策定せずに、各部門・チームが独自の戦略を策定〜実行すると、事業・ブランド全体で提供する顧客体験がバラバラで整合性が取れないものとなる。顧客の視点からみたときに1つのジャーニーとして繋がらないものになってしまうのである。

例えば、部門Aが「ビックデータの活用体制の整備」に、部門Bが「新技術を活かしたプロダクト開発」に、部門Cが「新しいスマホアプリの企画・開発」にそれぞれ取り組んでいるとしよう。このとき、事業・ブランド単位でUX戦略が策定されていないと、それぞれの部門は全く異なる背景・問題意識を起点として、企画内容を詰めていくことになる。

しかし当然ながら、そうして生まれた企画同士を、顧客の視点から「何らかのライフスタイルを支援するもの」として統合することは難しい。各部門が取り組んだ企画同士が噛み合って1つのジャーニーとしてUX的に統合できるなんていうことは、奇跡でも起きない限り発生しない。各部門が設計した企画同士は補完性を持つことはなく、バラバラで整合性の取れないものとなってしまうのだ。(図表-3)

(図表-3)UX戦略を策定しないと、各部門の取り組みをUX的に統合できなくなる

デジタル社会の到来によって「顧客に魅力的なライフスタイルを提供できているか否か」が企業の競争力を左右する時代になっていることを踏まえると、各部門・チームの取り組みを1つのジャーニーに統合できないことは致命傷になりうる。部門・チームがバラバラな取り組みを実行していては、中途半端なサービスを乱立させるだけの結果に終わってしまうのだ。これがUX戦略を策定せずに、いきなり個別プロダクト・サービスの設計・開発に取り組むべきではない理由の1つ目である。

次に、2つ目の理由を説明する。2つ目の理由は「UX戦略を策定しないと、
戦略的にそれほど重要ではないサービスの検討・開発から着手してしまう」
というものだ。UX戦略が策定されていると、事業・ブランド単位で「どのような行動フローに対して、どのようなライフスタイルを提供する存在になることを目指すのか」という最終的な完成系(β版)をイメージできるようになる。そして、最終的な完成イメージを持てると「どのプロダクト・サービスを優先的に開発するべきか」を判断・意思決定しやすくなるのだ。

例えば、とある企業が「献立立案〜 食材調達〜 調理〜 食卓形成〜 片付け・廃棄」という食卓形成シーンの行動フローをターゲットとして設定しているとしよう。このとき、行動フロー全体における顧客行動の流れを理解できていると、献立立案の行動フローを抑えることが戦略的に重要度が高いことが分かってくる。なぜなら、献立立案を支援するデジタルサービスを設計して高頻度な顧客接点を抑えることができれば、その献立を作るのに必要な食材調達を支援するサービスや、その献立を短時間で調理することを支援するサービス、その献立では不足している栄養素の補給を支援するサービスなどを提供しやすくなるためだ。つまり、献立立案の行動フローを抑えられれば、食卓形成シーン全体の行動フローを抑えやすくなるということだ。

このように、UX戦略を先に定めて行動フロー間の因果関係を捉えておけば、戦略的にどのプロダクト・サービスの開発にリソースを優先的に投下するべきかを判断・意思決定しやすくなるのである。

一方で、UX戦略を策定せずにいきなり個別プロダクト・サービスの設計から検討を始めてしまうと、何が起きるだろうか。例えば「自宅でのマンネリ化した食卓を盛り上げることを支援するサービス」や「お父さんが調理を手伝うことを支援するサービス」から開発が着手されてしまったりする。これらのサービスアイデアは、それ単体ではユーザから高い評価を受けるかもしれない。しかし視座をあげて俯瞰的な視点からみると、事業・ブランドが競争優位を築くうえで、戦略的にそれほど重要ではない要素だったりするのだ。

そして、戦略的に重要ではないサービス開発を優先的に取り組んでいると、競合企業が優れた献立立案の支援サービスを先んじてリリースしてしまい、魅力的なライフスタイル提供競争に負けてしまう、といった事態に発展するのである。これがUX戦略を策定せずに、いきなり個別プロダクト・サービスの設計〜開発に取り組むべきではない理由の2つ目である。

最後に、3つ目の理由を説明する。3つ目の理由は「UX戦略を策定しないと、既存事業の売上アップがいつのまにか目的にすり替わる」というものだ。

先にUX戦略を策定して経営陣と合意形成しておくと、「単体では儲からない / 採算が合わないサービス企画」を許容できるようになる。先ほどの事例だと、献立立案を支援するデジタルサービスを立ち上げたところで、それ単体だと十分な売上・利益を創出できないかもしれない。通常なら、この時点で新規サービス開発は暗礁に乗り上げる。ただし、先にUX戦略を策定していると「中長期的な視野に立ったときに、このサービスは事業・ブランド全体で食卓形成シーンを抑えるために極めて重要なので、単体では採算が取れなくても最優先で開発するべき」といった判断・意思決定をすることができるようになるのだ。

一方で、UX戦略が策定されていないと、新たに設計・開発されるプロダクト・サービスは個別部門・チームが有している短期的なKPI(売上 / 利益目標)の達成を目指したものになってしまう。事業・ブランド単位での中長期的な視座に立ったときに重要な施策ではなく、個別部門・チーム単位で短期的な視座に立ったときに重要な施策が、どうしても優先されてしまうのだ。

そうした結果、いつまで経っても魅力的なライフスタイルを顧客に提供することはできなくなり、企業は競争優位性を失っていく。これがUX戦略を策定せずに、いきなり個別プロダクト・サービスの設計~開発に取り組むべきではない理由の3つ目である。

以上の3つの理由から、企業がライフスタイル提供型にモデル転換するためには、先にUX戦略を描写・策定して最終的な完成形の見通しを立ててから、個別プロダクト・サービスの設計~開発を実践することを強く推奨する。

本書の捉える「UX戦略」の定義

ここまでUX戦略を策定する意義・必要性を述べてきた。ただ、本書が繰り返し必要性を訴えているUX戦略は、現時点で広く認知されているUX戦略とはやや定義が異なる。

検索エンジンで「UX戦略」というキーワードを打ち込んで検索すると、Jaime Levyという方が執筆した書籍がヒットするはずだ。一般的には、この書籍で説明されているものがUX戦略の定義とされている。しかし本書が提唱するUX戦略は、Jaime Levyが提唱しているものとは異なる。そこで、ここで本書が提唱するUX戦略が、一般的な定義とはどのように異なるのかを明らかにしておきたい。(図表-4)

(図表-4)UX戦略の書籍シリーズ

Jaime Levyが提唱するUX戦略は「デジタルプロダクトの顧客体験(UX)を、どのように戦略的に成長・進化させていくか」を明らかにすることを目的としている。つまり、デジタルプロダクトという単一チャネル / 顧客接点を、どのようにグロースさせるかについて検討することを主題としている。

それに対して本書が提唱するUX戦略は、「事業・ブランドが持ちうる全ての顧客接点を通じて、顧客にどのようなライフスタイルを提供する存在になることを目指すか」を明らかにすることを目的としている。つまり、その事業なりブランドが有しているリアルプロダクト、デジタルプロダクト、店舗チャネル、人的サービスといった複数のチャネル・顧客接点を、どのようなライフスタイルを顧客に提供するものとして戦略的に統合・進化させていくかを明らかにすることを目指しているということだ。(図表-5)

(図表-5)一般的なUX戦略の定義 と 本書によるUX戦略の定義

確かにJaime Levyが提唱するように「(単一の)デジタルプロダクトのUXを戦略的にどのように成長・進化させていくか」というテーマは重要である。特にデジタルプロダクトが価値提供の中心となっているベンチャー系の企業においては、極めて重要度の高い検討事項として認識されるはずだ。

しかし、デジタルプロダクト以外の資産を多く有している企業にとっては、複数のチャネル / 顧客接点を横断的に捉えたときに「事業・ブランド単位でどのような顧客体験の連なりを提供することを目指すのか」を戦略的に検討することが重要になる。レイヤーを1つ上げて、チャネルレイヤーではなくジャーニーレイヤーでUX戦略を検討する必要があるのだ。

本書が定義するUX戦略とは、単一のデジタルプロダクト / 顧客接点に留まるのではなく、その事業・ブランドが持ちうる全ての顧客接点を通じて

  • 顧客のどのような成功を支援するために、

  • どのような一連の行動フローに対して、

  • どのような顧客体験(UX)の連なりを提供するのか

  • そのためには、どのような機能を有するプロダクト・サービスを開発する必要があるのか

を描写したものであり、視覚的なフレームワークで表現すると以下のように表されるものであることを再び強調しておきたい(再掲図表-2)

(再掲図表-2)UX戦略のフレームワーク


第1章のまとめ と 次回予告

第1章では、デジタル時代において企業が進むべき道を提示した。説明した内容を簡潔にまとめると、以下の通りである。

  • デジタル社会が到来したことで企業の競争ルールが変化しており、「ライフスタイル提供型」の価値提供モデルに転換することが必要になっている

  • ライフスタイル提供型に転換するためには、いきなり個別サービスの設計・開発に取り組むのではなく、まずはUX戦略を策定する取り組みからスタートさせるべきである

しかしながら、日本企業でUX戦略の策定~実行を通じてライフスタイル提供型に転換することで、競争力を大きく高めることに成功した事例は少ない。企業による成功事例が増えないことには、UX戦略の策定・実行がメジャーになり、大きなムーブメントになる事はないだろう。

では、なぜUX戦略の策定・実行による成功事例は生まれにくいのだろうか。成功事例の創出を妨げている主な要因としては「伝統的ナレッジ脱学習の壁」と「UX戦略策定ケイパビリティの壁」の2つが挙げられる(図表-6)

(図表-6)「UX戦略による成果創出」を阻害している要因

まずは「伝統的ナレッジ脱学習の壁」から説明しよう。UX戦略は事業・ブランドが目指す絵姿を顧客体験(UX)を起点に設計・描写するものであり、従来型の戦略策定の枠組みとはコンセプトレベルで異なる考え方を採用している。このため、新たな枠組みに適応するためには経営戦略やマーケティング戦略の世界でこれまで常識とされてきた概念・ナレッジを、戦略策定者や意思決定者が脱学習する必要がある。

しかし、これまでのやり方で成功経験がある人にとって、これまでの常識・ナレッジを捨てて新たな考え方に移行することは極めて難しい。その結果、優れたUX戦略を策定しても適切に評価されず、プロジェクトがお蔵入りしてしまうことも珍しくない。これが、UX戦略による成果創出を阻害している要因の1つ目である。

次に「戦略策定ケイパビリティの壁」について説明する。UX戦略によるビジネス成果の創出を実現するためには、その第一歩として「自社らしく競争力のあるUX戦略」を策定する必要がある。その企業の系譜やビジョンと整合性がとれていて、企業の強み・ケイパビリティを活かせるような独自性のあるUX戦略を策定・描写しなくてはならない。もちろん実現可能性や収益性向上の観点も重要になる。

しかし、多くの企業はUX戦略を策定するケイパビリティを有していない。様々な制約条件を満たしつつ、顧客にとって魅力的なUX戦略をデザインすることができなければ、ライフスタイル提供型への変革・転換プロジェクトは絵に描いた餅に終わる。これがUX戦略による成果創出を阻害している要因の2つ目である。

そこで本書の第2章、第3章では、UX戦略による成果創出を妨げている2つのカベを打破するための処方箋をそれぞれ提示することを目指す。

第2章では「伝統的ナレッジ脱学習の壁」を打破するための処方箋を提示する。経営戦略やマーケティング戦略にまつわる伝統的なナレッジがUX戦略の策定・実行を妨げていることを明らかにした上で、それらがなぜ時代遅れになっており、ナレッジをどのように更新するべきかを明らかにする。

第3章では「戦略策定ケイパビリティの壁」を打破するための処方箋を提示する。自社らしく競争力のあるUX戦略を策定するために、どのような方法論・プロセスに基づいて検討を進めていくべきかを提示する。天才的なデザインセンスや偶然の思いつきに依存することなく、再現性の高い方法論・プロセスを明らかにすることを目指す。

隔週くらいの頻度で火曜日に投稿する予定である。更新情報はTwitter(@takashikoshiro)でお知らせするので、必要に応じてフォローしてもらえると嬉しい。

始めから読む   続きはこちら


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?