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死んだじじが残したもの

一週間前の今日は祖父(じじ)の火葬式だった。いわゆるお葬式はやらずに火葬式だけ親戚だけで行った。
ちなみに「じじ」というのは祖父自身が呼んでいたので、決して馬鹿にしているわけでも嫌っているわけでもない。

私の家族は、基本的に全員常にふざけていて、カラッとした関係性である。あまり湿っぽいことは言わないし、泣いたり怒ったり感情を出すこともほとんどない。死んだじじも、死ぬ一週間前までホスピスへの文句をいい、しゃりしゃりしたミルクっぽくないバニラアイスを買ってこい(爽しかないけど、爽はデカすぎて食べきれないだろ)、みたいなことを言っていた。私がじじの部屋にあったカップケーキを食べようとすると俺のなんだけど、と言ってきたのも一週間前のことである。基本的に面白いことで本音を紛らわすみたいな、母以外の全員素直ではない性格。対して、私の母は感情表現が豊かな人で、テンションの高低差も高い。事実より思いを口に出すタイプである。なので、私はその中間と言ったところか。

私は実は近い身内が亡くなったのは初めてで、火葬式には初めて行った。遺体が運ばれてきて、「最後のお別れです。お花をたむけてください。」と言われると途端に涙が込み上げてきた。男みたいな性格をしている祖母が泣いてるのも初めて見た。ああ最後のお別れなんだ、遺体が焼かれたら人間じゃなくなるんだな、このじじは人間として終わるんだな、天に行くんだなと。息が止まったときはもちろん命の終わりではある。でも、遺体を見られるうちはやっぱりまだ人間としてそこにいる感じがある。焼かれて骨になったらもう人間がなくなるってこと。魂は残るという考え方もあると思うけど、魂なんて鈍感な私にはどこにあるかわからないし、人間は外的な力で動くことはないと思っている。

私は、魂じゃなくて、生き方が残る、と思った。じじに恩返ししたいとか、じじみたいになりたいとか、そんな直接的なものじゃない。例えば、私は今一番行きたい国はインドである。でもそれはよくよく考えてみれば、じじの影響だった。じじはインドが大好きで10回以上一人で旅行に行っていた。その他にもロシア、中国、モンゴル、ブータン、バングラデシュ、そんな国に行っていた。国名を聞いただけでも危なそうだけどワクワクする国々。仏教やイスラム教にも詳しかったため、よくわからない本当なのか嘘なのかわからない話をよく聞いていた。別にちゃんと聞いているわけではなく、勝手に一人で話してるそれを聞き流していたような感じ。でも、それが子供ながらなんか面白そう、カオスな感じに憧れたんだと思う。そういう場所にいつか行ってみたいと心のどこかで思っていた。大学生になって、アジアに行きたい!となり、そのうちやっぱり一番インドに行きたい!と思うようになった。というわけで、私のスマホのロック画面は「太陽の塔」と「インドへ行く」という文字である。

もう一つは、人としての在り方としての生き方である。自分がすごい人間だと思わないこと、常に面白がって生きることである。じじは今で言うサブカル的な知識が多かった。そういう海外のこと、宗教のこと、バイクや車のこと。社会的に評価されるような事ではないと思うが、私はそんな物知りな人になれたら人生楽しいだろうなと思っていた。また、人のこともすごいと言わないけど、自分のことも自慢しなかった。他人の良いところはちゃんと認めたほうがたしかにいいかも。そういった頑固な部分は直したらもっと世界が開けてたのかもしれない。しかし、誰に対しても同じ態度で自然体で接していたこと、これは見習いたい点である。正直子供に対しても大人に対しても同じような対応だった笑。子供だから優しすぎることはなく、子どもと同じように楽しんでいた。父が小さい頃、祖母が旅行に行くとき、ご飯代として10万円を渡したらしい。そうしたら、父と父の妹、そして自分に3万円ずつ分け、残りの1万円で暮らしたため、父と叔母はにんじんとじゃがいもしか食べさせてもらえなかった、と今でも文句を言っている。また、病気になって弱ってきて、もうホスピス入ったほうがいいかもとなったときも、「今日は100段階段を登ってきたからまだ大丈夫だ」と言い放った。頭おかしいし、は?って感じだが、めちゃくちゃ面白い。
私は無難な人間なので、そんなことはしないし、じじの行ったような面白い国には全部は行けないかもしれない。でも、変だからこそおかしいからこそ、面白い、っていうぼんやりとした感覚は私や弟にも確実にあるし、人に優劣をつけたりすることは面白くないっていうこともなんか心の奥底にある。

じじは社会になんの影響も与えていないかもしれない。でも、少なくとも私、弟、そして私の家族にはその独特の面白さと生き方を知らせてくれた。だからこそ、私たち家族はこれからも面白がって生きていける。

死ぬ前でも笑わせてくれたじじにありがとう。そして火葬式のあとも、じじの馬鹿話と旅行記で盛り上がらせてくれてありがとう。ちなみに、たけし、たぬき、じっじ、じじいというあだ名もある。

家族の前では絶対に泣きたくないので泣かないようにしていたが、今さらすごい目から水が出てきた。

2023/11/27

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