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照さん ① ~送り梅雨~

  宅配便で届いた荷物の差し出し人欄には、馴染み深い住所と名まえが知らない筆跡で書かれてあった。
   開けると見慣れた箱型のオーディオコンポだった。 CD、カセットテープ、ラジオ、そしてアナログレコードも聴けるティアック製の優れものだ。ターンテーブルに鳥獣戯画のポストカードがセロハンテープで貼り付けてあった。

  ~アパートを引き払います。
荷物を整理してるのだけど、良かったら使ってください。優ちゃん前にプレーヤー壊れたって言ってたから。
色々とありがとう、さよなら~

  確かに照代の筆圧の弱い、それでいてしっかりと意志の伝わることばだった。
時計の針は9:54を指している。
   棚卸しの日はいつも遅番で、販促物の装飾品や観葉植物などに”棚卸し除外品”というシールを一つひとつ貼っていく作業を通常業務の傍ら夕方までかけてこなす。閉店後アルバイトが帰ったあとは、残った社員でひたすら
在庫表と照らし合わせながら商品の数を当たる。
  今月は閑散期ともあって簡易棚卸しではなく最後まで徹底的にやるように本社から通達が来ていた。
  出勤前の一時間ぐらいはせめてコーヒーでも飲みながらゆっくりと過ごしたかったのだけど、良いも悪いも思い出のたっぷりと詰まったこんな代物がいきなり届いたら、不穏にならないわけが無い。
  深夜過ぎまで集中力を保てるか不安を感じながらも、僕はとりあえず身支度を始めた。

  電気シェーバーを使いながらテレビの情報番組にボンヤリと耳を傾けていた。どうやら今年の梅雨明けは例年よりもかなり早く、7月の後半は猛暑日が続くらしい。
  胸元の開いたサテンの白シャツに、視聴率稼ぎ見え見えの膝上10cmはあろうかという濃紺のタイトスカートを身にまとった新人女子アナが、フリップを持って天神北の歩道橋から現在の空の様子を伝えていた。

「照さん」

  心の中で呟いたのか、実際に声に出して言ったのかも判別できないくらいに動揺していたのだろう。ふと気付くとタバコの灰が畳に黒い痕をつくっていた。

「ハァー」

  ため息をついて、ぬるくなったコーヒーを飲み干しようやく玄関を出て、重たい足をバス停へと向けた。
   昨日からの送り梅雨も上がり傘は持たなくても良さそうだけど、朝から30℃に近い暑さでアスファルトから立ち昇る湿気も相まって、かなりの不快感を覚えた。
  道すがら保育園の門扉脇に紫の紫陽花が咲いていて一服の清涼剤となっているが、今朝は幾分しなびた感じで色もくすんで見えた。


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