【魂は生き続ける❗️】
【魂は生き続ける❗️】
『虎は死して皮を留め、人は死して名を残す』
“He has not lived that lives not after death.”
(死して生きざるは生きたるにあらず)
『永遠に生きると思って学びなさい』(マハトマ・ガンジー)
『老いて学べば、則ち死して朽ちず』(佐藤一斎)
肉体は亡びても、
魂は生き続けます。
これについて、
英語学者・哲学者で上智大学名誉教授の渡部昇一博士(1930-2017)は、著書
『人は老いて死に、肉体は亡びても、魂は存在するのか?』(海竜社)
の中で、こう述べています。
「信仰とはどういうものか。
それは、
学業やビジネスなどの実人生の経験では計り知れない、
まったく違う次元の世界のものだと私は考えています。
どんなに実人生で経験や知識を積んでも、
信仰や魂の存在、
死後の世界など、
精神的世界の話となると、
目に見えない、
実体のわからないことばかりで、
私は確信の持てない不安感につきまとわれました。
人間が本当の心の安らぎを得るにはどうしたらよいのか――。
それには、
『人間とはどういう存在なのか』
という、人間の存在そのものを問わねばなりません。
人間の存在を問うとき、
『魂の存在』
『死後の世界』
『宗教』、
この三つの原点についての問いは、
人間の存在の根幹にかかわるもので、
切っても切り離せないでしょう。
そこから、
私の精神的世界への探求が始まりました。
『人間とはどういう存在なのか』
『魂は存在するのか』
『死後の世界はあるのか』
『信仰とはどういうものなのか』
・・・・・・。
私は、
自分が肌で実感した経験と、
パスカルやウォレス、
アレクシス・カレルなど、
古今の偉人の生き方や言葉から、
また私自身の言語学者としての見地から、
数十年に及ぶ思索を積み重ね、
その問いに対する答えを導き出しました。
私の答えはこうです。
『魂はある』
『死後の世界は存在する』
『信仰は弱い人間の心の支えになる』
人生には、
常に不安や迷いがつきまといます。
そのたびに、
私は、
偉人たちの言葉を反芻し、
自分が導き出した答えに救われてきました。」(18頁)
「医学はデカルト的な精神で、
つまり、科学的、幾何学的精神で、
長足の進歩を遂げました。
そのおかげで、
カレルは自分もノーベル賞をもらうような解剖学の技術を開発した。
しかし気がついてみたら、
その進歩の始まりから、
パスカルが提唱したこと、
つまり、
『繊細なる精神』
を忘れてしまっていたということです。
パスカルが言った
『繊細な精神』
とは、
奇跡の存在や霊魂の存在、
そして死後の世界の神の存在を信じる精神のことです。
人間は、
肉体だけではなく、
このような、
『繊細な精神』
についてもわからなければ、
本当に理解したことにはならない、
と、
カレルは、
『人間 この未知なるもの』
の中で主張したのです。」(205頁〜206頁)
「若い頃パスカルに触発されて私はクリスチャンになりました。
そして思考を重ねてきていますが、
日本の神様とも矛盾を感じません。
仏教の高僧をも心から尊敬しています。
私は、
神は存在するし、
霊魂も存在し、
死後の世界も存在するほうへ賭けたのです。
以来、
今に至るまで、
以上のようなさまざまなことを考えながら、
八十年以上を生きてきました。
そして、
今でも自信を持って言えることは、
パスカルは正しかった、
ということです。
魂の存在も死後の世界も、
神の存在も否定できないと思います。
そして、
こう信じることで、
損をしたことなど一度もありません。
いやむしろ、
信じない人たちよりもずっと、
幸福を味わうことができていると思います。
なぜなら、
ちょっと考えただけでわかると思うのですが、
信じなければ、信じない分、
その幸せを感じることができないのに対して、
信じれば、信じただけの幸せを感じることができるからです。
私自身がそうですが、
魂の存在を信じ、
霊魂は不滅だと考えれば考える程、
また、
死後の世界もちゃんと存在すると信じれば信じる程、
自分の生きている日々に、
安心感が湧いてきます。
そして、
もっと楽しく、心躍ることは、
ソクラテスも言っているように、
霊魂が存在すれば、
死後の世界で、
あの懐かしい人にも会えるかも知れないということです。
考えただけで、
ワクワクしてくるはずです。
しかも、
そのことを、
魂の不滅や死後の世界の存在を、
誰も否定することができないのです。
誰も文句をつけることができない。
だからこそ、
私は、シニア世代には特に、
この賭けのことについて考えてみてはどうか、
と勧めたいのです。
無に帰して、
風にさまようくらいなら、
一歩踏み出すくらい何でもないはずです。
なにせ、
負けることのない、
必ず勝つ賭けなのですから。」(218頁〜220頁)
私たちは、
時々スピリチュアルな経験をする人間ではなくて、
時々人間の経験をするスピリチュアルな存在です。
私たちの本質は、
肉体ではなくて、
魂(スピリット)です。
これが正当な自己認識です。
イエス・キリストの魂、
釈尊の魂、
老子の魂は生き続けています。
彼らの魂から学び、
己の魂を成長させましょう❗️
『永遠に生きると思って学びなさい』
(推薦図書)
『人は老いて死に、肉体は亡びても、魂は存在するのか?』
(著者 渡部昇一 海竜社)
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