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#5 第3章(1) 「おうこ」



今日の一句


まねき まねき あふこの先のすすきかな /凡兆
   猿簔集 巻之二 夏

俳句を半紙に散らし書きすることを今でも続けている。
俳句の語句に釘付けになり、筆が進まなくなることが時々、ある。
今回は、上記の凡兆*1 の句に出てくる「あふこ」で、筆をいて寄り道することとなった。「評釈 猿蓑」 幸田露伴・著 に出てくる俳句である。

露伴の評釈の概略を記す。
八瀬やせあたりは柴売しばうりが出るところである。柴売りの話は、風俗文選ふうぞくもんぜんに出ている。あふこ、ここでは柴売りの柴をなう棒である。最初に置いた六文字、すすきまねく様を描写している。「まねまねく」としたいところである。ひっとしたら、書き写す際に誤ったのかもしれない。

「評釈 猿蓑」 幸田露伴・著

「あふこ」とは、柴売しばうりの柴をになう棒であると、幸田露伴は言っている。
私はこの句の「あふこ」に注目した。
(「あふこ」とはいったい……どこかで聞いたような懐かしい響き。)

古語辞典によると、「あふこ」の漢字表記は、【朸】。
(あこ)とも。物をになう棒。てんびん棒とある。
和歌にも詠まれている。
人こふることをおもに(重荷)と にないもて 
あふこなきこそ わびしかりけれ /古今 雑体

引用:旺文社  古語辞典

古今和歌集で確認すると、第十九 雑躰 短哥 1058 に載っている。
再度、「あふこ」を電子辞書でも調べ直してみたがこちらは手こずった。「あふ」でようやく探し当てた。

「あふご」(おうこ)とも。荷物にさし通して肩に担ぐ棒。てんびん棒。
歌では 会う期 にかけて用いることが多い。

引用:三省堂 スーパー大辞林3,0

とある。
「あふこ」=「あふご」=「おうこ」
おうこ ならば知っている。」
実際、「おうこ」は今も使われている言葉である。
私の電子辞書による「おうこ」探しがもたついたのは、
おうこ を、母の里言葉と思い込んで気がつくのが遅くなったためである。
しかし、私がかついだことがあるのは、実際にはてんびん棒とは少し作りが違うものである。
とみ爺の家の「おうこ」である。



とみ爺の家の「おうこ」

私は、疎開先の椿の里で、「おうこ(朸)に出会った。

椿の里は、八重村の集落で、母の実家である。
1945年、私は小学校(当時は、国民学校)入学前の6歳であった。

椿の里は、交通の便の悪いところで、長く陸の孤島と言われていた。
引越した時、母の実家は、とみ爺の家と呼ばれる空き家になっていた。とみ爺の家は、西の浜の崖の上に建っていた。
晴れた日には、海のずっと先の、遙か彼方に五島列島が薄らと霞んで見えた。

とみ爺の家は、わら屋根の典型的な百姓屋であった。
井戸とランプと囲炉裏の暮らしであった。
井戸は、とみ爺の家にいたる小道の脇に設けられていた。
夏場はしばしばれた。
大雨が降ると、白濁した水が小道すれすれの高さまで上昇した。
白濁した水は、飲料にも洗濯にも適さない。
夏季はいつも水に難儀なんぎして暮らした。

すり鉢状であった集落の扇のかなめに当たる所に「れずの井戸」があった。
私は、何度か洗濯物を持ってその井戸まで行った。
子供の力では、その井戸水をんでとみ爺の家まで運び上げることは出来できなかった。

もう1カ所、西の浜の崖の下に、冷たい水がき出していた。
1年中涸れることがなかった。
夏場は、この湧き水を、飲み水用に汲み上げた。
この湧き水は、満潮時には海面下に隠れてしまう。干潮の時に、大小の石ころを取りのけて掘り下げ、丸く囲って臨時の池をつくることになる。

ここでやっと「おうこ」の出番である。
とみ爺の家の「おうこ」*4 は、にない棒である。固い木で作られていた。肩に当たる所は太く平らで、左右は細く丸くなっていた。
両端にストッパーのような棒が出ていて、そこにブリキのバケツの柄を引っかける。
子供の私がみ上げるので、母は、ヒモでバケツをくくり付けた。
このバケツに、崖下の湧き水を、瓢箪ひょうたん柄杓ひしゃくで汲み入れる。バケツいっぱいになると、今度は、ウネウネした急斜面の道を崖の上の家まで一歩一歩とにない上げる。
登り上がった時、バケツの水はかなり減っていた。
全体を揺らして歩調をとる担い方を体得たいとくしたのは、小学校3年生頃であった。

かつぎ上げた水は、貴重な水で飲み水として台所の【ハンゾガメ】に納まる。ハンゾガメの漢字は知らない。勝手に【半蔵甕】と思っていた。丸い大きなかめである。
幼い私は、木箱の足継あしつぎに乗って、バケツの水を注ぎ入れた。

五右衛門風呂が西側の軒下のきした近くにしつらえてあったが、滅多に沸かすことはなかった。幼い私は風呂釜いっぱいの水を汲み上げることは出来できなかったし、母が風呂のために、浜から汲み上げるのも見た記憶がない。

西の浜の洗濯

私は、夏になると、西の浜に下りて洗濯をした。
湧き水の所の石ころをのけて、いつものように臨時の池を作った。
海に近い、流れの下の方で洗濯をした。
洗い上げるとそれを広げて、周辺の岩に貼り付けておく。
改めて、湧き水がまるように小石を敷き詰めた池に作り直す。
そのあとは、波戸はと*2  の周辺を泳いだり、磯もの*3  を探したりして遊んだ。

しっかり遊んで池の所に戻ると、池に溜まった冷水を浴びる。
頭からかぶる。ひとりでに、「ヒヤー」と声が上がる。冷たい。
瓢箪の柄杓で何杯もかぶった。
手ぬぐいで、頭を拭き、体中のしずくを拭い取ると、岩に貼り付けていた服を着た。

何時いつもひとりであった。
近所に同級生が2人いたが、海で一緒に遊んだことはない。
集落の人々は、大潮の時だけ、子を連れて浜に下り、磯に入った。

おうこ(朸)を語り始めると、肩にあたるおうこの木の感触が蘇ってくる。

さて、次回の第3章(2)は、椿の里の流行病の話である。

注釈

*1   凡兆(ぼんちょう)
(?-1714)江戸前期・中期の俳人。金沢の生まれ。京都で医を業とする。芭蕉の門人で、去来と共に【猿蓑】を共編。のち、芭蕉から離れた。

引用:Wikipedia

*2 波戸はと 
西の浜の波戸はとは、小型漁船の出入りのため、磯の中央を少し掘り下げて石を敷き詰めていた。小舟が行きうぐらいの広さと深さがあった。干潮時には、私は両の手を底に突いて泳いだ。海水はぬるくなっていた。

by Tajima shizuka

*3 磯もの 
西の浜の磯は砂地が少なく、小石で埋め尽くされていた。潮が引くと、波戸の周辺に大小の岩がき出しになった。その岩の間に、ウミニナ、サザエ、ウニなどがいた。時にはタコも見かけた。

by Tajima shizuka

*4 とみ爺の家の「おうこ」 推察
祖父、とみ爺は、刈り取った麦を丸めて束ね、その中央をおうこの端で突き刺して、運んだと思っています。
薩摩芋の収穫時、遠い畑から、重い芋を運ぶのはおうこでは間に合いません。とみ爺は、カガリに入れて、牛で、運んだでしょう。
疎開した時、母の作っていた薩摩芋は、自家用の作付けでした。
牛ももういませんでしたし、おうこにカガリ*5 をくくり付けて、何度かに分けて運んだでしょう。

by Tajima shizuka

*5 カガリ
篝(カガリ)は、鵜飼いで船の舳先で火を焚く、鉄製の枠と同じ物だと思います。
とみ爺の家でみたカガリは、稲藁をなった縄で粗く、篝火かがりびの鉄枠と同じ形状に編んだ農作物を入れる用具でした。収穫した薩摩芋などを入れて運ぶため、シッカリした耳が付いていました。藤弦ふじつるでも作られる様です。
長良川の鵜飼い船での暗い川面を照らす篝火をみて、その鉄枠が、「とみ爺のカガリ」と同じだと気付きました。

by Tajima shizuka



(エッセイ)「猿蓑 の 寄り道、迷い道」 #5  第3章(1)「おうこ」
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2024年2月16日#0  連載開始
著:田嶋 静  Tajima Shizuka
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