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(9) ピンポイント過ぎる、日英同盟


 イギリス・サンダーランドと、スペイン・バルセロナ工場からVo/voの新ブランドとなるIV(英数字4)のSUVとセダンの出荷がそれぞれ始まった。
8月早々に某日本企業の工場を買い取り、組み立て工程をVo/voのラインに組み替えた。プルシアンブルーが60%、/suzuとVo/voが20%づつ出資し、プルシアンブルーが英国企業として登録し、自動車事業に新規参入した。イギリス国内では大きなニュースとなった。イギリス内相は大はしゃぎで「英国車が遂に復活した。何としても成功させて、国内に更に工場を作り、雇用を増やす」と豪語した。

どちらの車もVo/vo製のボディとハイブリッドエンジンを譲り受け、内装も他車のVo/voパーツを流用したが、外観のデザインだけは、Vo/voのようなスクエアな形状ではなく、曲線美を活かしたデザインになっていた。SUVはビュークロス、セダンはアスカと名付けられた。いずれも/suzu車に嘗てあった車名だった。
発表・試乗会はロンドンで行われ、発表前からデザインが高い評価を得ていた。実際に試乗してみるとボディも足回りもVolvo車から流用している割には、フランス車に似ていると評価されていた。誰かの好みで、バンパーとサスペンションが日本製に代わった為だ。しかし、主要部品の大半がVo/vo車からの流用の為に価格も抑えることが出来た。デザイナー自身がイメージキャラクターのようになり、Vo/voの妹分として販売が始まった。
チーフデザイナーはべローニャ生まれのイタリア人で、PB Motorsの取締役として、広報的な立場で各メディアの取材に応じていた。SUVもセダンも、各国で相当数のバックオーダーを抱えていた。
この日もサンダーランド港から、香港スワニー海運の車載船に満載されたSUV車輌が北米に向かっていった。

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モリは発売前にセダン、SUVを受け取り、標高の高い所では紅葉が始まる時期をドライブして愉しんでいた。生家で稲刈りをしていた母親を迎えに、本栖湖から身延町へ向かう国道300号のワインディングを駆け下りていた。この週末はセダンを持ち出して、ATのギアを小まめに変えてエンジンブレーキ具合を確かめながら、走り慣れたヘアピンカーブの数々を軽快にクリアーしていった。

先月、日本政府は内閣改造を行った。1月末の政権発足から、経済を進展し、国際課題を解決し順調に政権運営をしてきたが、内閣内部で偏りが生じつつあるとして、分散を計る方針を掲げた。
金森副首相は兼任だった外相から外れ、モリは3つの大臣ポストから外れ、内閣顧問となった。他の大臣はスライド人事や昇格が起こり、モリの後任として3名の入閣が決まった。
そういった人事異動のお陰で、季節を愛でる時間が取れるようになった。数日、母の故郷でのんびりと過ごす。家に到着するなり、挨拶もそこそこに、竿を持って渓流を歩き、ヤマメとイワナ釣りを愉しんだ。久しぶりの釣りで心が解れていくのが分かった。まさか、こんな時間が過ごせるとは思っても見なかった。子供の頃からの秘密のポイントまで沢を登ってくると、そこで無心となり、禁漁前の今年最後の釣りを楽しんでいた。

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ロンドン市内のマンションに帰ってきたヴェロニカは、様変わりした自分の環境に驚いていた。あの人は、初めてあっただけの私を取締役に据えた。
私一人だけではなかった。プルシアンブルーグループとしてロンドンに拠点を構えて、IT部門はイギリス政府やシティ中の金融機関にシステムの提案活動を始めている。金融部門はトレーダーを揃えて居て、資産運用もやるし、投資信託ではボロ儲け。何しろ、貴族様が大量に住んでいる国なので、金融商品の目は肥えている。彼らの一押しの人気商品だ。
「今度は、車の番だよ」と言われたけど、本当にヒットしたので驚いていた。つくづく不思議な人だと思いながら、来週はまた3人で会えるね、と太朗と3人で写っている写真を眺めていた。

プルシアンブルーバンクは、回収機構から転籍してきた証券トレード部門を3分割し、NYとロンドン、東京にそれぞれ人員を配置して、各市場でデイトレードを始めていた。
HSBCとの共通商品、3%定期預金に合わせて、投資信託の新商品を加えた。これがシティ中の各証券、各銀行のどの商品よりも高利率であると評判になった。それもそのハズで、ベトナム国内では5.5%預金で運用しており、パックの中にこれを5割組み込み、残り5割でホーチミン市場、上海市場、香港市場、ムンバイ市場といった急成長を遂げているアジア市場の優良企業株をパック化して商品化していた。
ブレグジッド後、アムステルダム市場に抜かれたロンドン市場はプルシアンブルー・バンクとH・BC連合の参入で、息を吹き返しつつあった。腐ってもロンドンだった。シティで名を上げたプルシアンブルーとHS・Cの投資信託、定期預金は、世界中の金融機関に広まっていった。

ブレグジッド後「脱欧入亜」とイギリスを冷笑していたEU加盟各国と中国は、イギリスのTPP加入が効果を齎しているのを認めざるを得なかった。
EUとの取引はそこそこに、日本、インドとの商取引を伸ばしていた。厳密には食料品はウクライナから、工業品はスウェーデン、タイ、マレーシア、香港からの輸入となるが、全てプルシアンブルー絡みの取引だった。EUを脱退した当初は、物が届かない等 混乱したものの、今では国内の食糧事情は大きく改善し、金融機関も回復してきた。自動車輸出も好調なスタートを遂げ、EU加盟時も含めて、最も高い成長を遂げるのではないかと言われていた。

イギリスはアメリカとの通商条約が結べず、急遽2月にCPTPPに参加した。
とは言え、中国、インドを始めとするアジアへの輸出が直ぐに出来るはずも無く、参加する効果は出ないのではないかと懐疑的な論調が目立った。経済が好転しつつある日本にイギリスが目をかけたのは、国際金融センター・シティの凋落がきっかけだった。アムステルダム市場にヨーロッパ首位の座を奪われ、ブレグジッド後の絵が描けなくなった。そこへ日本の皇室が8月にやって来ると聞き、逆指名して帯同するよう直訴した。

そもそも、逆指名してまで捕まえようとした理由は容易に想像出来た。
HS・C銀行のアジア部門が好調だということ。プルシアンブルーのネットバンク事業と、日本の地銀の提携が進み、地方経済の活性化に繋がっている。同じことをロンドンだけでなく英国各都市の金融機関で実現したいと考えたのだろう。

もう一つが N/SSANのサンダーランド工場だ。当のN/SSANはEU離脱によるメリットが無くなったと公言し、そもそも自分達が経営難なので、スペイン・バルセロナ工場も含めて、手放そうと画策していた。
雇用を守る為にも何とか出来ないだろうか・・そんな事を言ってくるに違いないとモリは想定していた。そこでヴェロニカの作品を/suzuではなく、英国でデビューさせようと企んだ。とにかくTPPを活用してやろうと考えた。

また、Vo/voもそうだが、欧州車は内蔵型ディスプレイ好む傾向がある。それで持ち歩き用のオプションとして、今回の新シリーズ販売に合わせてタブレットとスマートフォンを用意した。SIMカードはVodafone/などを選択できる。これを世界中のディーラー販売をするとしたことが波紋を呼んだ。スマートフォンメーカーはプルシアンブルーの動きを警戒し、それぞれのOSに機能追加を行うと、台数の規模でもってプルシアンブルーの参入を食い止めようと画策した。

「プルシアンブルーは車載AIとの関連装置としか捉えておりません。従って、携帯電話事業にはあまり関心を抱いてはおりません・・」CIOのゴードンが、わざと後ろ向きのコメントしたが、その裏では台湾のEMSに、かなりの台数の生産を依頼していた。消費者から「スマートフォンも欲しい、用意して」という声が多数寄せられていたので、勝算はあると踏んでいた。
また、幼児用教育事業も立ち上げ、アメリカでは北米インディアンとアラスカエキスモー、日本ではアイヌ民族、アジアではラオス向けに、PCを無償で配布し、各国政府でそれぞれネットワーク環境を用意して貰い、AIによる教育事業を始めた。今後も少数民族向けを中心にしてAIの開発を続け、教育事業に力を入れると発信した。これを、株式上場後の慈善事業として掲げた。

プルシアンブルー・テックは8月末にNASDAQ等世界中の市場に上場すると、GAFAの一角に食いこむ株価で始まり、最良のスタートを切った。
9月1日に香港と東京で上場したプルシアンブルー・エアも、バックオーダー数が100台を超え、ラオスでの組立工場の早急立ち上げに向けて、取り組んでいた。

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11月中旬、大西洋を渡ってきた車載船がボストン港へ到着すると、直ぐに東海岸のVo/voとFordのディーラーに配車されていった。この新ブランド、IVの2車種は直ぐにあちこちで見かけるようになった。Vo/vo,Ford 両社にとって手頃な価格帯の商品で、今までとは異なる客層に売れていった。売上も倍増したのもあるが、Firef/xスマートフォンの評判が良かった。実際、スマホだけ買いに来る客も少なくなかった。価格的に普通のスマホと同じ値段で、更に高機能なので「乗り換え」需要の最有力商品となっていた。
ディーラーにしてみれば携帯販売も結構な収益源となり、来月のクリスマス商戦に新車と携帯という2つの商品を手に入れて荒稼ぎが出来ると喜んでいた。

国務長官が自宅へ帰ると、家族がF/refoxスマートフォンを囲んで会話をしている最中だった。そのスマホは家族を笑わせ、実に知的なリアクションをした。国務長官は、ホワイトハウスで会ったモリの娘たちの顔を何故か思い浮かべた。あの子達の声を聞いているような気分になった。「遂に我が家にまで侵略してきたか・・」長官は笑いながら、家族の輪に加わった。

FRBがプルシアンブルーの為替手数料に関して調査を始めたものの、問題は見つからなかった。通貨両替の安価な手数料は、日本国内だけで利用されていた。北方四島が「海外」に該当するが、2035年に返還が決まっている「領土」と判断された。
唯一、石油売買の手数料に懸念があるとして徹底的に調査をしたが、もはや中東、CISの産油国の標準オーダーシステムとなりつつあり、特定の国を利するものではないと判断し、不問となった。イギリス・ノルウェー両国の北海油田購入システムに採用された時に、大勢は決まった。もはや、アメリカとアフリカ、中東の一部以外の産油国が、プルシアンブルーのシステムを取り入れていた。為替手数料はどこも同じで、もはや特徴とも言えず、経営効率化が図れるシステムだと評価されていた。また売上1%の手数料も、プルシアンブルーは還元するかのように各国へ投資していた。中東、CIS、北欧であれば太陽光発電事業へ、イギリスでは自動車工場を買収した。

企業として暴利を慾る訳でもなく、堅調、健全な事業を行っていた。それがGAFAの事業を侵食するのも、製品・商品として優れているからであって、アメリカ政府としてもやむを得ないものと好意的に判断をしていた。逆に、巨大化する一方のGAFAの抑止力となっており、情報の集中、独占という話題も、最近は耳にすることもなくなっていた。

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上海にある自動車会社の2社が、上海市内の別の場所で新型EVの発表会を行っていた。中国企業として待望のプルシアンブルーとの提携によるEV車両となり、中国のメディアも注目していた。開発まで僅か3か月だったという。
/suzuとM/TSUBISHI、そしてプルシアンブルーが携わった欧州車に販売が押されていたので、これで中国企業も盛り返せると期待されていた。

内相も上海の発表会に駆けつけ、そのデザインに目を見張った。社外のデザイナーに委託して貰ったのだと言う。もう一社も同じデザイナーなのだと聞くと、北京や大連の自動車会社にも紹介しようと思いついた。連絡先を聞くと、ロンドンに居るプルシアンブルーの自動車部門の取締役だという。何たることだ、と目の前が暗くなった。それなら、プルシアンブルーも請け負うのも当然だった。そして、中国だけではなく日本の自動車会社も、ヴェロニカ・エーベルレ氏に車体デザインの要請をした。

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バゲッジクレームを出ると、そこに見慣れた顔があるので抱きついていった。長かった髪を今では短くして、お父さんによく似ていた。

「じゃ、行こうか」男は眼鏡をかけると、女性のキャリーバッグを引いて前を歩き出した。初めての名古屋なので、太朗の後についてゆく。明日訪問する会社とは違う街名古屋へ行くという。今夜は2人で宿泊する。

「ね、今夜は何を食べさせてくれるの?」訊ねると太朗は困った顔をした。

「どうしたの?」

「いや、それがさ、君も英国料理じゃなくて、イタリアンばかり食べてるって言ってただろう? この街はね、僕にとってはイングランドなんだ・・」

「え? 日本なのに?」

「いや、この都市は日本だと思わない方がいい。完全に異文化圏なんだ」

「じゃあ、どうするの?」

「普通の居酒屋に行こう。それなら何とか食える。明日まで我慢すれば、京都が待ってる。とにかく堪えて欲しい」

「分かったわ。ロンドンって言われちゃあ、仕方が無い。諦めたっと」
ヴェロニカはそう言って太朗の腕に絡みついた。そう言えば太朗のパパも、京都まで耐えろって言ってたけど、この事なのかな?と思った。

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中国の都市にアメリカ資本のファストフードが出店攻勢を掛けていた。
3種類のファストフードで、3つがセットになって街の繁華街に出現していた。上海ではMのハンバーガーショップが撤退した原因となったと言うので、評判になっていた。
価格帯は変わらないのに、すべてが美味しい。何でも、若い日本人女性が全てのメニューを決めていて、手抜きや妥協を一切していないらしい。
販売本部も、上海と香港に構えていて、会社名が上海北陸公社という。この会社は南部の都市に大型スーパーも出していて、そちらの方も有名だった。アメリカブランド、ウクライナブランド、そして日本ブランドの食料品を扱っていて、どれも値段が安く、美味しい。
魚だけは中国だが、肉と野菜が充実していて、ウクライナ産と日本産を扱っている。ここの肉と野菜を知ってしまうと、他の店では買えないとまで言われている。
そんな材料を使っているから、ファストフードも美味しいらしい。最近は日本のチェーン店の焼肉屋やステーキハウス、居酒屋の店が増えてきた。どのチェーン店も、このスーパーの肉を使っていると評判だった。家でも味が再現できると、動画に投稿されるまでになっていた。

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アメリカと日本食品のウクライナ工場が稼働すると、北欧、EU、イングランド3カ国とそして、中国にウクライナ食品と共に出荷されていった。飲料はイランからで、どちらもシベリア鉄道を経由して各国へ運び込まれた。野菜と肉の生鮮食品は、空輸でウクライナから届けられた。スーパーマーケットが評判となって、各地で建設が並行して行われていた。

来月にはラオスの食品工場が稼働して、マレーシアとタイ工場の飲料も中国に運び込まれることになっていた。

上海北陸公社には、香港企業からの出向者が集まり、中国内のスーパー開店前のミーティングを重ねていた。店舗で実際に起きたトラブル例や、その対策について紹介し、学習をしていた。オープン時は混乱するので入場制限をかけ、そのための警備体制など徹底的に考えられていた。とにかくオープン時のトラブルは避けなければならない、後のイメージとなって人々の記憶に残り、全て台無しにしてしまう。モリが何より恐れたことでもあった。
とにかく、安全に気持ちよく買い物が出来る環境作りを心掛けること、これだけで中国資本のスーパーとは異なるイメージを植え付けることが出来る、そう考えていた。

「日本企業なのに、日本に出店しないのですか?」と言われたが、日本国内に提供できるのはウクライナの食品に限定される為、無理だった。アメリカブランドは国内の販売権は別の企業が持っているし、安いウクライナ工場製・ラオス工場製の日本ブランド商品を、国内で販売する訳にはいかない。国内だけはウクライナ食品の卸売と、カフェ経営に徹していた。

そんな ほっくりっく社が、東証2部と上海で、新規上場したのは 先月10月のことだった。
IT、航空機、そして食品と、株を持っている幹部連中は 一気に成金になっていた。しかし、誰も株を売却しようとはしなかった。まだ株価が上がり続けていたからだ。

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母親を連れて横浜の家に到着すると、4男の圭吾がトランクから荷物を下ろすのを手伝いにきた。

兄貴達は何をやってるんだ?と聞くと、五箇山の娘とネット会議中だという。何で、今なんだ?「お姉ちゃん、この冬は兄ちゃん達と大学受験するんだって」と言うので驚いた。

「まさか、受かったのか、高検・・」

「うん、まだ高1なのにね」屈託のない笑顔で笑う。

それは流石に、兄達にとっては穏やかな話ではないだろう・・
3男に至っては、妹の方が学年が上になるのだから。

(つづく)

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