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(3) こんな時代だからこそ、農への回帰(2023.8改)

ここ数日、薄曇りの日が続いていたが、久方ぶりの好天となった。眩しさが夏日を思わせる。時折、心地よい風が谷間を流れ、村一帯に爽快感を運んでいた。

小型の田植え機を真っ直ぐに進める。カシャッ、カシャッ、カシャッと一定のリズムで稲を植えていく。このマシンのお陰で、田植えが楽なモノに変わったと、毎度のように考えている。
もしも、タイムマシンなるものがあったならと妄想する。
真っ先に届けて上げたいモノの代表が農機具だ。燃料云々やメンテナンスといった問題はさて置き、飢饉や過度な年貢に苦しんだご先祖様達に対して文明の利器がもたらす恩恵を提供出来たなら、と。

田植え機では植えられない、田の隅やすみっこ を、12人手植えチームで稲を植えている。
昭和ではこんな光景が当たり前だったのだ。田植えも稲刈りも、そして雑草取りも、全てが手作業に依存していた時代、農業は根気も体力も求められる重労働だった。
エンジンによる駆動力が登場する現代となり、農家の作業軽減が実現して、兼業農家という新しい形態が生まれた。日本工業は農業の兼業化によって工場労働力を獲得し、高度成長期の生産計画と雇用需要に順応した。そこに至るまでの長い年月、人口の大半を占めていた農民は、専業の階級職だった。過重とも言える労働量に四苦八苦し、あがき続けるように生活していた先祖達の艱難辛苦を、農作業をする度に憂いてしまう。
人は農民の家に生まれ、武家の家に生まれ、公家の家に生まれる。その僅かでしかない匙加減のような運命で、人生の大半が決まってしまう時代が永遠に続くかの様に時が流れた。 

モリが神や仏を信じないのは、出生の不平等が当然のものとして正当化されていた為だ。
欧州では貴族は出自を誇り、日本では公家と武士が自らの階級を誇り、大多数の農民は這い上がる機会すら無く、苦難の歴史を重ねた。
昭和の後半になって、日本の農民を開放したのはGHQではなく、紛れもなく工業製品である農機具だ。農家にとっての神仏は農機具メーカーだとモリは信じていた。漁業、林業も合わせて一次産業を支える工業製品には並々ならぬ関心を有しており、妻達には内緒で、これまでの株主の立場から更に一歩踏み込もうと企んでいた。

田植えがこのまま順調に進めば、お隣の親類の家の田も含めて、明後日には植え終わっているだろう。
機械を操作しながら、時折、皆の動きを見て各人の作業の完成度やペースを伺っていた。ママ友2人は田植えが久しぶりなので評価の対象外だが、他は経験者と呼ぶに相応しい基準をこなし、驚くべき作業量を達成していた。

「玲ちゃん、アンジュリ姉妹!コイツの操作、やってみない?」
手植え部隊の驚異的な進捗を見て安堵したので、予てから予定していたステップへ移行することにした。自動車免許を持つ大学生に、農機具操作を習得して貰う。 
モリだけが農機を動かしている状況は、相応しくない。

意外だが、樹里が臆する様に身を引いた。姉に譲るのは初めて見た。結果、玲子と杏の2人がチャレンジする。
2人に田植え機の左右を歩いて貰いながら暫く手順を見学させる。操作の理解が得られた後で、交互に稼働して貰う。然程難しい操作では無いので、2人が習得するのに時間は掛からない筈だ。

「よし、交代でやってみよう。一人は相手の操作をよく観察する役と、相手に操作のアドバイスを出すコーチ役の2役をやって貰う。操作は今の所は杏ちゃんのほうが上手そう、まっすぐ植えてる。玲子ちゃんは転回、マシンをターンする時の動きがスムーズでとてもいい。お互いの得意な点を見せあって、観察しあって、自分のスキルに補完して貰えばいいかな」

2人であーだこーだ言いながら機械をノタノタと動かし始めた。

「樹里ちゃん、この動画を撮っといた方がいいかもよ。仲良しコンビの共同作業の様子」

「おー、すっかり農家の嫁だねぇ」「いいね、とっても様になってるよ」畦に置いていたカメラを手に取ると撮り始める。
田に居る全員が田植え機を動かす様を見届けていた。長年の田植えの慣習に、ようやく世代交代が生じた。そんなちょっとした事件に、モリは感慨深いものを感じていた。

「田んぼの水を足した方がいいみたいだね」
田んぼから出て、誰に宛てた訳でもなく独り言を呟いた。
現に田んぼの水量が減少し、一部の箇所で泥が見え始めていた。手植えするには問題はないのだが、苗を植えた際、手についた田の泥を そそぎ落とすためには、相応の水量が溜まっている方が作業しやすい。                「稲を植えて、泥を注ぎ落として、稲を手に取って植える」このサイクルが手植えを円滑に行うコツである。

「そうね、お願いします」
鮎が周囲の水量を見回して応えたので、手を上げて畦へ上がった。用水の堰き止め板を異なる方向へ差し替え、用水の流れ込んでいく方向を変更する。山から流れてくる水はまだ冷たい。ムラから仰ぎ見る白山はまだ雪に白く覆われている。5月といっても標高のある村落の本格的な春はもう少し先だ。

さぁ、手植えを始めようと、田に入って適当量の苗を手に取る。玲子が植えていたポジションへ入ると、中腰の姿勢まま一連の動きを繰り返してゆく。
杏と樹里が左右に戻ってきて、稲を植え始める。2人共、上達したのがよく分かる。中腰の姿勢は全くブレることもなく、無駄の無い動きが維持出来ている。効率的なのは樹里だ。植えるペースが早いので、まだ慣れていない母親をカバーしながらでも遅れない。実際、杏と樹里の母親は少々辛そうに見える。少々農作業から遠ざかっていたと推察される。一方、玲子の母は既に勘を取り戻したようで、問題なく作業をこなしている。

それでも久しぶりなのでキツイ作業だろう。久しぶりの作業となれば、おそらく筋肉痛は避けられない。明日もあるので、決して無理をさせてはいけない。新規にチャレンジされた方々は、午前で農作業を終えて貰って、午後はゆっくりしていただこうと決めた。

ーーー

休憩の為に桜の木の下に向かうと、子供たちが騒いでいる。近づくと よもぎ餅を奪い合うように食べている。普通の大福の方がいいとか文句を言っていたのに、何の心境の変化があった?と思いながら腰掛ける。

「はい、センセ」
紙皿に乗ったよもぎ餅と麦茶を樹里が目の前に掲げてきたので、礼を言って受け取る。

「何があったの?」
がっつくように食べている息子達を見ながら、状況解説を求めると、製造元の祖母が説明を始める。

「翔子さんと里子さんに昨日手伝って貰ったのよ。私の草餅って翌日硬くなるでしょ?ま、論より証拠、一口食べてみて」
ウエットティッシュのお得パックを鮎が押し出してきたので、手を拭いていた。皿の上の餅を取ろうと手に取ると、いつもの硬さがない。柔らかかった。そのまま齧り付くと別物だった・・。

「柔らかい。それに、いつむもの餡とは違いますね・・」客人が居るので口に手を当てて発言する。餡に塩を足したのだろうか。絶妙のバランスだった。杏・樹里の母が話し始める。

「私達、宮城の生まれなんです。夏は大豆を使ったズンダ餅、春は蓬を使った草餅を作って、農作業の合間に同じように食べていました。農作業はどうしても汗をかきますから、塩っけが欲しくなりますよね?
桜餅や道明寺なら、この葉っぱを塩漬けにしたものを巻いて味のアクセントにしますが、ズンダとヨモギに塩を加えると別物になってしまうので、餡を調整しました」
杏と樹里の母が地面に落ちている桜の枯れ葉1枚を、手に持っていた。

「お餅が柔らかいのは大和芋を擦って練り込んでいるからなんだって。あなたの好きな、福島の薄皮饅頭と同じ発想」
蛍が玲子の母に向かって、両手をヒラヒラさせながら言う。

「なるほど・・」
昨日の晩にママ友2人は調理師免許を持っていて、玲子の母は食品メーカー勤務だと知った。

「今夜は私がいっぱいパイを焼くからね」
樹里が胸を張りながら言うのは、シャレの3乗か?と勘繰る。樹里が自分の得意な世界に引き込もうとするのは毎度の話だが、笑顔だけ返す。
それより草餅だ。このままではいつもの様には残らない・・。

「ヨモギ、取ってこないと。この分だと足りないね」鮎が言うと、
「ヨモギってどんなのだっけ?」樹里が尋ねると、玲子が説明する
「先生が水中メガネの曇り止めで使ってるでしょ」
「石で叩いて液を絞ってるのは見たけど・・ああ、この草かぁ」スマホで検索して理解したようだ。

ーーー

休憩を終えると、昼食を担当する蛍と、杏と樹里の母が家へ戻っていく。しかし、足取りが重そうだ。中腰の田植えの姿勢が応えたのだろう。

「お母さん達は今日は休んでいただこうと思う。玲子ちゃんのお母さんも今日は午前中でお終いにしてください」稲を植えている皆さんに伝える

「私は大丈夫です、里子は確かに休ませた方がいいと思いますが」

「お嬢さんたちと温泉に行くのはどうでしょう。日帰り施設ですがマッサージチェアも台数がありますし、とにかく疲労が翌日残らないようにしていただければ」

「すいません、夕飯は玲ちゃんと私が作る番なんです。だから温泉は・・樹里に運転してもらおうかな?」

「いいけどさ、温泉までの行き方が分からない・・あゆみちゃんも一緒に行かない?」

娘、頷いている。

「では4人で出かけて下さい。樹里ちゃんもあゆみも午後は作業しなくていいからね。それから出掛けたついでに買い物でもしてきなさい。お母さんたちに富山のローカルスーパーを知ってもらうのもいいかもしれない」

「午後の作業で、4人も抜けたら作業が遅れませんか?」

「大丈夫だよ、このペースなら予定通り終わると思う。それに、これだけ人が居ると入浴の順番も待つことになるでしょ?お母さん達と温泉でのんびりして、就寝前にシャワーで済ます、とか」

こうして何人か毎に温泉を日替わりローテーションを組めば、家の風呂も混まずに済む。
風呂は勉強小屋にもあって2つなのだが、男性5人、女性8人の人数を捌く為には必要と考えた。後で日帰り温泉の回数券を渡しておこう。

「了解しました、親方!うわっ、しまった。やっちゃったぁ〜」敬礼ポーズをした樹里が泥の付いた手を顔に近づけ、顔に泥がついた。

周りで皆が笑っている。売れっ子モデルの失態は貴重だ。若者達がスマホやカメラを取りに走ると、樹里の泥にまみれた顔の撮影を始めた。

この手の映像や写真が編集され、富山での日常の出来事が発信されてゆくのだが、これが後々、花開く材料に結びつく事になろうとは、この時点では誰も予測していなかった。

(つづく)

 

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