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(5) Yesterday , once more !

カラカスの私邸にチタン製の栽培棟を複数棟建てると、内1棟に様々な機器を運び入れ音楽スタジオとして完成させていた。執務を終えて帰宅し夕飯を食べ終わると、日本からやって来た同級生達2人と、スタジオに3人で篭もるようになる。3人では夜間に3−4時間、女性2人だけの際は昼食後からスタジオ入りして自分のパートを録音し、4日間掛けてカラカスでの作業を終えた。
3人が毎朝充実した顔をしているので満足する仕事が出来たのだろうと、私邸の誰もが察したが、パメラやアマンダは数日間では数曲くらいしか録れなかったのではと話していた。モリが執務を終えて帰ってきた木曜の晩に3人は政府専用機に乗り込み、アジアへ帰っていった。

今週のベネズエラ滞在中、家族サービスが無かったが仕方がないとベネズエラ組は察した。あれも仕事の一環なのだと受け止めていた。音楽や動画の莫大な収益が、中南米のカソリック教会の支援に当てられているからだ。
木曜の夜に録音風景を撮影した動画が「薯(IMO)」のHPに公開された。ロボットが撮影した3分弱の短いものだったが、3人が心の底から楽しんで演じているのが分かる、そんな映像だった。主役は作曲担当のモリではなく、2人の女性ミュージシャンにフォーカスが向けられていた。演奏レベル、とにかく歌声が際立っている。無国籍と言うか東洋と西洋がごちゃまぜに融合したような独特な旋律に、2人の歌声が重なると、意識しない間に思わず聞き耳を立てている。聞き終えたあとでも脳内に暫く、共鳴している・・そんな残響感が暫く続いた。
金曜の朝から国連や世銀からやって来たベネズエラ政府のスタッフ達の間でも話題になり、、英語と日本語が絡み合う詞なのだが、英語圏の人でも違和感を感じない。
曲も然ることながらアレンジも見事で、女性の絶妙なコーラス、ハモりがアクセントとなる。「思わず、聞き入っちゃうね」と誰もが同じ発言をするので頷いていた。

国連関係者が250名も居れば、音楽の素養に秀でたスタッフも何人か居る。UNESCOで長年に渡って世界の民族音楽の記録・保存を担当していた者が、この曲を耳コピし、ご丁寧に譜面化して、各楽器ごとのパート説明を事細かにしてレポートに纏め、動画と共にベネズエラ政府のHPに金曜の昼に投稿された。
3人の音楽が初めて、その道のプロに評価された事になる。ベネズエラが政府のHPの掲載を許可したのも、大統領が関与しているし、曲が売れれば大統領からの寄付金も増えるだろうと、首相と内閣府が評論の掲載を認めた。オリノコ川流域とアマゾン流域の密林に居住するヤマノミ族の音楽を含む文化調査に並べられた。

その投稿をベネズエラで世話になったパメラ副大臣から知らされた優希と理美は、楽曲の分析と評価に対して謝意を箇条書きにして、2人が担当するピアノ、キーボードとギター、チェロ、ヴァイオリン担当の各パートの譜面と音源ファイルを投稿した。英語で返信コメントが書き込まれたので、内閣府の方でスペイン語訳を添えた。

「フランチェスカさん、曲の分析を頂きまして有難うございました。実は、この曲なのですが1988年に貴国の大統領が作曲しました。当時録ったデモテープから同じ曲を添付したので、参考までにご確認下さい。再録したものはアレンジを今風に手直ししておりますが、大半は50年前のままだと言うのがご理解頂けるかと思います。

また、フランチェスカさんが分析頂いた効果が出ているのは事実だと思います。しかし、当時まだ学生だった大統領閣下にそんな高度な音楽的な素養があった訳ではありません。大学も社会学部ですし、高校も普通科を卒業しており、音楽と美術が選択制だったのですが美術を選んでいます。タブ譜でギターを引き始めたので、楽譜が読めるようになったのも大学卒業時になってから、曲はラジカセでテープに録音して、私達が譜面にしました。

つまり当時の彼の感性と感覚で作曲しておりますので、技術的な狙いも裏付けも何も無いのです。この曲が彼の第一作に当たるのですが、最初は私達も奇跡的に出来たと思っていました。偶然か、勝手にこうなったのだろうと笑ったものです。しかし、その後10曲程度、彼がテープを持ち込んでくるのですが、曲の全てに魔法が掛けられていたので「本物かもしれない」と、バンドがデビューするのを夢見るようになったのを、この場で告白しておきます。

閣下は50年経って曲作りを再開されたようです。
私達も最近の曲を聞き込んでみたのですが、全ての楽曲で当時の魔法は未だ健在である事が確認出来ました。
今回は昔の曲で楽しんで頂きたいと思いますが、近い将来、新曲も公表できたらいいなと考えております。 
各国の音楽に携わってこられた、フランチェスカさんにはお分かり頂けると思いますが、音楽の才能を持つ人材が突然現れるからこそ、大抵の民族が音楽を愉しむ文化を有してきました。一人のハミングから始まった音楽が部族の中でコーラスになり、コーラスを彩る上で様々な楽器が作られていきました。地球は音楽性豊かな星です。そんな星に生まれた私達は幸せです。ましてや、最初のハミングを生み出すスキルを持つ人が同級生に居た私達2人はちょっとだけ、彼のスキルの恩恵を受けました。それでもなのです、貴国の大統領が生み出す音が、まるで遠い星からやって来たようなモノの様に思えて仕方がないのです。彼の作品をどのカテゴリーに分類したら良いものか、突然手渡される私達自身、大いに悩んでいます。フランチェスカさん達の持ってらっしゃる世界中の民族音楽と照会頂けると、日本人として生まれた彼の前世が、一体どの民族だったのか、どの惑星出身者なのか特定できるかもしれません(笑)

今週、来週でミキシングしてアルバムとして仕上げる予定です。それまで、あと数曲を公開して参ります。50年前と、現代の再録音との聴き比べを愉しんで頂けるようにしようと考えております。お楽しみに。
「白川優希・長井理美」名前だけが漢字で書かれていた。

政府職員一同が驚く。ウチの大統領が作曲しただって? しかも1曲だけではなく、アルバム制作をしていたのか? と。

ーーーー
ナポリ市に各国の代表が再集結し、EU会議に引き続くようにNATO加盟国会議が開催されようとしていた。EU会議には縁のなかった米英の外交団が加わり、各国の外交団やマスコミも、やや緊張した趣だった。イタリアや日本の記者が、外交チームを率いる柳井前首相に近づき、週末のお孫さんの活躍は見事でしたと褒めてから
「ベネズエラの大統領が音楽活動を始めたのですが、ご存知ですか?」と聞いてくる。

「え?活動ですか?」と言って、バンドでボーカルを担当している里子外相に「何か聞いてる?」と振ってみると里子も驚いた顔をして、

「いいえ。忙しい人ですからね。音楽活動まではチョット・・」というので、息子の太朗にも顔を向けると、

「外相が認識されていないんですから、知るはずもありません。旧満州での演奏が最初で最後でしたよね? 何かの間違いではないですか?」と太朗がムスッとした顔で応える。  

「すみません、私達にはよく分かりません・・」と言って、集まった記者たちの群れから逃げ出した。

そう言えば 同級生の2人がベネズエラに行くって言ってたなと思いながら、日本外交団チームの席に座る。今回もEU会議同様にロボットと共に着席すると、柳井太朗副官房長官はロボットとアクセスしながら、交信先の設定の確認作業を行うと、日本と北朝鮮、そしてベネズエラとのアクセスが確認できた。会議室内での通信状況も良好のようだ。
EU会議と異なり、市ヶ谷に居る防衛省のNATO分析班とロシア分析班、そして防衛大臣と参謀本部の戦術担当が、EU会議時の外務省スタッフに新たに加わった。ここに中南米軍の情報分析チームと北朝鮮の櫻田、ベネズエラのタニアの2人の外相兼国防相も密かに参加する。バックヤード部隊として日本連合の防衛担当者達が勢揃いし、今後のNATOの方向性を見極めようとしていた。

日本チームがネット越しにこれだけのスタッフを抱えているのだから、各国の代表団の数も自ずと増える。EU会議の倍の人数が会議室に入り、それなりの広さがある空間が急に手狭に感じるようになった。制服組が数多くなったので圧迫感が出たからかもしれない。
相も変らず、たったの3人で臨む日本の席は空きだらけで、自衛隊の制服組も居なければ、防衛大臣も連れて来ない。ロボットが1台増えて、2台になった程度だ。

「日本はこの会議も舐めてるな。オブザーバー参加だからとは言え、随分軽んじられたものだ」と加盟国各国は冷ややかな視線を日本側に送って寄越すが、母も里子外相も怯まずに堂々と構えている。自分達には最高のスタッフが構えている絶対的な安心感があった。参加者の人数を増やし、集って協議することに重きを置く歐米スタイルは明らかに無駄で、逆に非難されていると考えないのだろうか? 軍事力が停滞している国ほど、人員数が多く、政治と経済が堅調で、国防の備えができている国ほど、参加者が少ないじゃないですか・・と報じるようにメディアに働きかけようと柳井太朗は考えていた。

日本の両サイド、スペインとギリシャの外交チームに左右を挟まれた配置は、EU会議と同じだった。里子外相が柳井前首相に通訳しながら、隣席となった両国の新たに加わった国防メンバーと握手を交わして挨拶する。

「タロウさん、お父さんが作曲された曲を聞きましたが、あれはいいですね。50年前の音とは思えませんでしたよ」ギリシャ軍の参謀が太朗に話しかけたので3人共驚く。
「50 years ago?」と英語で、ややハモり気味の3人となる。

「あれ?ご存知では無かったのですか、これは失礼しました。ベネズエラ政府のHPに動画が掲載されてますよ。大統領が若かりし頃に作曲されたものだそうです」
慌てて3人がベネズエラのHPにアクセスする。音源よりも、一緒に添付している動画の方を純子と里子が開く、太朗は50年前の音源ファイルを再生した。

モリが作った曲だとはとても思えなかった。ポップス以外の何物でもなかった。ややロック色が残っているが。今年72になる柳井前首相は「あの頃流行った楽曲とはどこか異なり、何処か新鮮な感じがする」と思った。50年前は確かに女性ボーカルのバンドやガールズバンドが数多くあったが、添付されているのが1曲だけなので結論付ける訳にはいかないが。少なくともこの曲は嫌いじゃない・・

「今のギリシャの高官の話ですけど、日曜の晩から、夕食後にスタジオに毎晩篭って、1日2曲録り直したみたいです。8曲のデータを持って、日本かフィリピンでミキシング中だと聞いています」と、チャットメールがベネズエラのタニア外相からALLで送られてくる。

「この2人が同級生って・・このバンド、凄く上手くない?ハモってるパートなんてゾクゾクしちゃう。杏と樹里の姉妹の組み合わせよりいいかも。・・里子さん、お嬢さんたちと比較してゴメンなさい。身近な対象でしか比較できないから・・」
と平壌から櫻田外相がチャットしてくる。

「いや、大丈夫よ、私もそう思ってるから。でも、なんでこの歳まで2人は世に出なかったのかしら?勿体無いよね」アテネの会場に居る里子が返信する。

「3人でプロを目指した時期もあったからって、お二人は言ってましたよ。作曲者であるボスを待ち続けてたんですかねぇ・・」タニアが書き込む。その間に、防衛省のスタッフによる「イイネ」がタニアのコメントに押されてゆく。

柳井純子は動画と50年前の音源ファイルを聞いて「これだ!」と思った。モリの学生時代のエピソードは、このバンド活動とプロ選手の息子達を生んだサッカーに的を絞っていこうと決めた。
本人が表舞台に立ちたくは無いと言うのは本人の勝手なのだが、あなたの代わりに持ち上げられる側の立場にもなってみなさい。あなたの手柄なのに、コッチが賞賛されるのは決して気分の良いものではないし、後ろめたくって仕方がない!と次回は言ってやろうと、前首相は思っていた。 

「あなたみたいに何でもできるスーパーマンは異常な存在。世界を股にかけて数々の実績を上げてきた政治家で、世界有数の企業を何社も起業すると養女達に経営を任せて、今も成功と成長を続けている。世界最高峰の空軍のAIパイロットのエースで、銃を持たせりゃ射撃の名手、おまけに作曲までこなすなんて、こんな化物みたいな男が身近に居たら、女は誰でも抱かれたくなるし、高校生のあなたでさえ欲した私は太朗を身篭った。子沢山になのは確かに非難されるかもしれないけれど、七光りでコネを使う駄馬は一人も居ない。
子供達、孫達はまだ若いなりに十二分に自立して、企業人、サッカー選手として高い評価も名声も得ているじゃないの。あなたが種を撒き散らしたって、皆、結果的に成功してるんだから外野から文句を言われる筋合いは無い」そう、言い切ってやろうと心に誓った。

まずは、この曲が数多くの人に届くように小細工しようと決断する。里子外相の長女、Angle社の杏社長にメールする。「この曲を、何かのCMで使ってくれないかしら?」と。

柳井前首相が気が付くと、各国の代表団が同時通訳用のイヤホンではなく、インナーホンを付けている。「まさか?」とは思ったが、ギリシャと日本チームの会話が聞こえていたのだろうか。ベネズエラ政府のHPにアクセスして、各チームも動画や音楽を視聴しているようだ。

「I Like it ! Thanks, Mori-san !」
イタリアの外相がそう言って立ち上がると、曲のサビのパートを歌い出して、周りの外交団を盛り上げ始めた。陽気なラテン民族、スペインとポルトガルも立ち上がると、気難しいゲルマン民族も皮肉屋のアングロサクソンもヤンヤヤンヤと笑顔で手拍子を始めた。

「あら、この映像をHPに貼り付けて置こうかな?「NATO会議でイタリア外相が突然 歌い出す」って。 ニュースでも取り上げられるかもね。どの局も撮影しているし。正面から撮られているからロボットが疑われるかもしれないけど・・」そうタニアが書き込むと、平壌の櫻田が反応する。

「これは、いい宣伝になるかもしれない。里子外相、後でイタリアにお礼を伝えるのはどうでしょう? どうせ、今回の印税も福祉関係に差し出すんでしょ?」と平壌の櫻田外相が重ねる。

「了解でーす(笑)」と里子が返信した。

このー連の流れを見て、「この曲は勝手に売れるかもしれない・・」と柳井純子は思った。
アメリカとイギリスの代表団は何やら難しい顔をしていたが、会議開催前の緊張した雰囲気をモリの曲がブレーク役を果たした格好になったので、笑みが溢れた。

会議は時間通りに始まった。
形成も、主導権も完全に逆転し、オブザーバーでありながらも日本が絶対優勢の状況に有る。日本連合の立場に擦り寄ろうとする国が多数派を占める中で、NATO加盟国ではない日本がどういった姿勢を打ち出すのか、その挙動に各国もマスコミも注目している。
  
NATOを取り巻く環境も大きく変化している。NATO発足の理由であるロシアが、昨年末に一方的に核撤廃を宣言した。民主国家となったロシアの改革にベネズエラが関与しているのは誰もが認識している。インドとパキスタンが口火を切るように核兵器廃棄を実現したが、その作業を取り仕切ったのも中南米軍だ。ロシアの核兵器廃棄方法も、インドとパキスタンに準じたものとなり、中南米軍が作業を請け負う。南米、ギアナ共和国にあるシャトル打ち上げ施設を増設して、宇宙空間への搬送能力を上げようとしているのも、日本の原発解体作業だけでなく、インドとパキスタンの原発も解体が始まれば、ギアナ、フィリピン、フクシマの打ち上げ施設だけでは早晩足りなくなると判断したのは、各国も知るところだ。

「民主国家に転じ、核廃棄に向けて動き出したとは言え、ロシアの潜在的な脅威は変わっていない。NATOとしては削減せず、国防力の維持と新型兵器の配備でロシア、ベラルーシを牽制する必要がある」英国国防省の担当者が、開会に合わせた第一声で、昨年来の発言を繰り返す。その発言を受けて、米国とフランスも同調の姿勢を見せるのだが、他のNATO加盟国は冷ややかな視線を送る。大半は懐疑的だった。
まず、NATO陣営で核を所有しているのは米英仏の3カ国に限られる。この3カ国が核廃棄に踏み込めない理由が、中南米軍との間で広がり続ける圧倒的なまでの軍事力差だ。中南米軍が所有しないと明言している核を、3カ国が所有することで抑止力とする、その旧来から続く手法に今回も縋っている。

核兵器と原発を廃棄しない限り、日本連合は体外的な協力をしないと明言している。そこにインド・パキスタンは乗り、ロシアは撤廃を宣言し、イスラエル議会も廃止の検討が進んでいる。
核保有国と原発を含めた核を所有しない国との経済格差は益々広がるだろうとの観測が、昨今では正しいと証明されている。

フランスは国境を接する国で、EUにも属しているので国内左派政党が急進し、核廃絶、原発解体の方向へ確実にゆっくりとシフトし始めつつある。フランスの原発は海岸沿いではなく、国内の河川沿い建設されている。冷却水として河川から採水し、放出するのだが、温暖化が進行して夏の欧州が干魃に見舞われ、森林火災や河川の水量減少が恒常化している。夏場は原発が採水出来ずに操業を停止する自体となり、最も電力を必要とする時期に発電しない原発が何基も生ずる。これはアメリカの原発も同様で、原発を建設するなら海岸が好ましいとされているが、景観を損ねるし、これ以上フランスが原発を増やすのは好ましくないと欧州各国からの反発も受けている。核の処分場建設の問題もあるし、フランスは宇宙空間に廃棄物を運び入れる事が出来るのか?と追求だけが続く。先日のEU会議でもフランスは矢面に立っていた。周辺国からの突き上げに悩むフランスが、アメリカ寄りの核所有、原発擁護の姿勢から離脱するのを何とか阻止したい米英は、この会議でNATO軍の拡大に合わせて、核所有、原発推進の姿勢を加盟国に植え付けようと画策していた。
それに対するかの様に、フランスを何とか味方陣営に取り込もうと、北欧、スペイン、ポルトガル、イタリアが働きかけていこうと考えていた。日本連合がどちらに組みしているのかは明らかだろう。

EU会議以上に日本連合が注視されている雰囲気を柳井太朗は感じていた。
席上で各国が繰り広げている議論を、バックヤードに居る自衛隊と中南米軍間で協議しながら、分析チームが該当するデータを次々と出して、ナポリで議論している内容の裏付けを取ってゆく。
タニアと櫻田で最終調整された内容がロボットを介して、柳井太朗の手元に届き、AIと太朗で再チェックした後、外交団の2トップである柳井前首相と杜 里子外相に完成データとして渡される。前首相も外相も自分のタブレットで中南米軍と自衛隊が議論しあっているデータを参照しながら、各国が議論し合っている内容を理解するのだが、アメリカとイギリスの発言内容に、両国の軍の実勢データと異なる箇所が幾つも見付かる。
太朗は「凄すぎる」と驚いていた。各国が発言している傍から、該当する情報やデータが「参考」として、3人の大臣のタブレットに表示される。各国の軍関係者の発言の背景や裏の意味まで、先読みしてゆく。中南米軍が各国の軍事力をここまで把握しているのも、主要各国の軍に潜ませている中南米軍関係者の諜報力が優れているからだろう。     
自軍の兵士にはロボットや無人兵器を当て、その配備で結果的に押し出される兵士や将校を、慢性的な軍人不足で苦慮している各国の軍に応募し、採用されてゆく。
各国から給与を貰い、中南米軍からもボーナスが支給されるので中南米軍元兵士としては収入が増える。中南米軍の人件費支出は今までとは何ら変わらない。
自軍の戦闘要員はロボットでカバーしており、所属の人員数は削減しているが、傭兵派遣的な位置づけなので「人件費」の項目だけを見れば同じ、という話だ。

「NATO全体で見れば、軍事力を落としているのは米英仏3ヶ国なのは明らかです。自分で発言しておいて片腹痛いが、強化すべきは自軍だ。全くお門違いな発言です」とタニア外相がコメントして、北朝鮮の櫻田外相が追随する。

「タニアの言う通り。イギリスらしい言い方よね。自分の事は棚に上げておいて、加盟国の負担を増やそうとばかり考えている。タニア、3カ国の最新の分析データを全員に送ってくれないかしら?英国軍の数値が改竄されているのをシェアしたいから」         

市ヶ谷に居る防衛省スタッフも、中南米軍の持つ情報量の多さに驚いている。的確なデータが揃っているので、会議全体を支配しているかのような錯覚さえ感ずる。
議論している傍から、英軍、仏軍、米軍の軍事力の最新の分析結果が中南米軍から提示される。早速、中南米軍からデータが提示され、英軍の数値が違う、追求すべきだろうと柳井首相特使と里子外相が意見を交わす。しかし、オブザーバーである日本がフロントに立つのはマズイ、当然こういう時のために代行可能な友好国を幾つか作っている・・。

NATO軍に於ける米軍の位置づけが極端に低下し、各国が米国の減少分を少しでも補おうと国防予算を増額しているのだが、全てが予算を上げられるはずもなく、全体の国防力自体は昨年以上に低下しているのが顕著となっていた。民主化したロシアが核兵器開発を一方的に停止した分のコストを国防予算に振り分けたので、核兵器を除く国防力が増強しているのとは対照的だった。
NATO加盟国も、ロシアの国防力を分析しているのだが、その数値があまりにもバラバラなので、諜報能力のレベルも相対的に低下しているのが、新たに分かった。
特に英軍と仏軍が顕著だった。ドイツ、イタリア、スペインの3国から英仏の分析の甘さを指摘される場面が、昨年よりも2割近く増えているとAIが集計していた。友軍同士だからというのもあるが、ベースの情報を持っている櫻田とタニアが、北欧、スペイン、イタリア、ギリシャに配備している中南米軍駐留部隊と、EU周辺圏の中南米軍の配備内容の変更案を纏めだしてゆく。

柳井太朗は中南米軍、自衛隊の優位性が更に増し、諜報能力が抜きん出ている現状を、非常に力強いものとして実感し、父と父を支える政治家と組織に感謝していた。

偶然とはいえ、会議開催の直前で作曲家としての一面を各国に、示せたのもマイナスではない。日本連合の親玉は、才能豊かな人物だと知らしめる事が出来た。各国は大統領と首相を伴って出席している。誰もが、多少なりともこの場に居ない父の姿を僅かなりに思う事だろう。

太朗は、前首相と外相に最後の進言を行う。
「このデータをスペインとイタリアに提示しましょう。スペインから、イギリスに質問して貰うのです。・・今、北海を守っているのは何処の国でしょう?まさか、ご自分の海軍だと仰れる状況でしょうか?
我々大西洋艦隊と北欧3カ国、そしてアイルランド、スコットランドの保護者である、中南米軍ではないですか、ってね」そう書き込むと、前席に座っている母と里子が振り返る。 
「Sに先行して送って。Sが発言に応じてから、Iと北海沿岸国に送りなさい」と母が口にする。日本語はこういう場では非常に便利だ。

「了解」太朗はまずスペインにメールを送った。

ーーー
                        家から集団登校して市立小学校に通い始めると、何より困ったのは持っている服の少なさだった。新聞配達を始めたのは4年生からなので、さほど汗は欠かないので困らないが、学校から帰ると来ていたシャツや下着、靴下を手洗いして、2層式の脱水機にかけて干した。
冬場以外で雨が降っていなければ、生地の薄いものは乾いてしまう。ローテーション出来る程の衣服を持っていないので、子供なりに考えた策だった。時折生乾きの場合もあったが、着てしまえば乾いてしまう。とにかく清潔さだけは維持しようと子供ながらに決意した。
同級生達や年上の子供達の服装が、明らかに自分と異なると数日で悟ったからだ。
住んでいたエリアがたまたま所得の高い家庭が多く、モリ家も昭和初期に建てられた邸宅で、屋敷の大きさだけはあったものの、祖父と祖母に続く父親の他界で収入の道が途絶えた。 専業主婦だった母の勤め先は直ぐに見つかってもパート程度の仕事しかなく、家計は厳しかった。母親が下着類をこまめに洗って、夜も外干しするのを見て、真似たのだろう。

とは言え、男子と女子では服のレパートリーが絶対的に異なる。裕福な層であっても男子は服装に無頓着でも、女の子はそうは行かない。リボンや髪留めといった小物類で日々変化を付けているので驚いたのを覚えている。恐らく、男子ではなく、女子の視線を警戒しての子供なりの対策だったのだろう。
保育園時の女子と小学生女子の違いを感じたのは、積極的に何でも卒なくこなす、女子の対応能力だった。
授業への取り組み方、姿勢というのが完成されている生徒が多かった。今思えば、学校生活の心得的なものを親から伝授されていたのだろう。モリが初めて教室で開いた真新しい教科書が、隣席の女子達は既に使い込まれたような感があり、余白には書き込みさえあった。「予習復習」という概念を目撃したのはアレが初めてだった。

使い古された木製の長机真ん中には、歴代の子どもたちがテリトリー分けする際に引かれた線がある。大抵、黒い油性ペンで書かれているので消すことが出来ずにそのまま後輩達も活用する。あの中心ラインの向こうは不可侵領域なのだと理解して、国境線から20センチ近くは非武装地帯として、消しゴム一つ、消しカスの欠片も置かなかった。椅子も極力端にして、お隣さんに失礼に当たらないように心掛けていた。昭和40年代生まれのガキは皆、奥手だった。         

既婚者として後年姓が変わる白川優希は、物静かな女の子だった。モリの非武装無関心路線を尊重してくれていたようだ。朝だけが違った。小学校の近所に住む優希は先にクラスに到着して、大人しく本を読んでいるのを習慣としていた。モリが何も言わず着席しようとすると、「おはよう」と必ずとびっきりの笑顔で声を掛けてくる。最初は気恥ずかしさとぎこちなさが混じったように返していたが、毎朝顔を直視できるのがこのタイミングしかないと理解して、着席前にモリから声を掛けるように変えた。僅か数ヶ月間のお隣同士だったが、モリが女子を意識したきっかけは優希のこの笑顔であり、学校生活への高度なまでの順応性だった。何度か席替えして隣席の女子は変わったが、優希の姿勢に適う女の子は現れなかった。
席が離れて、接点が無くなったがやがて転機が訪れる。グループ活動なるものが授業の一環で取り入れられる。夏休みが明けて2学期になると音楽の授業用に生徒にハーモニカがそれぞれ支給された。モリが初めて手にした楽器だった。実は今でも苦手にしているのだが、子供の頃は吸ったり吹き込んだりするのが、モリには難しかったようだ。3年生になるとリコーダーになるのでホッとしたが、中学でソプラノからアルトリコーダーに変わるが、コイツも苦手なままだ。   
ハーモニカが好きでは無かったのか、学校から帰っても演奏しようとしなかった。ランドセルか学校のロッカーに入れっぱなしだった。練習などしないのだから、個人差が直ぐに現れる。学校は狡猾な組織だと初めて実感する事態に遭遇する。テクニックの個人差を穴埋めする為に、クラスをグループ分けして、放課後にハーモニカを練習し合うように画策する。「課題曲を出してグループ別に発表して貰います」と鬼畜生が喜々として言うので、モリ少年は頭を抱える。
音楽の授業では的外れの音を出すのが恥ずかしくて、ハーモニカにただ口を当てていただけだった。発表するとなれば、前提が大きく変わってくる。

グループ分けを1年生に出来るはずもない。先生が自宅の近いもの同士で割り振った。誰かの家に集まって、練習してもいいらしい。日中は母親が居ないのでウチならいいかもしれないとモリ少年は初めは思った。ヘタクソはその位はしなくちゃいけないぞと短絡的に考えた。
後日、他所の家に出掛けて、オヤツなるものを出されて困惑するのだが・・  
その同じグループに優希が居た。「杜くん、よろしくね」あの笑顔に再び巡り合えた・・。

時代は50年後のカラカス。優希と理美の演奏力は凄みを増していた。楽器メーカーで毎日楽器に触れ、理美に至ってはオーケストラに所属して居たので、練習も欠かさなかったので当然ともいえる。    
50年前の曲も指が覚えているのだろう。楽譜を見ることもなく、進化した演奏力と小憎らしいまでのテクニックとアドリブを随所に盛り込んでくる。モリが演奏するベースだけが、50年前と何ら変化していなかった。しかも自分が作った曲なのにすっかり忘れており、楽譜を見直す始末だった。

AIロボットがドラムを叩き、AIがオーケストラ演奏を行うので、再録した音源は圧倒的な完成度となる。プロと言っても過言ではない奏者が3/4を占めるのだから、当前だ。50年前のデモテープと聴き比べると、圧倒的なまでの差が有った。
「薯(IMO)」のメンバーであるママさん、娘達も感嘆の声を上げて、拍手する。ピアノと弦楽器のスペシャリストとしての格を見せつけられれば、そうなるのも当然だった。

高校の時に組んでいたバンドのメンバーが、キーボードとギターの演奏できる同級生を連れてきたのが、優希と理美だった。メンバーからすれば別の目的があったのだろうが、紅二点が加わったバンドは路線が変わってゆく。ボーカルもギターを担当していた奴から、2人に変わった。女性ボーカルの英米のロックバンドのコピーが主体となってゆく。     
多勢に無勢で仕方がなく変更に応じるも、2人のハーモニーをスタジオで初めて聴いて、震えた。優希の鍵盤テクは段違いになっていたし、理美の方がメインギターをやった方がいいと高校生のモリは思った。理美が「ベースは弾いたことが無い」というので物凄く安心した。

時折演奏していたという2人の呼吸は見事だった。優希も理美も、楽しみながら笑顔で歌っている。モリは2人の演奏と歌声の虜になった。全く聞かなかったスターシップやハート、ベリンダ・カーライル等のレコードを2人から借りて、テープに録音した。貸レコードでも借りようとはしなかったが。
2人の影響で日本のガールズバンドも何故か聞くようになってゆく。当時は老いも若きもバンド全盛期だったからかもしれない。歌唱力のある女性ボーカリストが世界中で排出されていた。それでもモリが普段聞くのはインストゥルメンタルか男性ボーカリストが主体の70年代のロックだったが、優希と理美の歌声と演奏が聞きたいが為に、スタジオに通い続けた。その2人の声をイメージしていると、やがてフレーズが浮かんでくるようになり残そうと考えるようになった。高校生のモリは楽譜が読めず、ギターもベースもタブ譜だったので、ラジカセの前で浮かんだフレーズをギターと鼻歌で演奏して、カセットテープに録音するようになる。何時の日か、楽譜が理解出来るようになったら、書き留めようと考えていた。  
大学生になると、いつの間にか集まるのが3人だけとなった。思い立ったモリは思いきって、そのテープを優希と理美に渡した。笑われたらバンドを辞めようと思っていた。演奏技術のレベル差ははっきりしていた。これ以上の負担を2人に負わせてはいけないと理解していた。

2人は楽譜するとアレンジを加えて、曲に命を吹き込んでゆく。「これ、すっごくイイよ!」2人に言われた時「これはお世辞だ、真に受けてはいけない」と思ったその曲が、50年の時を経て目の前に現れた・・。

或る日モリの家にやって来た小学1年生の優希は、昔、モリの母が使っていたピアノを見て「弾いてもいい?」と言って、突然、ハーモニカの課題曲を演奏し始めた。「こんな曲だったっけ?」と思いながらも、ハーモニカが演ずる曲よりも、崇高で気高く感じるような曲調となっていた。皆からアンコールを求められた優希は、覚えている曲を演奏し始める。その1曲が当時ヒットしていた太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」だった。当時、街の商店街でも流れていたし、母親が口ずさんでいる曲なので、モリ少年も耳にしていていた。そして、次はおそらく英語の曲を優希が歌い始めたので、聞いていた子供達は誰もが驚いた。随分後になってから知る、ビートルズの「Yesterday」とカーペンターズの「Yesterday once more」を優希はしっとりと歌い上げる。鍵盤を優しく撫でながら・・

「優希ちゃん、すごぉい〜」と女子が拍手して、少年モリも盛大に手を叩いた。小学1年生が英語で歌っている事自体がもの凄かったし、ウチのピアノが音を出したのも実に感動的だった。鳴ってるのを初めて見たからだ。

「うちのピアノより、いい音が出る。凄いね、このピアノ。杜くん、有難うございました、とっても楽しかったですって、お母さんに伝えといてくれるかな?」
7歳児に高揚した蒸気顔で言われて、慌てて頷いたのをつい最近になって思い出した。
この歳になって2人が体を重ねるようになり、優希のあえぐ顔を何度も見たから・・なのかもしれないが。

彼女は今、スタジオでヘッドホンを付けて、目を閉じて曲に聞き入っている。理美が席を外しているので、後ろからそっと抱きしめる・・

「何? どうしたの?・・」あの笑顔と声がすぐ目の前にある。7歳の頃から変わらないなと思いながら頬に口づけする。入学式の日、この子が隣の席だった奇跡に感謝する。優希というお手本が居たから、英語も頑張ろうと思ったし、予習復習の習慣も身に付いたのだから・・

「あの日さ、東京までわざわざ会いに来てくれてありがとう、ね・・」

「うーん、ちょっと。君ね、ビール臭いよ。なんか半減しちゃうなぁ・・あのね、私だって杜くんに感謝感激中なんだよ・・随分遠回りしちゃったけどさ、この子達をようやく、こうして世に出せるんだもの・・。

理美はね、あなたに抱かれるのが嬉しいって言ってる・・あ、ココだけの話にしといてね、あの子に怒られちゃうから」

「なんか傷ついたな・・音楽の方がいいんだね、君は」

「もうちょっとだけ待って。この3小節目のピアノアレンジ、どっちにするか決めちゃうから。 
終わったら、ええっと そのう・・いっぱい抱いてね!」

あの時の小学生がこんなセリフを吐くようになったか・・と思うと、非常に感慨深いものがある。モリはシャツの襟から右手を侵入させ、優希の小振りの胸を揉みながらニヤリと笑みを返すと、優希が頬を膨らませる。自分でも乳首が固くなっているのが分かったのだろう。人が知れば、いい年の年配者が何をやってるのかと問われそうだが、少なくともモリは50年前のハタチ前のつもりでいた。これは果たせなかった、3人の夢の再現なのだ、と。  
  
(つづく)

When I was young I'd listen to the radio
Waitin' for my favorite songs
When they played I'd sing along, it made me smile
Those were such happy times and not so long ago
How I wondered where they'd gone
But they're back again just like a long lost friend
All the songs I loved so well

Every sha-la-la-la
Every wo-o-wo-o, still shines
Every shing-a-ling-a-ling, that they're startin' to sing's, so fine

When they get to the part
Where he's breakin' her heart
It can really make me cry, just like before
It's yesterday once more
Lookin' back on how it was in years gone by
And the good times that I had
Makes today seem rather sad, so much has changed.
It was songs of love that I would sing to then
And I'd memorize each word
Those old melodies still sound so good to me
As they melt the years away

Every sha-la-la-la
Every wo-o-wo-o, still shines
Every shing-a-ling-a-ling, that they're startin' to sing's so fine

All my best memories come back clearly to me
Some can even make me cry, just like before
It's yesterday once more

Every sha-la-la-la
Every wo-o-wo-o, still shines
Every shing-a-ling-a-ling, that they're startin' to sing's so fine
Every sha-la-la-la
Every wo-o-wo-o, still shines
Every shing-a-ling-a-ling

(c)Carpenters ”Yesterday once mote” 

Never forget


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