父と某学習塾
鈴木がその学習塾を知ったのは、小学6年の時である。
理由は忘れたが、そこの塾の夏期講習に行ってみたいとせがんだ。
夏休みの2週間ほど、自転車で15分くらいかけて毎日通った。
授業自体は、面白かった記憶がある。
なので、この塾は父が務める前から知っていたのである。
父は再就職の時「教育関連は嫌だ」と言っていた。
公文式での経験を引きずっていたのだろうか。
教育関連の会社は、所謂学歴至上主義なところがあるそうだ。
花形部署としては、公文の教材を作っている場所だった。
大体は、東大京大を出ているような人が牛耳っていたらしい。
教育関連が嫌だとはいえ、父には選択肢はなかった。
鈴木家は3か月分の生活費を父方の祖父母から援助されているとはいえ、経済的危機的状況には変わりなかったのだ。
背に腹は変えられなかった父は、2つの学習塾を経営している会社から内定をもらう事になる。
一つは学習塾の全国FC展開をしているK社。
もう一つは、埼玉県内を中心に某学習塾を展開しているE社だった。
この二つに父は受かったが、父はE社を選んだ。
その理由としては、社長が父と同じ早稲田大学の卒業生という事もあり、父を気に入ったこと。
社長が生活費のつなぎを出してくれたこと。
埼玉県内だけで、大きい転勤はないと見込んだこと等があった。
鈴木自身も、当時中学生だったので、周りの人に言えるような会社に勤めてくれたというような、少し誇らしいような気持ちになった。
また、E社に勤めてから、鈴木家は経済的に安定するようになった。
中学では、塾の授業料が無料だった(テキスト代は必要)。
母もキャリアアップをしながら働いていたので、ある程度の余裕はあったように見える。
家族旅行も、中学・高校・大学では年1回くらいで行けている記憶がある。
その他にも、大学時代には家を買うという計画もあったのだが、父が通信販売の会社で背負った借金の返済が遅れたことで、ブラックリストにのり、ローンを組めないような状態だったので、その計画は頓挫したのだった。
当初の父は、その学習塾の教室長をしていたのだが、後に社長の下で学習塾以外の新規開発事業を行うことになる。
最初は、補習塾の経営だった。
E社の学習塾というのは所謂進学塾であり、高校受験のための塾であった。
補習塾というのは、学校の授業についていけないような子が通う塾になる。
学習塾を数年やった後は、保育園の経営、その後は飲食店(居酒屋)の経営をしていた。
飲食店経営は、鈴木が大学1年頃の話だったと思う。
最初は大宮の南銀座(所謂、歓楽街)に居酒屋を出した。
少し高めの居酒屋だった。鈴木も食べたことがあるが、味は普通の印象。
そこが駄目になると、自由が丘にイタリアンの店を出した。
イタリアンの店は2週間ほどバイトに入ったが、客は入らず、これは駄目だと思った。
賄い飯は美味だったのだが。その賄い飯を作っていたコックが、後に未成年のバイトにワインを飲ませて問題になり解雇となった。
そのコックを雇ったのは父なので、「人を見る目が無い」と思った。
こんな感じで、色々と新規事業をやっていたのだがどれも上手くいかなかった。
父の能力によるモノなのか、商売のネタが悪いのかはわからない。
自由が丘が駄目になって、次に社長が出した新規事業のアイデアが「風俗店」の経営だった。
次回テーマ「父と風俗店経営」
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