義務教育終了後の足跡④: 大学生活

高校での不登校を経て、紆余曲折あり大学に合格したことまではnoteに書きました。

将来のことを考えたときに高校で勉強を頑張ることの意味、大学に入学する意味が分からなくなって高校に行くのをしばらくやめていましたが、結局深く考えるのをやめてとりあえず大学に行こう。その先はその後考えようというマインドになっていました。

深く考えることやめた自分にとって大学はただ自由な楽しいだけの場所でした。入学して最初こそは、初めての一人暮らしに戸惑い、自分で講義を選択し、単位の計算をすることの不安などがありましたが、だんだん慣れてくると何をするにも自由な生活をひたすらに謳歌していました。

とりあえず受けるべき講義を受け、課題をこなし、試験やレポートを上手いこと通過すれば単位がもらえて進級ができる。それさえクリアできればいずれ卒業できるというシンプルな仕組みで、なんと楽なんだろうと驚いたほどでした。ただ、このときの私には重要な視点がなくなっていました。大学でこそ、今受けている講義の「意味」を深く考える必要があったのではないかと思います。なぜなら、大学の講義はその分野に精通した専門家(教授)が教鞭をとってくれるという今考えると非常に贅沢なもので、その専門的かつ実践的な内容は就職など社会に出た際に大いに役立つものばかりであったはずだったからです。それなのに私は、単位を取ることにしか目が向いておらず、試験に合格すればその都度内容を忘れ、終いには、講義もちゃんと聞かず試験前に過去問や友人を頼るという何ともだらしのない大学生になっていました。日本学生支援機構の奨学金を1種と2種両方借りてまで授業料を払っているにも関わらず...

しかし、その当時はその愚かさにも気づかず、講義はそこそこ頑張って、バイトや部活動、友人との遊びに夢中になっていました。「愚か」と書きましたが、当時の自分を振り返って「愚かだったなー」と本当に思っているかというと実質50%くらいです。まあ、楽しかったので良かったのではないかと。ただ、講義をしっかり受けて内容を身に付けていればどれだけよかっただろうとは、心の底から思っています。この何とも矛盾する感情はきっと今の大学生も感じているのではないかと思っていて、今後もし大学で私が教鞭をとり、学生に指導する立場になったとき解決しなければならない課題なのではないかと思っています。これは、大学生の意識の問題というよりは職業訓練校と化してしまった大学ならびに日本の教育の構造の問題かもしれませんが、まあ難しい話はここでは無しでいきます。

大学の講義はそこそこに、バイトや部活動・サークル活動、友人との遊びといったプライベートは大変充実していた大学生活はあっという間に月日が経っていきます。ここまでのnoteを読んでくださっている方は、「ミュージシャンとか音楽関係の仕事とかの話はどこ行った」と思うかもしれません。実は大学では軽音楽部に所属しており、ちょっとではありますが音楽活動はしていました。例えば、メンバーを集めてとあるラジオ番組主催の10代限定音楽フェスのオーディションに応募してみたり、別のバンドを組んでライブハウスで定期的にオリジナル曲を披露したり。でもやっぱりセンスを感じないんですよね、自分に。音楽が好きだからこそ余計わかってしまうというか...楽しかったですけどね。

福岡にいけばあわよくばミュージシャンに、という理由で福岡の大学を選んだ私でしたが、これらの音楽活動を通してミュージシャンの道は完全に諦めます。そうこうしているうちに、大学3年後期の研究室配属の時期に。音楽関係の仕事につければと何となく思っていた私は、信号処理を専門とした研究室に行こうと考えます。なんか、音も信号だしこの辺の知識があれば使えるだろうという相変わらずふわっとした理由で。ただ、その研究室は人気で優秀な人が集まるところでした。希望者が集中した場合、成績(GPA)順で決まっていきます。それに溢れた場合は、第2希望以下の空いている研究室に割り当てられていくので、まったく見当違いな研究室に配属される可能性もあります。上述のようにだらしのない大学生だった私のGPAはとても優秀な人たちと戦えるほどのものではありませんでした。なので人気研究室を避けて、他の学生の希望研究室やGPAを探りながらよさげな研究室を選びます。完全に心理戦でした。そして入った研究室は光物理や光情報工学を専門とする研究室でした。決め手は仲の良い先輩がいたこと。音楽関係の仕事とか信号処理とかそれらしい理由はどこに行ったのでしょう。でもこんなもんです。私は。理由はきっと後からついてくるはずです。

そして、4年生になるといよいよ就職活動が本格化してきます。就職する気満々だった私は、とりあえず合同説明会に行きます。そうするとたくさんの企業が学生に来てもらおうと必死に声掛けをしているではありませんか。え、もしかして売りて市場なのか?就活先簡単に決まる?なんて甘い考えがよぎりそうな空間でした。まあでも先輩たちの就職活動の話を聞いていたのでそんなに甘くないだろうと。こんなにニコニコしている人事の人もニコニコしながら学生を落としていくのかと思うと何とも言えない感情になり、1、2社の説明を聞いたらそそくさと帰ってきてしまいました。

就職することに対して若干の躊躇が生まれたころ、同じ研究室の先輩に「修士卒の方が給料がいい」という魅力的なお言葉をいただきました。就職に対して迷いが出てきていた私にとって、修士課程に進学する理由としては十分でした。学生のモラトリアムも楽しみたかったですしね。そこで私は先輩の言葉に喜んで流され、修士課程に進学することにしました。学費はまた奨学金を借りれば何とかなるだろうと思っていました。借金なんですけどね。お金のこともそうですが、ここでも重要な視点が私には抜けていました。大学院の修士課程はそもそも研究をする場所であるはずなのに、「研究」というワードが私の進学理由になかったのです。あったのは、まだ学生でいられるというのと修士卒は給料がいいという理由だけ。呆れた理由ですが、この呆れた理由で進学したから今の私がいるというのが人生の面白いところですね。

今日は結構長い文章になってしまいました。大学院に進学してから今の私の生活や人格を形成する重要なイベントが次々と発生しますが、それはまた今度。

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