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呪いでも重荷でもない「愛してるよ」〜アイナ・ジ・エンドさんの「粧し込んだ日にかぎって」の歌詞の深読み話〜

「愛してるよ」の純度の高い曲に出会えました。アイナ・ジ・エンドさんの「粧し込んだ日にかぎって」です。

「粧し込んだ日にかぎって」。

もしも「愛」が目に見えるものなら、歌われている「愛してるよ」はふわふわと漂っているような「愛」です。
もしも「愛」が手に取れるものなら、歌われている「愛してるよ」はぽんっと机に置かれるような「愛」です。

飾り付けられた「愛してるよ」でもなければ、誰かに受け取ってもらえることを期待しているような「愛してるよ」でもないように感じます。

「愛」は受け取られること、返されることを期待した瞬間に「呪い」に変わってしまいます。「愛してるよ」と告げられたひとが愛以外の何かを感じたとき、愛は形を変えてしまいます。場面によっては「恐れ」であったり「重荷」であったり。

「愛してるよ」が発信者と受信者によって変わってしまったとき、誤解が暴走して最悪のケースになることさえあります。「愛は暴力」が成立してしまいます。

その中でもアイナ・ジ・エンドさんの「粧し込んだ日にかぎって」で歌われる「愛してるよ」は、「愛」以外のものは何も混ざっていないように思います。「愛してるよ(あなたが受け取らなくても)」、「愛してるよ(あなたに届かなくても)」と歌詞として歌われない言葉が聞こえてくるかのようです。

受け取られることも届くことも期待しない「愛してるよ」。そんなものが存在するのかはわかりません。そこまで純度の高い「愛」を表現できるほど、ひとはまっすぐひとを思えないかもしれません。

それでも「粧し込んだ日にかぎって」で表現される「愛」は、不純物が混ざっていません。「愛の純度」が高いです。だから、受け取ったひとは、届いたひとは何の期待も主にも感じることなく、その「愛」の形を確かめ、おそらく返したくなるでしょう。

愛の大きさや愛の特別さを競い合う「愛の戦い」とも言える音楽シーンの中で、アイナ・ジ・エンドさんの「粧し込んだ日にかぎって」はひたすら純度が高いです。
「愛」は言葉になりづらいですが、「純度の高い愛」は確かにあるのかもしれません。

素敵な曲をありがとうございました。




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