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私の思ったこと

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1日の中で、感じたこと、思ったこと、考えたことを毎日更新しています
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2019年11月の記事一覧

忘れてしまう人に宿る品

いつも通る道に、痴呆の症状が見られるとご家族が話していたおばあちゃんが立っていて、お宅は商店街の入口(出口)のところに位置し、履物店をかつて営んでいたその家の片隅に、おばあちゃんは毎日のように立っている。

そのおばあちゃんの状態を知ってか知らずか、道行く人はどこかあっさりした表情で通り過ぎていく。

どうせ忘れてしまうのだから、お話ししたり、ご挨拶してもね〜という心持ちが透けて見えるし、おばあち

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心の拠り所

心の拠り所

好きそうなのに、観てないの?
と会った人に立て続けに言われたため、映画「ジョーカー」を観てきた。

この映画はアメリカンコミックのバッドマンの悪役ジョーカーがどのようにして誕生したのかを描いた映画で、主演ホアキン・フェニックスのアーサーという市民が、ジョーカーに変わっていく狂気の演技が話題となっていた。

観てみての感想は、もちろんホアキン・フェニックスの演技がすごいということは間違いなかった。

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お腹いっぱい食べれるということ

お腹いっぱい食べれるということ

満腹中枢なることばを時々聞くが、それには僕は懐疑的だ。

満腹中枢の役割はおそらくまだ食べ物があるのだけど、これ以上食べると身体に負担なので、身体自体がストップをかける反応のことなのだと思うけど、「まだ食べ物があるのだけど」という状態自体が人類の長きに渡る夢だった。

しかももっと言えば満腹という状態を知らずに、あるいは生きていてそう何度も何度も訪れる状態であったとは考えにくい。

そんな貴重な、

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存在しているということ

存在しているということ

秋ってこんなに雨降るんだっけ?と言わんばかりに今年は雨の日が続いているように思う。

そんななか今日のトップ画は雨露に濡れた目黒川の枝葉を使ってみた。

雨にさらされたことで、色合いが、質感が、より鮮明に、確かに伝わってくることがわかる。

枝葉の存在が雨露によって、雨が降っているということが枝葉によってそれぞれ証明されている。

何かがそこにあると言われるとき。
それはそこで存在同士がぶつかるこ

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有限なる時間

僕は引っ越ししました。

しかし職場が今のところ、以前住んでいた地域の駅で変わらないので、今はそこに通う形でおよそ一時間ほどかかり、朝起きるのが一時間半早くなった関係で、眠るのもそれに合わせると考えると、夜に出かけることはやや難しくなり、回数は確実に減った。

しかしそこは不思議なもので、今までより自由に使える時間が減ったことで、まるで命の終わりを意識すると所作やことばが一つ一つ大切に思えて美しく

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SNSをやっていて気付いたこと

SNSをやっていて気付いたこと

僕はSNSをやり始めたのが、遅い。

なぜなら人と会っていない時間まで人に伝えたいこともないし、人が会っていない時に何をしているかにも、それほど興味がなかったからだ。

しかしやり始めると、個人が公に対して発信できることにもよい点があると感じた。

それは誰かを悲しませたり、苦しめたりしたを先にして得られた場所や関係は必ず公になるということ。

ツラい人はツラいと、悲しい人は悲しいと、公に伝えられ

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子どもとの接点

子どもとの接点

少子高齢化だとか、家族の形が変わってきているとか言われたり、あるいは家族自体の姿そのものが貴重だったり、そもそもいつでも誰とでも繋がれると思われているので、誰かと暮らすことがめずらしいのかもしれない。

あるいはシェアリングエコノミーの隆盛で、価値観を共にする者、何かの旗印に集う者たちで共に暮らす。
ということへの抵抗感は年々薄れてきている。

と書いたけど、僕はどれがいいぞとかはいう気はなくて、

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人は影響し合う

生きているとどうしても気分や体調の波というのはある。

じぶんにもその波があるのだから、もちろん他人にもその波はあるのだろう。
とわかっているつもりではあるのだが、やっぱり素っ気なくされたり、無視されたりしたら、気分がいいものではないと思う。

だからといってじぶんにできることはあるのか?

と考えていたところ、先日僕はある体験をした。

じぶんが気分の波でどうもいつもよりツンツンしてしまう日があ

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ぽっかり空いたすきま

『Dr.パルナサスの鏡』という映画には、映画製作の段階での象徴的なエピソードがある。

主人公を演じたヒースレジャーが撮影途中に急逝してしまい、映画の撮影は頓挫してしまう。

この映画の構成は、「現実」と、鏡の世界の「想像」という構成になっており、「現実」の撮影を終えたあとの急逝だったので、「想像」の撮影がまるまる残っていた。

監督の狙いとしては、鏡を通った先の「想像」の世界では主人公の人として

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最高の1日

最高の1日

暑いのも寒いのもどちらも過ぎるのは嫌で、春はいい気候なのだけど花粉症が。
って考えるとやっぱり一番心地いい季節は秋かなぁ。

なんて答えられたことや、答えたことはないだろうか?

皆さん、その秋はちょうど今ですよ。

そして僕たちが何の不満もなく、今日の気候は最高やなっ、気持ちいいなぁと思う日って実質1年を通してみると、何日くらいあるのだろうと思ってしまう。

寒いのが苦手な人はこれから来る冬はと

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残された者の記憶

残された者の記憶

僕の好きな人には、出かけたがらない人やいつもと同じ環境を望む人もまぁまぁいるものの、時々その人たちを外や違う環境に行こうとひっぱりだすことがある。

僕は記憶こそが人であり、豊かな記憶とは今目の前にある環境と過去の記憶が紐付いて、その感情が混ざりあい、折り重なって、今の景色や時間を味わえていることだと思っている。

つまりその人が、見たもの、聴いたもの、嗅いだもの、触れたもの、食べたもの、肌で感じ

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誰かの違和感がはじまり

誰かの違和感がはじまり

おばあさんは川へ洗濯へ。
というくだりがしめすように、蛇口をひねれば水が出るという世界は決して当たり前ではない。

川にいちいち水を汲みに行きたくない。

むしろ水が家に来てくれて、水が欲しいときに欲しいだけ出たらいいのに。

というある種のわがまま、夢想から現在の水道は始まっている。

冷房や暖房も、車や飛行機も、布団や枕だって、始めからこの世界にあったわけではない。

かつての誰かのこうしたい

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ほんとうの最初は誰にも何も頼まれない

あの人みたいにスキルがあって、才能とセンスも兼ね備えていたら大活躍できるのに。

そして引く手あまたなあの人はそれでさらに場数を踏んで、スキルもセンスも上がっていくのだわ。

でもそうなると、最初の最初に頼まれるときのスキルやらセンスやらというのはなんなのだろう?

ということになって、それが最初の最初はまずハッタリをかますコトなんだというのが、堀江貴文さんの著者「ハッタリの流儀」というのは、つま

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妖精がいなくなるとき

妖精がいなくなるとき

妖精は妖精の存在を信じる者がいなくなると、この世界から消えてなくなってしまう。

妖精なんかいないと言っているうちはまだよくて、いないとは言うけど存在はことばになっている以上、この段階ではまだ妖精はいる。

そんなことすらことばにも話しにも出なくなったそのときに、みんなが忘れ去り、感じ取れなくなったその瞬間に、ほんとうに妖精は消えてしまう。

この妖精というのは、おそらく比喩で、目に見えない、定量

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