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猫、愛のまにまに

物心ついた頃から、ペットがいる暮らしをしていた。猫はとにかく無条件で好きだ。いや、好きとかじゃない。いつも、そこにいるんだもの。相棒じゃない、空気だ。空気にしちゃ、ソファを駄目にするしちょっと臭いけど。

母性とは違う、慈しみ、喜怒哀楽の並びで慈だろうか。日々の暮らしを豊かにしてくれる、私を肯定もしないが、否定もしない。餌が欲しい時にスリスリしてくる、可愛いやつだな。と、どれ餌をくれてやる♡と、まさにウィン・ウィンの関係。

ごめんなさーい、今プライベートなんで!って顔しながらうんこもするし、猛獣のようにグウェグウェッと毛玉を吐く。ケツの穴丸見えでフニフニ歩く姿、なんて無防備!!かと思えば、少しの物音にも飛び上がる、あの緩急自在なこと。十猫十色だけど、基本的にツンツンしている。

今いる猫らは、かれこれ17年くらいになるだろうか。親猫がその前の出産で産んだ仔猫が、おそらく未熟で、死んでしまったことがあったので心配だったのと、うまい具合にクローゼットにしまっていた3万円のインポートのカゴバッグの中で産気づいたため、産婆さんをした。いや、うまい具合ではないな。。忘れもしない、5月1日、夜12時くらいから朝6時にかけての長丁場。

たまげた!最初に出てきたのは、私の掌からはみ出すほどのぼた餅みたいなやつ。いきなりの規格外に、母猫はぐったりしてしまった。真矢みきに負けない「諦めないで!」を連発し、まず膜を破る手伝いだ、ムツゴロウ王国をよく見ていたから段取りは任せろ、辛いだろう!さっさと産んでしまえ!母猫はぼた餅を一生懸命に舐めている。まだ腹の中に居るだろう?諦めないで!何故か私も、息も絶え絶え陣痛を待つ。

最初にでっかいのを産んだ後だからか、しばらくすると、あとの4匹は数十分おきにポンポン産んだ。命の煌めきに、終始興奮、ハイテンションの私、もう私に任せぐったりの母猫。それでも頑張って濡れた仔猫を舐め、エイリアンみたいなやつが、ふわふわの毛玉にかわっていく。全部がちっちゃい。素敵な日々のスタートだ。


当たり前が当たり前でないと分かったのは、一人暮らしをした時だ。

ん?猫?!  

幻聴です。「嗚呼〜猫がいたならなぁ〜。」と独り言を言い出す始末。陽の当たるところで陽の光を浴びる姿、曲線、セクシー。どこからともなく漂う匂いを嗅ぐ仕草、うっとりとしていて、まるでゴースト/ニューヨークの幻のデミ・ムーア。日本でこれが似合うのは深津絵里だと思う。ジェシーおいたんとミシェルみたいに、鼻をスリスリしたい。フワフワの頬の毛を、両手ですくうようにして鼻をスリスリスリスリしたい。ヤンメンロッ!って猫が嫌がって手をすり抜けるまでしたいのだ。そんな妄想を、平日の閑散とした百貨店でお畳みしながら、それはもう腑抜けのように…。秋にベロアやモヘアが入荷すれば、暇さえありゃずっと触っていた。猫中毒?そうです。幻想でも猫が見えるのなら猫中毒だって思われてもウェルカムだ。

再び、猫と暮らす日を迎えた時は、それだけで情緒が安定した。


猫に対して、強い思いが芽生えたのが私が7歳頃。捨て猫を連れて帰ると、ラッキーなことに飼うことがゆるされた。ただし条件は外で飼うことと、私が面倒を見ること。車が怖いから、外は嫌だと言ったけどどうしても駄目だった。

この子は自分がいないと死んでしまう。という思いで責任感があった。ミミという名前をつけ、とても大事にしていたし、学校に行くモチベーションにもなっていた。「絶対に、お庭から出ちゃダメよ。」と、至る所に餌を置いて結界のようにした。

ある日、家の近くで横たわる姿を見て、胸騒ぎがして駆け寄った。まだ少し離れて見てみたら、やっぱりミミだった。1人でこれ以上近づけない、一緒に来て!と泣きじゃくりながら作業場にいたじいちゃんを呼ぶと、慌てて新聞紙を持って来てくれた。キラキラとしたものが出てしまっていた。朝学校に行く前までフワフワと柔らかかったのに…。悲しむ暇なくじいちゃんは新聞紙に包んで家の敷地に運んでくれた。「じいちゃん、ミミ冷たくなっちゃった。」手際よく穴を掘るじいちゃん。卒園式でもらった記念樹の近くに埋めて、と頼んで、横たわる身体を泣きながら撫でていた。じいちゃんが「猫は、バカだから、車が来たって飛び出すんだよ。」と優しい声で言った。なんてひどいこと言うじいさんだ!!と思ったけど、あまりの悲しさでスルーした。そうなんだ、言い聞かせたって分からないのだ。

記念樹になったのは、プラム。なんか子供なりに分かっちゃって、食べたことがない。数年後に実がなり、ばあさんはむしゃむしゃ食べていた。だから、私はプラムは食わず嫌いだ。

そんなことがあったから、しばらく生き物は飼いたくなかった。それがある日、一人暮らしから実家に戻った時だ。玄関先で、弟がしゃがんで何かやってる。弟を猫がスリスリしている。

私「なあに、野良猫?」

弟「そだよ、ついて来ちった。」

私「餌なんてあげてないでしょうね、駄目だよ?」

弟「もう遅いわい。」スっと立ち上がると傍に餌が…

私「もぉー!しょうがないなぁ」デレデレ

この時の猫が、ぼた餅を産んだ母猫だ。

母猫は、いつもばあちゃんのそばを離れない。ばあちゃんは、毎日毎日「ばあちゃんのそばにいたってなんにもあげないわよ!」と母猫の尻ッペたを叩いた。それでもスリスリどころかグリグリして離れなかった。ポッケにササミが入っているから。じいちゃんとばあちゃんがいつもの口喧嘩を始めると、右往左往して時にはばあちゃんのつま先をかじって喧嘩を止めようとした。「このっ、畜生めが、ばあちゃんに噛み付いたな!」とまた母猫は尻っぺたを叩かれ、一気に笑いが起きていた。それでも離れなかった。親不孝な娘がいなくなってから、母猫はばあちゃんにとってかけがいのない相棒だったのだろう。


私と暮らす母猫の子供達5匹の話に戻る。

やはり猫だから、思い通りにはならない。主導権は猫にある。あぐらをかけば来る時もあるし、ちょっとそこまで。みたいに、スルーされる。たまに、強引に猫深呼吸をしようものなら全力で拒む、と思えばお好きに。と、委ねるときもある。

しかし、時が経てば猫も丸くなるようで、ツンツンの部分がだいぶ減った気がする。カリカリが無くなれば、私のところに来て気づくまで鳴く。水がなければ鳴いたあとに口をペロっと水を飲む仕草をする。何もない時に鳴くのは遊べの合図だ。犬のように、投げたおもちゃを持ってくる子もいるし、触れの時は目の前で倒れ、チラっとこちらを見る。そろそろ喋っても驚かないぜ。と淡い期待をしている。

ぼた餅猫は、去勢して退院してきた日から態度が小さくなったけど、反比例して体はますます大きくなり、お腹は手のひらから溢れるのでDカップくらいあるだろうか、股ずれをするようで毛玉ができる。夏に毛玉のあるところをバリカンで刈ってみると、シミが出来ていた。嗚呼、お前も歳をとったのだね。一緒に暮らしてきた月日の長さを感じた。

しんどい時、ぼた餅をヨイショと持ち上げ抱きしめる、リミットはたった数秒。私が抱きしめてもらっているような気持ちになるから不思議だ。でっかいからかな?

歳をとっても年齢不詳で、相変わらず夜は運動会をしているようで、気づくと私のどこかに引っ掻き傷ができている。大きな病気もせずありがとうね、と声をかける日々だ。一生面倒を見る。と決めてからこんなに時間が経った。恥ずかしいが、私の寿命をあげるから、みんな死なないで。とか思っている。

今日も、ぼた餅はぐうぐうと寝息をたてている。


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