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変わらない、と思うことはリスクでしかない

大学時代のサークルの友人と10年ぶりにばったりと再会して、1ヶ月後のことだった。突然「今、出張先でMさん(同じくサークルの友人)と一緒なんだけど・・」とLINEがきて、こういう言葉が並んでいた。

1 Mさんと、久しぶりに(大学時代に行った私の地元の)お祭にみんなで行きたいね、という話になった。
2 自分たちは既にその地を離れており、近いのはひとみだけだ。
3 土曜日にお祭が開催される4年後に行きたいので、チケットと宿泊先の手配をひとみにお願いしたい。

という目が点になるような内容だった。


確かに、地元の祭には数年前まで必ず足を運んでいたが、今は行っていない。以前より人混みが苦手になったことと、数年前に起きた祭に関するトラブルの顛末を知り、一気に嫌気がさしたのが理由だ。あれでは神様のご加護ももう無くなったのではないか。加えて、今や観光フェスティバルと化した祭のチケットは高騰し、入手もかなり難しいと聞く。
そしてこのご時世、時代は大きく変わりつつあり、4年後に私がこの街にいるかどうかさえ確約はできないのである。

友人には(祭に関するトラブルには触れず)「お祭にはもう行かないと決めている。4年後にこの街に住んでいるかどうかもわからない。」と答えお断りしたが、「笑」スタンプが来て「え~、お祭行こうよ。」「なら、ひとみはどこにいるの?」と訊いてきた。

酔っていたのかMさんと2人で盛り上がっていたのか。
悪気はなかったと思うが、いくら大学時代の友人とはいえ突然の、こちらの都合もきかないような一方的な依頼に応えるほど、私も暇でもお人好しでもない。
そして、4年後も変わらず今の生活が続いていると信じてやまない友人に、呆気にとられてしまったのだ。


天変地異、疫病・・等、この数年間で時代は大きく変わっている。脅すわけではないが、実のところ、明日生きているのかどうかさえもわからない、不確実な時代に突入したのではないかと思う。
身近なところでも、この数年間の私自身の家族関係や経済状況も同じではなく、何よりも自身の考え方が大きく変化している。友人からの依頼も、昔の私ならその場のノリで「いいよ」と言ったのかもしれないが、もう「自分が納得できないことはしない、関わらない」と心に決めている。変わったのだ。

この不確実な時代に「変わらない」と思うことは、私にとってリスクでしかない。
先のことなんて誰にもわからない。
だからこそ、私は自分の軸をしっかりと立て、目の前のことを大切に、時代の変化にあわせてしなやかに進んで行きたいと思っている。





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