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『嘘の絵画』(超短編小説)


「なんだ、この奇妙な絵は」
「見ていると頭がおかしくなりそうだ」

   街の美術館には、評判の悪い一枚の絵があった。数百年前に描かれたとされるその絵は「嘘の絵」と罵られ、街の誰からも忌み嫌われていた。というのも、その絵には存在しないはずのものが描かれていたのだ。

   それは、夜空に浮かぶ無数の光だった。大陸の最果てにあるこの街の空は一年を通して万年雲に覆われている。空に光が浮いているはずがない。街の人間にはその光が不吉なものにしか見えなかった。

   ただ一人、その絵に取り憑かれた男がいた。貧乏画家のヨルである。





   冬を迎えた街は雪の白に染まり、空は相変わらず灰色がかった白で覆われ、吐く息もまた白かった。凍てつく寒さの中、ヨルは美術館にやってきた。一年貯めたお金を握りしめて。

   館内の奥の薄暗い部屋に行くと、絵はまだちゃんとそこにあった。ヨルは安堵した。

   その幻想的な世界はどれだけ見ていても飽きない。油絵の具で大胆に描かれた夜空をじっと眺めていると、時折絵の中に吸い込まれそうな錯覚に陥る。その瞬間、ヨルは絵と自分が一つになったような気がした。

「ん? 」

   幻を見ているのかと思った。油絵の具が波打つかのように動き出したのだ。青と濃紺の空が混ざり合い、黄金の光が明滅する。そのまばゆい光に思わず目を細めた。再び目を開くと、そこは真っ暗闇の中だった。

「えっ、ここはどこだ? 」

   周囲を見渡すと、数え切れぬほどの繊細な光の群れが四方八方に輝いている。まるで絵の世界に入ったかのようだった。突然の出来事に戸惑っていると、誰かの声がした。


「美しいだろう。空にも海があるんだぜ」
「あなたは? 」
「ヴィンだ」

   目の前にいる髭の男があの絵を描いた画家なのだと、ヨルはなぜかすぐに理解できた。

「ここは? 」
「星の海。俺が描いた世界だ」
「星の海? 」
「そう、あの小さな光は星っていうんだ」

   強く惹かれているものに名前があるというだけで、こんなにも嬉しいのかとヨルは思った。

「目の前に灰色の大きな星があるだろう」
「はい」
「俺たちの星さ」
「ああ、やっぱり雲に覆われている・・・」
「お前は画家だろう」
「はい」
「ならば、星を描け」
「僕が? 」
「見えない世界を見せるのが画家の仕事だろう」


   ヴィンに向かって言葉を返そうとした瞬間、ヨルは美術館の絵の前に引き戻されていた。

「何だったんだ、今のは・・・」 

   ヨルが美術館から外に出ると、街の空が一変していた。雪を降らせていた万年雲が消え、宝石のような煌びやかな星の空が広がっていた。

   その夜、街の人々は初めての星空に歓喜した。

   しかしそれは一夜限りの奇跡だった。翌朝には再び分厚い雲に覆われてしまった。

   それ以来、美術館の絵は神のように讃えられるようになった。そしてヨルは星を描く画家になり、多くの人々から愛されたという。

 (了)

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