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『漂流』(短編小説)


   私は「文庫本」である。

   背中には値札シールの剥がし跡が残っている。そう、私はブックオンの百円コーナーで売られていた「ロマンチな接吻」というベタなタイトルの小説である。そんな私は今、なぜかチベットのポタラ宮にいる。なぜ、ブックオンの百円コーナーにいた私がチベットにいるのか。これから始まる話は、私がこの地に辿り着くまでの壮大な物語を記したものだ。

   私は新宿の大型書店で初めて日の目に晒された。初版ではなく中途半端な第3版として「話題作コーナー」に平積みになっていた。当時、ネットで評価の高い恋愛小説だったという。私を生み出した母、いや作家は、キャロライン本郷というペンネームのおじさんである。

   ほどなくして、平日の夕方頃、二十代前半の女性が私を手にとって立ち読みし始めた。女性は、最初の見開きを読んですぐに私をレジまで持っていった。レジの女性店員は、私を丁寧にクラフト紙のブックカバーで包んだ。上等なブックカバーではなかったが、大切に扱われているような気がして悪い気分ではなかった。

   女性の名は田上幸恵といった。地方から就職を機に上京してきたばかりの、田舎っぽさが抜けきらない純朴な女性だった。文学少女を思わせる地味な眼鏡の奥には、端正な顔立ちを隠し持っていた。私を見つめるその眼差しは透き通っていた。その日から私は幸恵と片時も離れず一緒に過ごした。通勤の電車、昼休みのイタリアンランチ、帰り道のお洒落カフェ、そして就寝前のベッド・・・。

   でも、そんな幸せな日々は長く続かなかった。命に寿命があるように、本のページ数にも限りがある。読了された私は、幸恵の同僚である響子の手にわたることになった。幸恵の最後の言葉は「この本、よかったらどう?ぜひ読んでみて。返さなくていいから」。響子の最初の言葉は「えっ、いいの?こんな新品同様の本」だった。

   ブックカバーに包まれたまま、私は響子の家にもらわれていった。響子はすごく几帳面な女性だった。帰宅後、私を包んでいるクラフト紙のブックカバーを大胆に脱がし、高価そうな革製のブックカバーを慣れた手つきで着せてくれた。

   響子は幸恵と同じ会社に勤める同僚だが、幸恵と一つ違ったのは私を外に持ち出さないことだった。私のページをめくるのはたいてい夜だった。響子は寝る前に少しずつ読み進めるスタイルなのだ。

   ある日、響子は一人の男性と一緒に帰ってきた。つきあい始めたばかりの彼氏のようだった。その彼氏は、部屋に入ってくるなり、ベッドの傍らに置いてあった私を見つけ、「これ何の本?」と響子に聞いた。響子は小説のタイトルを知られるのが恥ずかしかったのか、「なんでもない・・ただの小説」と言って、本棚に入れた。今思えば、それが私の初めての挫折、いや本棚送りだったのかもしれない。

   響子はいつも彼氏に夢中だった。彼氏が来たその日から響子は私を手に取らなくなった。まだ最後まで読みきっていないのに。またいつか続きを読んでもらえるだろうと期待しながら、私は本棚でじっと響子を見守っていた。彼氏と仲の良い日も、喧嘩した日も、一人で泣いている日も・・・。

   一年と少しが経った頃、響子と彼氏は同棲し始めるという話になっていた。響子は既に彼氏と住むための新しいマンションを見つけてきたようで、引越のための片付けを始めた。だいぶ前から忘れられていた私は、引越を機に処分されることになった。

   響子は私から革のブックカバーをはずし、他の何冊かの本と一緒に駅前のブックオンに持っていった。店頭ポスターには「高く買って安く売ります」と書いてあったが、私は発行部数が多いということで、三十円で買い取られた。そこまで期待はしていなかったが、想像以上に私に価値はなかった。私を売った後、響子は名残惜しい顔を一切せず、振り向きもせず、さっさと店の外に出て行った。

   ブックオンの店員は、私を百円コーナーの棚に入れた。「ロマンチの接吻」と書かれた、私と同じ姿の文庫本たちが悲しそうな表情で並んでいた。みんな、これまでにいろいろあったのだろうと想像した。カバーが破けている者、細かな水シミがついている者、蛍光ペンで線が引かれた者、数ページが外れかかっている者、ところどころに折れ目がついた者、カバーすらないボロボロになった者・・・。私も、ここに並んでいるみんなと大して変わらないということに気づくまでに時間はかからなかった。

   店に訪れる客たちが私を手にとっては本棚に戻す。「あっ、これ一時期流行っていた小説だ。もう百円になってるのか」などと言って笑う学生たちもいた。私はとても傷ついた、というより、客に触られ続けていくうちにどんどんカバーに小傷や折れや指紋の跡がついていった。照明にさらされ、ページも少しずつ黄ばんでいった。

   新宿の書店から約二年。ブックオンに辿り着いた私は、自分が何の価値もない、ただの紙切れになりつつあることを悟り始めていた。いずれは紙のリサイクル工場に行って私は消えてなくなるのだ。時間が経っても価値の衰えない立派な書物として生まれたかったと思いながら、ちょっとした絶望感に支配されていた。この時の私は、人生いや本生のどん底にいたといってもいいだろう。

   それから数ヶ月経った。外ではめずらしく雪が降っていた。雪のついたコートでそのまま店内に入ってくる客をみるたび、本棚の同胞たちは水シミにおびえていた。

   私は相変わらず、客寄せコーナーの賑やかしとして並んでいた。

   多くの客が私の存在をスルーしていく中、ある大学生の男が私を手に取った。人の手の温もりに触れたのは数ヶ月ぶりだった。男は、パラパラとページをめくった後、他の百円文庫本数冊と一緒にレジに持って行った。私は涙が出るほどうれしかったが涙は出なかった、本だけに。

   斉木航太は都内の国立大学に通っていた。この春に大学を卒業するという。卒業旅行は一人でヨーロッパ放浪の旅に出るらしい。私はその一人旅のお供として、他の数冊と一緒に選ばれたのだ。数日後、自分が世界に旅立つのだと思うと、うれしさを隠しきれなかった、本に表情はないけれど。

   私は大きなリュックの中に入れられて、成田空港から飛び立った。コペンハーゲン行きの飛行機で、航太はずっと私を読んでいた。私には一つ心配事があった。この長いフライトで、目的地に到着する前に私を読了してしまうのではないかという不安だ。それくらいの速度で航太は私の中にある活字を読み進めていった。

   案の定、コペンハーゲンに到着した頃には、私は読了されていた。そう、読み終わった本は、バックパッカーにとって不要な荷物以外のなにものでもないのだ。

   航太は空港からそのまま、シェイクスピアの戯曲「ハムレット」の舞台にもなったクロンボー城に向かった。

「すみません、写真を撮ってもらってもいいですか」

   クロンボー城と周囲の自然が織りなす姿に見とれていた航太に、一人の日本人女性が声をかけてきた。航太は鼻の下を伸ばして二つ返事をした。「一人で来ているんですか?」という航太に、女性は「はい」と答えた。そんな流れで二人はクロンボー城観光を一緒することになった。女性の名は沙由理というらしい。

   観光を終えた二人はカフェに入った。コーヒーを飲みながら「すごい素敵なお城でしたね」と沙由理が言う。航太は「ハムレットの舞台になるだけありますよね」と返す。航太は思い出したかのように、リュックから私を取り出して「この本よかったら差し上げますけど、いりますか?」と話した。

   沙由理もまたバックパッカーだった。ヨーロッパに来てもう一ヶ月経つという。これまでノルウェー、フィンランド、スウェーデン、デンマークと北欧を回ってきたらしく、今晩アムステルダムに向けて発つという。

「いいんですか。ありがとうございます。うれしいっ!ちょうど日本語の本に飢えていたんですよー」

   いとも簡単に、私の所有者は彼女になった。次々と所有者が変わっていくこともあって私には落ち着く暇もないが、ブックオンで過ごす退屈で卑屈な日常に比べれば天と地の差だ。

「じゃ、いい旅を!」

   そう言って二人はそれぞれの旅に戻った。私は航太と離れ、沙由理の旅に同行することになった。わずかな時間しか過ごせなかったが、航太は恩人だ。あの日、航太がブックオンで私を手にとってくれなかったら、今頃どうなっていたかなんてわからない。

   花田沙由理は、二十八歳のアクティブな女性だ。六年勤めていた旅行代理店を辞めて、一ヶ月前、世界一周の旅に出発した。一年分の旅費は貯めたという。

   沙由理は私をショルダーバッグに入れたまま、アムステルダム行きの夜行列車に乗り込んだ。車窓からは絵画のような景色が流れていった。沙由理は私を一ページずつ噛みしめるように丁寧に読んでいく。十五時間もの鉄道旅であれば読了していてもおかしくないのだが、沙由理は全ページの半分くらいまでしかいかなかった。速読されるより味わってゆっくり読んでもらえた方が何倍もうれしい。いい持ち主に出会えたと思った。

   アムステルダムを一通り観光した沙由理は、色とりどりのチューリップが咲くキューケンホフ公園のベンチで私に読み入っていた。どこからか拭いてくるやわらかな風。色彩豊かな景色。なんて気持ちのよい時間なのだろう。

   その日は、アムステルダム駅から少し離れた安宿いわゆるドミトリーに泊まった。ドミトリーでは、いろいろな国のバックパッカーが到着しては旅立っていく。アジア系の人からアフリカ系の人まで、そこはまさに“ミニ人種のるつぼ”であった。

   そんな出入りの激しい宿の共用スペースで、沙由理は、他のバックパッカーに目もくれず、ミネラルウォーターを片手に私に夢中になっていた。小説のストーリーはもう終盤を迎えていた。毎回のことだが、ページが終わりに近づくにつれ、持ち主との別れも近づいていく。

   思えば、幸恵、響子、航太、そして沙由理で四人目だが、今までで一番自分を一生モノとして置いてほしい所有者だったかもしれない。

   沙由理が私を読み終えてページを閉じた瞬間、タイミングよく誰かが「沙由理!久しぶり!」と言った。背の高い日本人男性だった。沙由理は「あっ、貴史、超久しぶり!!」と答えた。沙由理がオランダ留学していた時の元カレらしい。

   沙由理は元カレの貴史と思い出話で盛り上がっていた。そして貴史に向かって「これ、日本で人気の小説なんだ。よかったら読む?」と言った。「沙由理がすすめてくるってことは面白かったってことだな。じゃ読ませてもらうよ。ちゃんと返すから」と貴史は返した。「いやいや、返さなくていいからっ!」と沙由理は釘を刺すように言った。沙由理を見つめる貴史の表情に、何となく沙由理に未練があるように見えた。

「あの・・・、突然だけどさ、俺とやり直す気はない?」
「えっ」
「俺、真剣だよ。アムステルダムで一緒に暮らさないか」
「そんなの・・・無理だよ」
「・・・やっぱりそうだよな。うん、わかってた。それでも言いたかった」
「ごめん」

   付き合うのにはいいけれど結婚するとなるとちょっと違う男。それはまさに、読んでみたいとは思うけれど一生モノにするほどではない私と同じだった。その男に妙に親近感が湧いてしまった。

   日村貴史は、有名な日本企業のオランダ支社で働く二十九歳。貴史はアパートに私を連れて帰った。「沙由理が夢中になった小説かー。今度感想文でもメールして再アタックするかー」と独り言を呟きながら、部屋のデスクに私を置いた。

   貴史もまた、読んでいるうちに私のストーリーにどんどん入り込んでいった。ゆっくりと半年ほどかけて私を二度も読んでくれた。沙由理を見つめるようなピュアな目で活字を追っていた。

   その後、私は貴史の部屋の小さな本棚に放置された。

   貴史と沙由理の再会から約二年の月日が流れた。毎日のように貴史の日常を見ていた。当初は有名企業のオランダ支社で働くエリートかと思っていたが、そんなことはなかった。真面目すぎる性格が災いして出世街道からはずれ、学生時代に留学していた国ということでアムステルダムに飛ばされたのだ。悔しさと悲しさを含んだ表情の貴史を、私は何度も見た。

   ある日、玄関の方から聞いたことのある声がした。沙由理だ。貴史と仲良く話しながら室内に入ってきた。

   一途な貴史は二年もの間、沙由理にアタックし続けた。貴史にとって、私の感想を伝えることだけが、沙由理との接点だったのだ。

    二年前、オランダを出た沙由理は、ヨーロッパ各地を周遊した後、アフリカ、南米、北米、アジアと約一年半かけて旅を続けた。旅の途中も、貴史と沙由理は、私を読んだ感想などを話題にしてメールでやりとりしていた。

   無事に世界一周を終えた沙由理は、日本に帰国した後、元通りの日常に戻っていく自分に大きな違和感があったという。また就職するかどうか悩んでいた時、貴史は親身になって相談にのっていたのだという。

   来年、貴史と沙由理は結婚するらしい。

   それを知った私がどれくらいうれしかったかというと、涙で百ページくらいの紙がふにゃふにゃになるほどだ。あくまで例えだけど。

   沙由理は、すぐに私の存在を見つけた。「あ、ロマンチな接吻。まだ大切に持ってくれてたんだ。しかもこんなブックカバーも付けて・・・」と言いながら、私を手にとってページをパラパラとした。すると貴史は「うん。沙由理にもらったものだし、ある意味、俺と沙由理を再度くっつけてくれた愛のキューピッドみたいな存在だし」と囁いた。

   それを聞いた私は、こんなに幸せな文庫本が他にいるだろうか、と思った。私は二人の良いところをたくさん知っている。だからこそ二人には幸せになってほしかった。

   貴史と沙由理は東京で式を挙げた。俗に言う“地味婚”だった。身内だけを呼んだこじんまりとした結婚式にしたのは、二人には世界中に友人が多数いすぎて取捨選択ができなかったからだ。私はオランダで留守番だったが、後日、本棚に飾られた華やかなフォトフレームに、晴れ姿の二人が満面の笑顔で映っている写真を見てとることができた。

   私はこのままずっと、二人を見守っていたいと思った。

    結婚後、貴史と沙由理はアムステルダムで三年暮らした。その後、貴史がニューヨーク支社に転勤になり、二人はアメリカに移住した。もちろん、私も連れていってもらった。

   ニューヨークに住み始めてすぐに、二人は子供を授かった。貴史は、産まれてきた女の子に「文(ふみ)」と名付けた。文学の物語のような素敵な人生を歩いてほしいという願いを込めたという。

   私は貴史の書斎にいた。ほとんど手にとられることもないが、ガラス扉の付いた書棚の奥で埃も被らずに大切に保管されていた。そのまま二十年の歳月が流れた。気の遠くなるような時間だったが、心穏やかな日々だった。貴史と沙由理は時に喧嘩をしながらも子供の文とともに仲良く平和に暮らしていた。

    頭に白髪が目立つようになっていた貴史は、初夏のある日曜日、数年ぶりに私を書棚から引っ張り出した。ページをめくりながら、思い出を懐かしむような表情で私を見つめていた。

    トントンと誰かが書斎のドアを叩いた。「ねえ、パパ、入っていい?」と聞くその声は、二十歳になった娘の文だった。父の貴史に似て背がすらっと高く、母の沙由理のような凛々しさと品のある顔つきをしていた。「どうした?」と貴史が聞く。

「学校の授業で、日本の文学をテーマにした論文を書かないといけなくて、川端康成とか夏目漱石とか三島由紀夫とか持ってない?」

   純文学をあまり読んでこなかった貴史は持っていなかった。そう、そこで私の出番になったのだ。

「有名どころの小説はあまり持ってないなあ。ちょうどいい。この本はどうだ?」

   貴史はそう言って、私を文に手渡した。文は私をパラパラと見て言った。

「ロマンチな接吻?なにこれ。初めて見た。おもしろいの?」 
「その小説はな、パパとママが結婚するきっかけになったといっても過言ではない一冊なんだ。作者はキャロライン本郷という人だよ」
「へえ、そうなんだ。でも、学校の授業で指定されている感じじゃないかもなあ」
「・・・そうか、じゃあ仕方ないな」
「あっ、でもせっかくだから読む。貸しといて」

   新しい読み手と出会うのは四半世紀ぶりだ。そう、約二十五年もの間、私は新しい読み手を待っていたのだ。待ちすぎてヤケになるようなことはなかったが、背表紙のヤケはひどくなっていた。

   どんな表情で私を読んでくれるだろう。どんな場所に私を連れていってくれるだろう。久しぶりの感覚にワクワクしていた。

    ニューヨーク州の大学に通っていた文は、放課後、純文学の文庫本を購入するため、市内の書店に向かった。日本語書籍のコーナーにある限られた選択肢の中から文が選んだのは、表紙の絵が好みだった三島由紀夫の「潮騒」だった。三重県歌島を舞台にした、若い漁夫と海女が幾多の障害を乗り越えて結ばれる純愛物語である。

   文が論文を書き上げて提出した時、夏休みはもう目前に迫っていた。七月の陽射しが照りつける中、文は、数ヶ月前から計画していた旅行の準備を始めていた。文は母親の沙由理に似てアクティブで旅が好きだった。

   文が予約したフライトチケットの行き先は、かつて“ヒッピーの楽園”と言われたカトマンズだった。私もその旅に同行することになるのだった。

「八月中旬には帰ってくるね。お土産は期待しないでね」

   出発前、大きなバックパックを背負った文がそう言うと、沙由理は「カトマンズかー、いいなあ。懐かしいなあ。私も行きたいなー」と羨ましそうな声を出して貴史の方を見た。貴史は「俺たちも近々ネパール行くか」と二人で顔を見合わせた。「気をつけてね!」と沙有里が言うと、貴史も「ヒマラヤによろしく」と続けた。文は小さくうなずいた。

   気象情報によれば、この夏のニューヨークは猛暑になるらしい。その暑さから逃れるように、JFK国際空港から私を乗せた飛行機は飛び立った。ヒマラヤ山脈の麓にある標高千四百メートルの避暑地が待っている。

   長いフライトを終えて、飛行機はトリブバン国際空港に着陸した。空港のロビーでは、文の親友である香苗がひとあし先に到着して待っていた。二人はハイスクール時代からの仲で、香苗はロスの大学に入学した。

「文!」
「かなちゃん!」
「ちょーひさしぶり!元気だった?」
「うん。カリフォルニアはどうなの?」

   再会の話に華を咲かせながら、二人は安ホテルがひしめくタメル地区へと向かった。リュックの奥にしのばせたまま、私の存在は忘れられているのではないかと心配だった。

「・・・京都に似てる気がする」

   文はカトマンズの街並みと山々の稜線を眺めながら小さく呟いた。アメリカ ニューヨーク育ちの文だが、第二の故郷である日本には、祖父母がいるので毎年のように遊びに行っている。

   二人はカトマンズで有名な日本人宿にチェックインした。これから、文と香苗はカトマンズで一緒に約一週間過ごし、その後はそれぞれ別の目的地に旅立つことになっていた。文は西のポカラに向かう予定だった。

   避暑地のカトマンズは、夏でもそんなに気温は上昇しないため過ごしやすい。そんな心地よい陽気の中、二人はジャーマンカフェのテラス席で“何もしない”をしていた。

   会話をすることもなく、それぞれが自由な時間の流れに身を任せていた。文は私を開いて読み始めていた。香苗は旅行のガイドブックを読み込んでいた。本の立場から言えば、この優雅なひとときが永遠に続けばいいのに、と夢見た。

「ねえ、文。何の本を読んでるの?」
「ロマンチの接吻っていう小説。パパに借りてるの」
「へえ、面白いの?」
「まだ読み始めたばかりだけど、展開がすごく気になる感じ」
「読み終わったら私にも読ませてね」
「いいよ。かなちゃんは何を読んでいるの?」
「チベットの本」
「チベット?」
「うん。私、来週からチベットまで足を伸ばしてみようと思うの」
「へえ〜、チベットか〜。そうだよね。かなちゃん、前からずっと行きたいって言ってたもんね」
「うん」

   二人は一週間、特に何をするわけでもなく、古都パタンのダルバート広場あたりをブラブラ散歩したり、スワヤンブナート寺院を観光したり、地元のお店を散策したりして過ごした。あっという間に、カトマンズの休日は過ぎていった。

   二人はトリブバン国際空港にいた。文と香苗に別れの時が迫っていた。

「カトマンズすごくよかったね!」
「ほんとに」
「ポカラではアンナプルナ見えたらいいね。晴れることを祈っとく」
「かなちゃんも、チベットを楽しんできてね」
「またポカラの話聞かせてね」
「うん、かなちゃんのチベットの話も楽しみにしとくよ」
「じゃ、またニューヨークに帰るから」
「私もカリフォルニアに遊びにいくよ」
「じゃっ」
「うん、じゃあ」

「あ、そうだ。この本、チベットに持っていって」
「ありがとう。絶対に返すね」

   再会を約束して二人は別れた。そうして、私は香苗のショルダーバッグのポケットに乗り込んだ。文は西へ。香苗は北へ。それぞれの目的地へと旅立った。

   その時、私は、それが文との最後の別れになるなんて思ってもみなかった。

   小型飛行機は、ヒマラヤ山脈の上空を飛んでいく。窓際に座った香苗は、名を知らぬヒマラヤの山々を眺めていた。

   隣に座っていたフランス人が、エベレストを指さして教えてくれた。世界最高峰エベレスト。“チョモランマ(神々の山々)”とも呼ばれるその偉大なる姿を、香苗は目に焼き付けようとしていた。

   “天空の都”ラサ。“太陽の都”ラサ。“聖都”ラサ。ラサにはいろいろな呼ばれ方があり、そのどれもに、簡単には行けない幻の都のような響きがあった。

   ラサ・クンガ空港に到着した香苗は、送迎車に乗ってホテルに向かった。途中の道では、五体投地をしながら聖地へと向かう信仰深い人たちを何人か見かけた。香苗は、ずっと驚きっぱなしの様子で景色を眺めていた。

   翌日、香苗はチベット訪問の大きな目的である“チベット仏教の象徴”ポタラ宮に向かった。私をバッグに入れたまま。天に向かってそびえ立つポタラ宮は、ラサにおいてその存在感が際だっていた。

   香苗はガイドのヨウさんに連れられて約三百段の階段をのぼっていく。ここは、天空の都。標高は約三六五○メートルの高地である。香苗は息を切らしながらなんとか登り切った。ポタラ宮はチベット仏教ならではの独特の色使いで彩られていたが、香苗は軽い頭痛のせいで感動が半減しているようだった。

「きゃっ!」

    内部を歩き始めてすぐ、香苗は、頭痛と足腰の疲労のせいか、足がもつれて転んでしまった。その瞬間、バッグに入っていた財布、ハンカチ、ミネラルウォーターのペットボトル、ラサのガイドマップ、そして私が勢いよく飛び出した。

   ガイドのヨウさんが一緒にバッグの中身を拾ってくれたが、私は、中国人の観光客集団がいるあたりまで飛ばされた。

「あれ?本がない。本がないの・・・」

   香苗は必死に私のことを探している。香苗、そっちじゃない。私は反対側のこっちにいる。ほら、中国人のいる方だ。私は大声を出して呼ぼうとしたが声は出ない。小口はあるが、口はないのだ、本だけに。

   ポタラ宮の見学には制限時間があって一時間と決まっている。香苗とガイドのヨウさんがあせってその場を探す中、六歳の男の子が私を拾った。中国人観光客の子供のようだった。

   男の子は私を手に抱えたまま、両親と手をつないで歩いていった。現場で探し続ける香苗とどんどん離れていく。

   さようなら、香苗。さようなら、貴史と沙由理と文。

   男の子は私を開いてページを見ている。活字には漢字があるが、中国にはない平仮名やカタカナが混ざっていて、キョトンとした顔をしている。それに気づいた母親が男の子から私を強引に取り上げた。男の子は「僕のを返せ!」と泣きじゃくった。

   母親は私をパラパラとめくって日本の本と気づいた様子だった。しばらく歩いて、すれ違った僧侶に私は渡された。

   ポタラ宮の僧侶は私を開いてふむふむとうなずき、奥の薄暗い部屋に私を連れて行った。鮮やかな布が被せられたテーブルの上に私は置かれた。それから数日ずっとそこに置かれたままだった。

   ある日、地位の高そうな僧侶が部屋に入ってきて私を手に取った。

   長い旅を物語るかのように、私を包む表紙のカバーは日焼けによって印刷が薄まり、ところどころ破れ、数々の指紋の跡、雨水や涙や汗やコーヒーなどのシミが付着していた。値札シールの剥がし跡が黒ずんでいる。小口もページも黄色く変色していた。もう三十円の価値すらない。

   丁寧に丁寧にページをめくる僧侶は、カバーの裏側に隠された文字に気が付いた。そこには、私を読んだ歴代の持ち主たちの名前が記されている。

田上幸恵
宮本響子
斉木航太
花田沙由理
日村貴史
日村文
五十嵐香苗

   カバーの裏側に書かれた七種類の手書き文字から、どういう本なのかを瞬時に悟った僧侶は、私をやさしい目でじっと見つめていた。


   長かっただろう。疲れただろう。もうキミは休んでいいんだ。この地にずっといなさい。


   僧侶のまなざしは、私にそう語りかけている気がした。私は自分の役割を終えたのかもしれない。ふと、新宿の大型書店に平積みで置かれていた、希望に満ちたあの日々のことを思い出した。

(了)




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