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5ヶ月間で80本の短編小説を書いた私が、この2ヶ月で3本しか書いていない話。


ここのところ、小説を書いていない。

「書けない」というよりは、「書きたいという気持ちになれない」といった方がしっくりくる。前にも記事で触れたけれど、一度書かなくなると、なかなか新しい一行目が踏み出せない。

80本の短編小説を書いた約5ヶ月間。あの密度の濃い日々は、明らかに“脳の体質”が変わっていた。一文字目の動き出しが早かったし、夢中になって書いていると気がつけば3,000文字を超えていたりした。

今は、脳の運動不足のような状態。やっぱり筋肉と一緒で定期的に鍛えないと徐々に衰えていくのかもしれないなあ。

9月中旬、急に書きたい気分が湧き上がってきて書いたのが、先月公開の「葬られた遊び」。noteに向かいながら「ああ、この感覚だ」と思い出した。久々の執筆。書いている時はすごく楽しかった。

そこで気づいたことがある。小説や脚本など物語を考える作業で何よりも大切なのは気分ではないかと。おそらく気分は執筆のエンジンになっている。思い返せば、平和な気分の時は平和な小説を書き、感情の刺激がほしい時はホラーの小説を書いていた気がする。そして疲れている時や無気力の時は小説はおろか文章を書こうとすら思わない。

そんなこんなで、この2ヶ月間で書いた短編小説は3本だけだった。一つはnoteで公開済みの「葬られた遊び」、一つは10,000文字超えの中編作品、そして、某短編文学賞に応募した作品だ。

10,000文字以上(原稿用紙約30枚相当)の「漂流(仮題)」は、noteで近日公開予定。この作品は毎日投稿をしていた頃から、別枠で少しずつ少しずつ進めてきたのだけど、最近やっと形になった。あとはタイトルと細かい部分の調整のみだ。ただ、10,000文字以上って読む側にはなかなか心理的なハードルが高い。その文字数を聞いた時点でスルーされるかもしれない。前編と後編に分けて投稿しようか悩んでいる。

「◎◎の鳥(◎◎は伏せています)」は約5,000文字の短編小説。こちらはとある短編の文学賞に応募した。個人的に、広告賞や川柳などの公募は過去に何度も応募経験があるけれど、文学賞への応募は初めてだったので新鮮だった。

文学賞の応募作品は、noteで発表する作品のような気楽さがなくて、それなりに時間と手間をかけて取り組んだ。何度も何度も読み返したし、推敲にもかなりの時間をかけた。誤字脱字、表記の揺れ、同表現の多用がないか。物語の構成は違和感がないか。話の流れは単調ではないか。何度読み直してもそのたびに気になる箇所が湧いてくる。修正しても修正しても終わらない。これは本当に際限がなかった。

そもそもなぜ文学賞に応募しようかと思ったのか。作家になりたいからではないし、99.9%選ばれることがないのはわかっている。それでも「審査」という場に、自分の作品を出かけさせてあげたかった。誰かから審査され、箸にも棒にもかからない経験を得ることによって、自分の“書くこと”への向き合い方がきっと良い方向に変わると思った。

こういった文学賞のたぐいでは、ほとんどの応募者たちの夢や希望は、あぶくのようにはじけて消える。応募数に対して受賞数が少ないのだから仕方ない。自分もその一人だ。とはいえ、ダメだとわかっていても脳が勝手に期待する。

どちらにせよ、審査結果が出るまでの時間は好きだ。歳はとりたくないけど、未来に楽しみが一つ増える。未来に「楽しみ」が多い方が人生は楽しいに決まっている。ちなみに、落選後にnoteで公開する予定(笑)。

というわけで、話が多少ズレ気味になってしまったけど、つまりは、自分の小説に対しての向き合い方が「量産修行スタイル」から「気分優先まったりスタイル」に変わったということかな。

なので、しばらくは「気分」に任せようと思っている。無理やり書こうとしても、良い物語は生まれないような気がする。何も書かない期間も、大きな観点で見れば「書く」という作業の一部だと思う。そして、小説に限らず、クリエイティブな作業では「気分マネジメント」を心がけた方がいいのかもしれない

自分の話ばかりになってしまったけど、「なかなか小説を書く気が起こらない。モチベーションが湧き上がってこない」と悩んでいる人の参考になればうれしい。



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