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この世界は、そんなに美しくない。


先日、新海誠監督の『天気の子』を観た。

イケメンと美少女が世界を変える、いわゆる“セカイ系”と呼ばれる映画だ。

まだ観ていない人にはネタバレになるので詳細は書かないが、新海作品の「映像美」がこれでもかというほど詰め込まれていた。『君の名は』もそうだったが、人の表情も、街も、空も、全てがキラキラ輝いている。スクリーンを見上げる観客たちはその眩い世界に圧倒されていた。

あっという間の約2時間。エンドロールが流れ出しても誰も席を立たない。RADWINPSの曲に身を委ねてみんな余韻に浸っている。

エンドロールも終わって館内に照明が灯る。視界が明るくなって最初に自分の目に入ったのは、日焼けで肌がぼろぼろになった手の甲だった。先週子供を連れて海に行った時のものだ。

私は急に現実に戻された気がした。

TOHOシネマズ新宿を出て、映画の中にも出てきた歌舞伎町を歩いて帰路につく。中央通りにはタピオカのカップや煙草の吸い殻などが転がっていた。街を見渡してみても、普通の人たちが普通にそこにいる。

ごみごみした街の雑踏の中でふと思う。

人間は本能的に美しいものにひかれるようにできている。にも関わらず、目に見えているこの世界は、実はそんなに美しくないのかもしれない。現実は、地味で素朴で飾り気のないものだらけだ。みんなその残酷な事実にどこか気づいている。

だから、人は“美しい虚構”に夢中になるではないか、と。

例えば・・・旅行ガイドブックの大袈裟に加工された風景写真にひかれる。アイドルの営業スマイルにひかれる。そして、世界の美しさをドーピングした新海作品にひかれる。

それが虚構であっても、ほんの一瞬、“キラキラとした美しい世界”という夢を見させてくれる。つまり、『君の名は』も『天気の子』も、コンテンツとして、人の本能や欲求に忠実だ。多くの人がお金を払ってでも観に行きたくなるようにできている。

かつて、ザ・ブルーハーツは「どぶねずみみたいに美しくなりたい。写真には写らない美しさがあるから」と歌った。ステージ上で飛び跳ねながら「美しい」という言葉の定義を問うていた。

わかりやすい視覚的な美しさばかりを追い求めない人ではありたいけれど、いつかまた次の作品が公開されたら、理屈なしに新海作品のキラキラとした世界にまた浸りたいなと思う。

ちなみに、自分はどちらかというと『君の名は』派だ。


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