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『第一回 卯月妙子・橋場あや二人展』


15歳からの、私の恩師である、画家の橋場あや先生と、「二人展」をすることになりました!!

橋場あや先生は、今年で御年91歳、道を見失っていた15歳の頃知り合い、私に生きる道筋と目標をくださった方です。

その後 折に触れ道に迷う度、私は橋場先生に相談に乗って頂いてきました。

「実録企画モノ」出版後、遠野の山奥に篭って頭をひねっていた時も、橋場先生とお会いし、そうして出来たのが「新家族計画」でした。

橋場先生は、知的障害者 や精神障害者の方々と、創作を通して自己表現などをする活動を長年にわたり続けてきた、岩手県内では草分け的存在です。

私は、先生の背中ばかり見ながら、いつか先生のようになりたいと思いながら生きてきました。

そして この度、橋場先生から「二人展をやらないか?」とのお誘いを受けました。

橋場先生の作品と、私の作品が並ぶなんて、夢のようです!!

私はもうウキウキとして、「やらせてください!!」とお返事しました。

嬉しいだとかそんなものじゃありません。
胸の底からも腹の底からも、弾けるような猛烈な感情が湧き立つような、万感の思いです。

詳細が決まりましたのでお知らせいたします!!

『第1回 卯月妙子・橋場あや二人展』

会場・盛岡市大通り商店街「リリオ(LiRiO)」
https://g.co/kgs/Fmytgc
会期・4月17日(月)~4月22日(土)
時間・PM13時~17時(最終日のみ13時~16時)

展示物・橋場あや(木彫)・卯月妙子(『港町ブルース』漫画 原稿原画・ネーム入り カラーコピー・俳句)

※これは第1回 第2回 第3回と、橋場先生が お元気な限り続けて行こうということになりました。

【橋場あや】
1932(昭和7)年、岩手県雫石町に生まれる。岩手大学で美術を学び、卒業後は県内の中学校や高等学校 で美術 講師をしながら旺盛な制作活動を続ける。一時期、ボールペンを1日一本使い切ると言う ドローイングに没頭し、ある時は木彫りに打ち込むと言った多様な表現 世界を繰り広げる。ドローイングやペインティングに糸や 布を縫い込み刺繍を施す といった感覚的な複合作品を試みる。
また、長年 障害者の美術教育に携わり、県内の草分けとして知られる。心身に困難を抱えつつも鋭敏な感性を持つ彼らの芸術的才能を見出し、その活動の場を広げている。今年 91歳になるが、益々意気盛んな最新作を中心に、表現者としてこれまでの歩みに加え、障害者や創作仲間とのコラボレーションを続ける。

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生きているということは、本当に奇跡を産みます。

私が先生と知り合った15歳の頃。
初めの高校を退学になった時です。

私の描いた絵画を見た先生の言葉が、先生の書いた一冊の論文が、私に道をつけてくれました。

私は先生の論文を読めるようになるためだけに、小学4年生のところから勉強をし直し、進学校に入学しました。

そしてそこから猛烈に作品を作り始めました。
そして現在に至ります。

橋場あや先生は、統合失調症を罹患した方々と、映像作品を制作するという試みもなさいました。

先生とはしばしば、「障害というものについて」「老いというものについて」お話をします。

「ひとりひとり、個人 固有の症状である、精神疾患による症状も、ひとりひとり、個人 固有の症状である、老いから来る症状も、俯瞰して捉え、一つ一つ 攻略し、または付き合い方を学び、それも一つのアーティスティックなものとして楽しんで生きる」

そんなお話をします。

「すべてを作品に昇華してしまえ!」
「そして 作品を制作することで、アーティスティックに楽しんで生きよう!」

そんなお話をします。

橋場先生は、昔片目を癌におかされ、それもアート作品にしてしまいました。
あの時先生は言いました。
「目玉が癌になるなんて、ちょっと ない 体験だわ!私はこれを観察するわ!!そして 作品に仕上げるわ!!」

そんなわけで この展覧会は、二人とも、「片方 目が見えない同士での展覧会」です。

ちょっとアットホームに、ゆったりと楽しんで頂けるよう、会場も設営も工夫するつもりです。

どうぞ皆さま、気楽な感じで、足をお運びください。

お待ち申し上げております!!

卯月妙子

よろしければ、サポートお願いいたします!!頂いたサポートは夫やわたしの医療費や生活費に使わせて頂きます。