親子は一心同体じゃない。(839文字)


息子は小さな恋人じゃないにつづく「じゃない」シリーズ。
今回は母と娘。

親子関係だということを忘れ、親友のように、双子のように、姉妹のように。
一心同体。
時に相手を自分以上に自分のように感じる。
愛情深い人、共感力の強い人、感性や趣味が似ている同士は特に顕著。



母ほどの年齢の女性が言う、
「娘を一心同体と思っているの」
お嬢さんが出産されたときには自分もお乳がでたという。



*母親視点
その存在に気づいた時から、生み出すまで文字通りの一心同体を体感。
首座り、ハイハイ、立つ、しゃべるから、初めての遊園地、恋、初潮、レストランまであらゆる初めてを一番近くで体験する。

*娘視点
気が付くといつもそばにいてくれた人。
世話をしてくれる人。
なんでも教えてくれる人。
女性として最も身近なお手本且つときに反面教師。
一心同体は体感なし。

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「私は娘を一心同体と思っているの」

そうなんですね。
私も母は特別な存在ですし、大切に思っています。
が、一心同体と思っていません。
お嬢さんはどうかわかりませんが、同じように感じているのではないでしょうか。



お嬢さんは大学卒業以来、遠方でくらしているという。
ですよね。
私も遠方派ですよ。


生み、育ててくれたことに心からありがとう。
生きていてくれてありがとう。
いつも幸せだとうれしいな。


そう願えるのは、ほどよい距離感がある今だから。
客観的に相手を思える距離は、余裕をくれる。
その余裕は相手への優しいまなざしを生み出してくれる。
会う頻度や話す頻度は気持ちとは比例しない。

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一心同体の発想になるのは、相手が同性なことも大きいだろう。
息子が娘だったらどうだったかな。
きっと一心同体とは思っていない。

思いたくないし、思って欲しくない。
たまたま縁あって自分から生まれてきたとしても個人は個人。
親子だとしても人それぞれ。

夜、息子が洗面所で歯を磨く。まだ風呂に入っていないことに服をみて気づく。
私は台所で食器を片付けようと食器棚ではなく冷蔵庫を開ける。



一心同体ではないけれど、似たもの同士の可能性はある。

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