難波妙

国際医療ボランティア団体アムダ(AMDA)副理事長。国内外の様々な災害支援、技術交流を…

難波妙

国際医療ボランティア団体アムダ(AMDA)副理事長。国内外の様々な災害支援、技術交流を経験。熊本地震では、実家が全壊。ウクライナ避難者の支援活動など、これまで多くの心震える出逢いや経験を通じて感じた想いを自らが撮った写真とともにお届けします。

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難波妙の自己紹介。人ってすごい!出逢いは奇跡! 

はじめまして!難波妙と申します。 国際医療ボランティア団体AMDA(アムダ)で活動を始めて21年。これまで多くの災害支援、復興支援、技術交流などを行ってきました。スマトラ島大津波、ハイチ地震、東日本大震災などなど多くの災害支援に関わってきました。2016年には熊本地震で実家が全壊。支援する側とされる側を同時に経験。2018年には現在住んでいる町が西日本豪雨災害で被災。そして2022年のウクライナ人道危機発生直後から、隣国ハンガリーの国境で行っているウクライナ避難者支援活動や2

    • 空を見上げて

      世界空模様「あぁ、日本の空はなんて美しいんだろう・・・」と安心して深呼吸できる。そして頬をなでる12月の風は冷たくて、そして心地良い。 今、深くそのように感じるのは、モンゴルとインドの空をみてきたから。 モンゴルの空と大地 冬のモンゴル 11月6日、モンゴル、ウランバートル、チンギスハーン国際空港に到着した時、気温は零下11度!飛行機の窓から見る景色で、「寒っ!」と、まず自分の体に言い聞かせる。迎えに来てくれたモンゴル人の友人たちにとっては、これはまだ序の口らしい。1月

      • きっとどこかで

        あと、数分で2022年の幕が閉じます。去年の今頃、コロナで分断された世界が、戦争という”人災”で、世界の平和にさらなる危機が訪れるとはだれも思っていなかったのではないでしょうか。 2022年3月、1か月のハンガリー側でのウクライナ避難者支援活動の後、私は、10月後半にも2週間、ハンガリーに行きました。日本からスタッフを送らなくてもこれまで培ってきた信頼関係を元に、ハンガリーやウクライナの関係団体が主導する形で支援活動を行うための準備をすることが目的でした。理由は、続く円安、加

        • Piece for Peace 平和のパズル

          積み上げる平和 この写真は、2019年2月23日のミャンマーの首都ヤンゴンにあるシュエダゴン・パゴダ(仏塔)です。2月、ミャンマーの気温は、30℃を越えていました。それでも黄金に輝くパゴダには、世界各地からの観光客であふれていました。裸足で歩いた大理石の境内、気持ちよかったことを覚えています。黄金のパゴダがライトアップされる夜の美しさは、格別!この世のものとは思えない、これほどの美しさを作り出すミャンマーの歴史と人々の信仰心の深さに心ふるえました。 そして、大通りには、たくさ

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        難波妙の自己紹介。人ってすごい!出逢いは奇跡! 

          「助けて」って、意外と難しい!

          東北の豪雨災害に思いを寄せて  東北の豪雨災害で、大きな被害を受けられた皆様に心からお見舞申し上げます。ニュースの被害映像は、2018年の西日本豪雨で被害を受けた自分の町を思い出します。2018年もとても暑い夏でした。「晴れの国、おかやま」がまさか豪雨であれほどの被害を受けるとは、おおくの岡山県人は思っていなかったと思います。それも、一晩で、いや、数時間で。大変なのは、その後でした。心折れるような町の惨状、うだるような暑さの中にただよう災害瓦礫からの臭いと生ぬるい風で舞い上

          「助けて」って、意外と難しい!

          恩おくり

            2011年  私が、彼女に最初に出会ったのは、東日本大震災から3か月が経過した2011年6月、初めて大槌町に行った日でした。被災規模はわかっているつもりでした。しかし、岩手県釜石駅に着いて、車で大槌町に向かう途中、ある交差点に差し掛かった時、自衛隊の車両に阻まれ、今まで見たこともないその異様さに私は衝撃を受けました。そこから先の道は、もう自分が一体何を見ているのか、目の前の光景が現実なのかわかりませんでした。時間の感覚さえもなくなり、希望も見えず、悪い夢でも見ているかの

          恩おくり

          母は強し!

          日常を知る 2016年4月14日、16日の熊本地震で実家は全壊。母親が生き残ったことに感謝して、わたしは自分の母校で避難者のための医療支援活動を行いました。(その時の支援活動についてはこちらをご覧ください。)私の実家は、母校の小学校の目の前にあります。つまりいつも全壊した自宅を横目に活動を続けていました。  この写真は、1回目の震度7の直後の写真です。家の中はもう靴なしでは入れない状況でした。この写真を撮った時にはまだ、2回目の震度7がくるとは思ってもいませんでした。2回目

          母は強し!

          時を越えて、点と点がつながれば・・・。

          災害後、支援開始、その時から・・・。 AMDAは災害が発生した時、直後から支援が必要か、否か。 支援必要なら、 どのような支援を行うか ↓ 誰が行くか、誰と行くか ↓ 何処に行くか ↓ 何処を拠点とするか このようなプロセスを時間と競うようにたどっていきます。その時、頭の中では、「誰かいないか」とこれまで活動で知り合った人たちの顔や名前が頭の中で、ぐるぐる、ぐるぐる、高速回転・・・。 ウクライナ避難者支援活動のはじまり・・。  ウクライナ避難者支援活動の始まりもそうで

          時を越えて、点と点がつながれば・・・。

          援助を受ける側にもプライドがある

          熊本地震 故郷で学んだこと美しい故郷 益城町  2016年、8月、熊本地震から4か月後、初めて九州に来たというAMDAのスタッフに熊本の美しさを見せたくて、阿蘇五岳を一望できる大観峰を訪れました。お釈迦様の寝姿にもたとえられています。熊本は「森と水の都」と言われています。近くにある白川水源では、毎分60tもの水が湧き出ています。私の故郷、益城町は阿蘇から車で40分ぐらいかな・・・。私が益城町に引っ越してきたのは小学校1年生の時。最初に飲んだその湧き水の味が、今までの水とはな

          援助を受ける側にもプライドがある

          大草原の小さなトイレ

          トイレあれこれ『日本の災害避難所のトイレ』  今、災害が起きたとき、まず最初に避難所に運ばれてくるトイレは、イベント会場などでもおなじみの和式の「ポットン」トイレだとおもいます。随分と日本も災害支援も変わってきていますから、トイレも変わってきてるのではないかと期待したいところです。 以下は、2016年熊本地震の時の小学校にあった避難所にあったトイレの話です。  このトイレは、多くの被災者を悩ませました。被災後の困難な避難生活に加えて、日常では使い慣れないこのトイレを使うこ

          大草原の小さなトイレ

          いつもどこかで

          『世界よ、「賢くあれ」!』  このおじいちゃん、まだ生きてるかな・・・。コロナ禍でモンゴルに行けなくなって2年・・・。それまで2008年から毎年、行っていたのに・・・。会えてない。  モンゴルでは、1939年に起こった日本とソ連の国境紛争、ノモンハン事件のことをハルハ河戦争と言います。2008年、モンゴルに初めて行った時、私はこのことを知りました。衝撃でした。45歳の夏、この歳まで学校で習ったことがすべてと思っていた自分に。その後、私は、このハルハ河戦争に従軍した関係者の方

          いつもどこかで

          いつかどこかで…

          『なんで、なんで…』ウクライナ国内外の避難者活動の間、私の頭の中でぐるぐるしていた言葉、 なんで、なんで? なんで、なんでやめられないの? これまで、 2016年、熊本地震の時、2回の震度7の後、立て続けに起きる震度5クラスの余震、ああああああああ!天よ、もうやめてぇ~! 2018年、天に海があるのかと思うくらいの豪雨、あぁぁぁぁ!天よ、これ以上の雨を降らさないで~! そう、天災は、どれほど願っても人は止められない。 でも、ウクライナで起こっていること、これは人災

          いつかどこかで…