見出し画像

恩おくり

 

2011年


 私が、彼女に最初に出会ったのは、東日本大震災から3か月が経過した2011年6月、初めて大槌町に行った日でした。被災規模はわかっているつもりでした。しかし、岩手県釜石駅に着いて、車で大槌町に向かう途中、ある交差点に差し掛かった時、自衛隊の車両に阻まれ、今まで見たこともないその異様さに私は衝撃を受けました。そこから先の道は、もう自分が一体何を見ているのか、目の前の光景が現実なのかわかりませんでした。時間の感覚さえもなくなり、希望も見えず、悪い夢でも見ているかのようでした。大槌高校の避難所で、大震災と津波を生き抜いた方々に出逢いました。彼女もその一人でした。震災後、大槌高校に避難していた鍼灸師の彼女は、私たちの被災者支援チームと出逢い、共に支援活動に参加していました。大槌高校の渡り廊下で、彼女が津波にのまれながらも生き残ったこと、多くの隣人を失ったこと、そして生きていく覚悟などを聞きました。初めて会ったとは思えないくらい時間を忘れて語り合い、その夜、私は眠れませんでした。その時は、まさか自分も被災者になるとは知らずに。

2016年

 東日本大震災から5年後、熊本地震で私の故郷、益城町は震度7に2回も見舞われた被災地となりました。実家は全壊、前震から12時間後の益城町、自分が育った故郷とは思えない程、町は崩壊していました。そして2度目の本震。人々は、度重なる余震に、3度目の震度7が来るのではないかと怯えていました。母校の避難所で私は、医療支援活動に参加しました。そして、大槌町の彼女もご主人と一緒に、岩手から熊本まで車で駆けつけて、心身ともに疲弊した避難者を鍼で癒し、夜中は、支援活動で疲れた私の体に鍼を打ってくれました。私は、「ありが・・・とう」と、そのまま寝落ち。夢を見ることもなく爆睡でした。

2022年

 一昨日、ペルーの防災庁担当者の研修として、彼女は東日本大震災からの復興を郷土愛とともに語りました。色々あったね。長かったねと、これまでの苦労をお互いに労いました。そして、彼女は言いました。「自分たちがしてもらったことをお返しする、この「恩送り」を大槌町の文化にしたいと。私も益城町の文化にしたい。そしてペルーにもその文化を伝えたい、そう願いました。こうして「恩送り」の送り手が世界中に広がれば、きっと未来は優しさに包まれるんじゃないかと、私は今、素敵な夢を見ています。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?